今回は音楽記事です。
前に予告したとおり、これから何回かは寺山修司につながる人たちについて書こうと思いますが……
その第一弾として、まず登場してもらうのは、浅川マキです。
この方は、寺山修司の主宰していた劇団「天井桟敷」で歌を歌ったりしていました。
日本のロックの草分け的存在ともいわれる人で、仲井戸麗市さんと共演したことも。
天井桟敷つながりということなのかはわかりませんが……1990年のツアー中、渋谷公会堂でハプニングゲストとして浅川マキが登場したステージについて、「浅川マキさんとのブルースセッションは心臓にケが生える」と、チャボさんはいっています。仲井戸チャボ麗市をしてそういわしめるだけのオーラが彼女にあったということなのでしょう。
メジャーデビューは1969年ですが、その二年ほど前に、プロデューサーの寺本幸司に見いだされて、彼の主宰した「アビオン・レコード」の第一号アーティストとして“デビュー”しています。
この「アビオン・レコード」というのは、日本初のマイナーレーベルともいわれているそうで……つまりは、フォークにおけるURCみたいなことなんでしょう。いまでいうインディーズということであり、URCやエレックレコードがそうであったように、メジャーでないがゆえに扱える作品、アーティストというものがあって、まさに浅川マキはそういう人だったのだと思われます。
メジャーデビューシングルとなったのが、代表曲のひとつ「夜が明けたら」。
Yo Ga Aketara
これは、浅川マキ自身の作詞作曲で、シンガーソングライターの先駆けともいえるかもしれません。
一方で、天井桟敷の関係で寺山修司の作詞した歌も歌っていて、たとえばその一つ「裏窓」です。
Uramado (Live)
アマゾンミュージックで検索してみると天井桟敷の演劇で使用された歌の音源が見つかったので、そちらも掲載しておきましょう。これはちょっと聴ける環境がかぎられてしまいますが……
こうした曲のほかに、浅川マキは海外のブルーススタンダードなどのカバーもやっていました。
そのなかには、たとえば
House of the Rising Sun も。
以前このブログでアニマルズの曲として紹介したあの歌です。「朝日のあたる家」という邦題でよく知られていますが、浅川マキはこれを「朝日楼」としてカバーしました。
あの記事を書いたときには知らなかったんですが、この曲、日本人アーティストによるカバーもいくつかあるようです。ちあきなおみ、高田渡、吉井和哉など……
高田渡バージョンなんかはかなり大胆な解釈のように思われますが、浅川マキのバージョンは、コード進行だけをとればアニマルズに近いようです。
これも、アニマルズの記事を書いたときには知らなかったんですが、アニマルズ版はボブ・ディランのカバーをもとにしていて、そのディラン版はディランの師匠筋にあたるデイヴ・ヴァン・ロンクのアレンジをもとにしているんだそうです。師匠であるロンクのアレンジをディランが勝手に借用してレコーディングしたことで、師弟関係にひびが入ることになったとか……そういういわくつきのアレンジなのです。
参考までに、そのディラン版を。
Bob Dylan - House of the Risin' Sun (Audio)
浅川マキのバージョンは、彼女自身が訳詞をつけたもので、ちあきなおみさんや吉井和哉さんのカバーは、その詞によっています。
ときどき想うのは ふるさとの
プラットホームの薄暗さ
誰か言っとくれ いもうとに
こんなになったら おしまいだってね
という歌詞は、金沢から家出同然で上京する際に駅のプラットホームで妹に見送られたという自身の体験に基づいているようでもあります。原曲の詞を踏まえたものではありますが、そこに自分自身のエピソードを紛れ込ませたというか……あるいは、この歌に書かれているようなシーンをみずから演じる運命だったというほうがあたっているでしょうか。
スタンダードナンバーのカバーとしては、ほかにもたとえば「聖ジェームズ病院」などがあります。
これは、詩想としては「朝日楼」に近いものがあるでしょう。どちらも、身を持ち崩して悲惨な暮らしを送る女をモチーフにしています。このあたり、浅川マキという人の生涯を暗示しているようでもあります。
参考に、ルイ・アームストロングのバージョンを。
St.james Infirmary
これはサッチモさんなわけですが、この曲の浅川マキ版でトランペットを吹いているのは、南里文雄という人。“日本のサッチモ”という異名を持つ伝説的なトランペット奏者です。
戦前、上海に渡り、そこでテディ・ウェザフォードに見いだされて彼の指導を受けたという経歴の持ち主ですが、テディが最初に南里の演奏を聞いたときに、「お前は誰に習ったのか?」と問われた南里は「ルイ・アームストロングのレコード」と答えたといいます。ルイ・アームストロングのレコードからジャズを学んだ――人生で一度いってみたいせりふベスト3に入る名言です。
南里はその後ルイ・アームストロングとの共演も果たし、“日本のサッチモ”というのも本人から名付けられたもの。公認というわけなのです。
その伝説的なトランペット奏者である南里にとって最後のレコーディングとなったのが、浅川マキの「聖ジェームズ病院」。伝説は伝説を呼ぶといったところでしょうか……この南里文雄やチャボさんもそうですが、彼女のバックには、坂本龍一、高中正義、山下洋輔、つのだ☆ひろ――といった錚々たるミュージシャンたちが集っているのです。
そうした名うてのミュージシャンが参加している曲として、たとえば「夕凪のとき」。ここでは、坂本龍一さんがオルガンを弾き、つのだ☆ひろさんがドラムを叩いています。
Yunagi No Toki
そして、つのだ☆ひろさんが歌でも参加するロッド・スチュワートのカバー「それはスポットライトではない」。直訳そのものの邦題も秀逸です。
It's Not The Spotlight
彼女の歌を聴いていると、アンダーグラウンドということとリアルであることは、この国のポピュラー音楽業界ではほぼ同義なのだということがわかります。
アンダーグラウンドだからリアルというのでもなく、リアルなのにアンダーグラウンドというのでもありません。リアルだからアンダーグラウンドなのです。
浅川マキはそのリアルな世界に生きることを選んだ人であり、それゆえに、最期は寂しいものであったようです。
2010年1月17日、ライブのために訪れていた名古屋のホテルで急死……
その前夜、最後にステージで歌ったのが「さかみち」という歌だったそうです。
Sakamichi
ちなみに、生前に発表した最後のアルバムのタイトルは
Nothig At All To Lose
「失うものはなに一つない」……
ジャニス・ジョプリンが歌う
Me and Bobby McGee の一節を思い出します。
Freedom's just another word for nothin' left to lose
自由とは、失うものが何もないということ……
そんな自由を生き、自由に死んだアーティストが、浅川マキなのです。