今回は、音楽記事です。
前回から、プログレというところをちょっと離れてきましたが、もう一つの流れ、「今年で50周年を迎える名盤」というところにフォーカスしていきましょう。
そういうわけで、今回のテーマはビリー・ジョエルが1973年に発表した『ピアノマン』です。
ビリー・ジョエルにとってはセカンドアルバムで、これが出世作となりました。
そのタイトル曲「ピアノマン」。
ビリー・ジョエルのヒット曲というのはもう数多くあるわけですが、そのなかで代表作のひとつに数えていいでしょう。
Billy Joel - Piano Man (Official HD Video)
特に多くの言葉はいらないでしょう。
ビリー・ジョエルという人がミュージシャンとしてもっている才能には関しては、文句のつけようもありません。ヒットするべくしてヒットしたということです。
一応豆知識的な話として、このアルバムには駆け出しのころのラリー・カールトンが参加しているとか……まあ、そういった点でも重要なアルバムといえるかもしれません。
この1973年というのが、プログレのひとつの黄金期ともいえる年で、それは、グレッグ・レイクがいうところの「真面目さと娯楽のバランス」が絶妙だったというような話をELPの記事で書きました。
そして、73年のピアノマンでブレイクしたビリー・ジョエルもまた、「真面目さと娯楽のバランス」のなかで揺れ動いてきたアーティストといえます。
プログレ的な意味でこそありませんが、ビリー・ジョエルは「真面目さ」の方向も兼ね備えている、あるいは兼ね備えていたい、と思っているようなのです。
つまりは、ブルース・スプリングスティーンのようなことをやりたいと。
それで、80年代ぐらいになってそういう方向性の作品を発表するようにもなりました。
しかし、ニュージャージー出身のブルース・スプリングスティーンに比して、ニューヨークっ子であるビリー・ジョエルは都会的でおしゃれなセンスの持ち主というイメージをもたれがちなのです。これが、「社会的なメッセージを込めた歌を歌う」というようなこととは致命的な齟齬をきたします。したがって、ビリー・ジョエルがそういう側面を出そうとしてもうまくいかないということになります。
私の個人的な感覚としても、ビリー・ジョエルのこの手の歌はあまりピンとこないことが多いです。
ブルース・スプリングスティーンほどの深みがないというか……
たとえば、そういう方向性の曲としてよく知られる
Goodnight Saigon という曲があります。
Billy Joel - Goodnight Saigon (Official Video)
ベトナム戦争を題材にした歌で、つまりはブルース・スプリングスティーンのBorn in the USAのような歌を作ろうということでしょう。
しかし、この歌に関しては、結局ベトナム戦争というものをどう考えているのか、みたいなことがよくいわれるようです。
ベトナム戦争というものがどうであれ海兵隊に属する兵士個々人に政治的な問題は関係ない、彼らはあくまでも国のために戦う英雄だ、みたいなことをいいたいんだと思いますが……しかしどうにも、釈然としないものがあるのです。
このMVで描かれる、海兵隊員たちの日常風景……ベトナム戦争というものを考えたとき、やはり彼らの戦友としての連帯意識といったことに素直に共感できない部分が出てくるわけです。
良識というものはある種の欺瞞をはらんでいて、あえて良識を徴発する偽悪的な態度によってその欺瞞を暴く――というのがロックのもつ触媒作用の一つだと私はいってきました。
しかしビリー・ジョエルの歌を聴いていると、その「欺瞞をはらんだ良識」の内側にとどまっているように感じられるのです。その良識という仮面の奥に切り込んでいかないというところが、つまりはブルース・スプリングスティーンほどの深みがないというところなんでしょう。代表曲の一つ Honesty はそういうことを歌った歌でもありますが、その Honesty の詞でさえ、私には同様に感じられます。
ビリー・ジョエルはそのものずばり「エンターテイナー」という歌を歌ってますが、やはり基本的にはエンターテイメントの側の人なのです。
あるいはそういうところが幸いしたかもしれないと思えるのが、ソ連ツアーです。
1987年、ビリー・ジョエルはソ連ツアーを敢行しました。
当時のソ連はペレストロイカの最中で、東西和解ムードのなかで西側のアーティストが訪問するということがありました。
バンドとしては、先日の記事でちょっと名前が出てきたユーライア・ヒープの88年公演が初だったということですが、ソロアーティストとしては、ビリー・ジョエルがそれよりも前にやっています。
これに関しては、意地の悪い見方をすれば、「ビリー・ジョエルぐらいなら来させても大丈夫だろう」みたいな感覚がソ連側にあったんじゃないかとも思えます。もっとガチな……たとえばレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンみたいなバンドだったら、ステージで何をしでかすかわからないとソ連当局も二の足を踏んだのではないかと。
ちなみに、オジー・オズボーンやボン・ジョヴィ、モトリー・クルーといったHM/HR系の大物がソ連で「モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティヴァル」をやったのが、89年のこと。
このフェスも含めたソ連での体験をもとにしてスコーピオンズが冷戦終結の希望を歌う
Wind of Change
という曲をヒットさせたのは前にこのブログでも書いたとおりですが、ビリー・ジョエルもまたソ連でのツアーに大きなインスピレーションをえたようで、「レニングラード」という曲を発表しました
Billy Joel - Leningrad (Official Video)
この曲の中に歌われる「ヴィクトル」というのは、実在の人物。
ヴィクトル・ラジノフは第二次大戦中のレニングラード包囲戦で父親を亡くした戦争孤児で、サーカスのピエロをやっていたんだそうです。
サーカスのピエロとして子どもたちを笑顔にさせる――そこにビリー・ジョエルは、インスピレーションを得ました。
彼が見つけ出した一番の幸福は
ロシアの子どもたちを喜ばせることだった
と「レニングラード」では歌われます。
それはまさに、「エンターテイナー」ということでしょう。
ピエロというのはエンターテイナーの方向に振り切った存在であり、そういう存在をとりあげているがゆえに、「レニングラード」という曲はGoodnight Saigon のような釈然としない感じがない……と私は評してます。
ここにおいて、ビリー・ジョエルは、「真面目さと娯楽のバランス」を「娯楽」の側から釣り合わせたといえるんじゃないでしょうか。これはこれで、音楽というもののあり方だと思います。
ちなみに……
「レニングラード」とはソ連時代の呼び名で、もともとの名は「サンクトペテルブルク」。今のロシアでもその名で呼ばれるこの街は、かつての帝政ロシアの首都であり、先述したモスクワピースフェスが開催された地であり、また、プーチン大統領の出身地でもあります。
いまひとたび、「レニングラード」の歌詞を引用しましょう。
あのまぶしい10月の陽射しのなか
僕らは知った 子ども時代は終わってしまったのだと
そして僕は友人たちが戦争に行くのを見ていた
彼らは何のために戦い続けるのだろう?
ビリー・ジョエルとヴィクトル・ラジノフは旧ソ連で出会って以来交友関係を持ち続けているそうですが、今のウクライナ戦争という状況を果たしてヴィクトルはどう見ているんでしょうか……