ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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映画『新聞記者』、日本アカデミー賞三冠

2020-03-08 20:49:58 | 時事

 

映画『新聞記者』が、日本アカデミー賞で作品賞などを受賞しました。

この映画については、一度記事を書きましたが……政府による世論の操作や取材への干渉を描いた、近年珍しく硬派な作品でした。

くしくも、作中で描かれている内容の一部は、いま起こっている問題にジャンル的に重なっていて、予言のようでもあります。(詳細はネタバレなにるので書きません。ご覧になってない方は、ぜひ映画をみてください)

そこで描かれている報道環境がどの程度まで現実のものかというのは議論があるところでしょうが……どうやら、21世紀に入るころぐらいから、政治家によるメディアコントロールが世界的に発達してきているようです。アメリカなんかはかなりその“先進国”であるらしく、取材対象がどこからかかけられた圧力によって急に前言を撤回して沈黙してしまったりすることがときにあり、ジャーナリストたちから恐れられているそうです。

そういう目線でみると、いまの日本においてメディアに対する巧妙な干渉が行われていたとしても、残念ながら驚くにはあたらないでしょう。

たとえば、最近、某ニュース番組に対して厚生労働省の公式ツイッターアカウントが反論のツイートをしたことも、その一環かもしれません。

これはもうなりふりかまわず表立ってやってしまってるという点で、隠微な干渉とは違うかもしれませんが……

まあ、その反論ツイート自体も事実に基づかないものだったということで批判されたりしていて、政府の側も相当焦っている様子がうかがわれます。

当然ながら、情報の統制やかく乱は、ウィルス相手には通用しません。
公的なところから出る情報が正確でない、信用できないということは、むしろ感染症対策にマイナスとなるでしょう。
メディアコントロールが発達してしまった世界が、そして日本が、果たしてウィルス相手に有効な策をとれるのか――それが今、試されているようです。




東京事変からみえる日本のリアル

2020-03-06 10:15:10 | 時事


先日、東京事変がライブツアーを中断するという決定をしました。

待望されていた東京事変の再結成ツアー。東京公演こそ開催しましたが、世間からの批判が創造していた以上に強く、ツアー継続断念を余儀なくされたということのようです。

難しい判断ですが……

東京公演を“強行”した背景には、個人事務所でやっているということもあるといいます。

同じく個人事務所で活動しているRADWIMPSの野田洋次郎さんのツイートも話題になりましたが、あれほどビッグな存在になっても、大規模公演のキャンセルは死活問題となるようです。
大手事務所であれば所属アーティストに生じた損失を全体の勘定のなかでカバーすることもできるでしょうが、個人事務所ではそうもいきません。

そういったことが、果たして“自己責任”で片付けられてよいものか……

イベント中止がもたらす深刻な問題は、プロにかぎった話ではありません。
大阪のライブハウスで集団感染が起きたらしいということで、ライブハウスやそこに出入りするバンドマンへの風当たりが強くなっているようですが……イベントの主催者がキャンセルで相当な損失を負ったという話があちこちで出ています。ときおりそういったところに出入りする身としては、これは決して他人ごとではありません。


いっぽうで、感染予防のために人の密集を避けるといったことがどれほど徹底されているのか疑わしい現実もあります。

ホンネと建前、とよくいいますが……日本という建前主義社会の悪弊がここでも出ているように私には感じられます。

政府が場当たり的に打ち出す策をみていると、感染対策の実効性よりも、むしろ「対策しました」という建前を作ることが重視されているようにみえるのです。
一斉休校もそうです。満員の通勤電車が毎日走っている状態で学校だけ閉鎖してもあまり意味がない。
東京マラソンの観戦自粛もそうです。「自粛を呼びかける」という形だけをつくり、結局は少なからぬ人が沿道に集まってしまう。

新たに打ち出された中韓からの入国制限というも、同じです。
ニュースをみていると、アナウンサーも専門家も、口をそろえて「遅すぎる」といっています。今さらそれをやって、果たしてどれほどの意味があるのか。結局は、「思い切った対策をしています」というアリバイ作りでしかないといわれてもやむをえないでしょう。


話を音楽に戻すと、イベント自粛というのも、結局日本社会挙げての「アリバイ作り」でしかないように思えます。
「対策しました」というアピールだけが目的で、実効性ははなから無視されている。アピールはしたいけど、経済活動は止めたくない。だから、企業活動を妨げない分野が狙い撃ちにされている……そういうことでしょう。

逆にいえば、日本を動かしている人たちが「どうでもいい」と思っているものが今回の件であぶりだされているのだと思います。
教育、文化、庶民の生活……そういったものが、この国の為政者にとっては「どうでもいい」ことなんでしょう。
カネになることだけを死守し、「どうでもいいこと」を犠牲にして建前だけをつくる――こんな世の中では、トイレットペーパーの買い占めが起きるのもむべなるかなというところです。



COMPLEX, BE MY BABY

2020-03-04 19:11:18 | 音楽批評

 

 

今回は、音楽記事です。

 

最近このブログでは新型肺炎に関する記事を連続で書いてきましたが……

 

どうも、この問題はかなり長期化しそうです。

その間コロナ関連の記事ばかりを書き続けるのもどうかと思うので、このあたりで通常モードに徐々に戻していこうかと。

 

相変わらずのしりとりスタイルを貫き、以前書いた吉川晃司さんからのつながりで、COMPLEXについて書きましょう。

 

COMPLEXは、1988 年に吉川晃司さんと布袋寅泰さんで結成されたスーパーユニット。

 

イントロの「ビーマイベイビー、ビーマイベイビー……」が印象的BE MY BABY は、彼らの代表曲です。


 


いきなり大ヒットとなり、オリコンチャート一位を獲得。その後も、リリースしたオリジナル作品は、シングル、アルバム含めてすべてチャート一位になるという快進撃を続けました。

 

しかしながら、このユニットの活動は、短期間に終わります。

2枚のアルバムを発表し、1990年に無期限活動休止というかたちで事実上の解散。わずか2年ほどの活動でした。

 

そうなるにいたった原因は、音楽性の違いといわれています。

 

吉川さんは、前に紹介した SAMURAI ROCK でもわかるとおり、音楽的に伝統堅持派といえるでしょう。

そのいっぽうで、布袋さんは新しいものをどんどん取り入れていく実験的なところがたぶんにあります。デジタルサウンドを使ったり、ギターのエフェクトにしても、とても一人で弾いているとは思えないようなトリッキーなエフェクトを多用しているようです。布袋さんはデビッド・ボウイに並々ならぬリスペクトを持っている人ですが、そういうところも影響を受けているんでしょう。

 

時代が変っても古きよき伝統スタイルを貫くべきか。

それとも、時代が変れば新しい技法を取り入れていくべきか。

 

この、古くて新しい問題が COMPLEXを空中分解させてしまったらしいのです。

 

ここで私自身の感想をいえば――ずるい言い方になりますが――どちらの立場も理解できます。

 

昔ながらのロックを大事にしたい。でも新しいものもやりたい……

これは、ロックというものが誕生して以来ずっとあった問題――というより、たぶん音楽にかぎらず、小説や映画、漫画とあらゆるジャンルにあるんだと思います。

 

その折衷案で配分がうまくいくと、ビートルズみたいになれるということなんでしょう。

ただ、それがメンバー間の軋轢というかたちになると、グループの存続の問題になってしまうという……COMPLEX結成以前から交流があった吉川さんと布袋さんですが、活動後期になると二人の関係はかなり悪化していたようです。

 

しかし、時間が解決してくれるという部分もあります。

 

活動休止からおよそ20年後の2011年に、COMPLEXは一日かぎりの復活を果たしました。

東日本大震災を受けて、「日本一心」と銘打ったステージ。


 


BE MY BABY が、満員の東京ドームに響き渡りました。

以前も書いたとおり、吉川さんは原発問題に深い関心を持っています。震災と福島第一原発事故のことで、何かせずにはいられなかったということなんでしょう。

 

そういう意味でいうと、今回のコロナ禍が終息したら、COMPLEXの一時的復活がまたあるのかもしれません。

今からそれを期待するというのはちょっと不謹慎になってしまうかもしれませんが……

 

 

 


全国一斉休校問題をさらに考える

2020-03-01 18:46:10 | 時事

 

 

今回も、全国一斉休校の件について書きたいと思います。

 

まあ、純粋に感染拡大防止という観点からすれば、やらないよりはやったほうがいいんでしょうが……ただそれによって引き起こさるさまざまな問題があるわけで、プラス面とマイナス面のバランスを考慮して判断すべきでしょう。要請を出すにあたって、そのあたりに十分な配慮があったのかという疑念はぬぐえません。

 

 

かつて毛沢東時代の中国で「密植」ということが行われていたといいます。

 

密植とは、文字通り密に植えること。

一本の苗を植えるところに四本の苗を植えれば、収穫は四倍になるに違いない――ということで、食糧増産のためにそういう策をとったそうです。

結果、とんでもないことになりました。

当然ながら、植える苗の数を四倍にしたから収穫が四倍に増えるなどということはあるはずもなく、それどころか、どの苗もまともに育たなくなり大凶作・飢餓を引き起こしたといわれています。

 

これは、“独裁”というものの問題性を端的に表したエピソードだと思います。

 

専門的知識をもたない権力者が思い付きで政策を打ち出す。専門的知識をもっている人たちは、そんなバカなと思っているけれど、それを止めることができない。結果、そんなバカなという政策が実行に移され、めちゃくちゃな結果が生じる……

 

今回の唐突な全国一斉休校要請は、それに近いところがあるんではないかと思っています。

権力の一元集中が進んでしまっていて、専門知識を持たないトップが“うかつ”な指示をだし、まわりがそれを止められないという……

 

安倍総理自身の資質については、ひとまずおいておきます。

 

安倍総理が感染症や学校教育に関する個別具体的な問題点について詳しく知らなかったとしても、それ自体はやむをえないことです。

ただ、それゆえにこそ専門家の意見を聴くことが必要なのであり、そのプロセスを怠ったことには大いに問題があるでしょう。

 

近代になると、多くの国が君主制を放棄しました。

君主を維持した国でも、「君臨すれども統治せず」――すなわち、王さまはあくまでも象徴的な存在であって、政治的な権限はほどんどもたない――というのが普通です。

それは、複雑化した近代社会では、一人の人間があらゆる分野に精通していて適確な判断を下すということはまず不可能ということが背景になっていると思われます。

 

特に感染症なんかでは、素人がうかつなことをいうのは危険でしょう。

先般ダイヤモンド・プリンセス号で「不潔ルート」の画像が出回って「なんだよ、不潔ルートって」とツイッターで嘲笑されたりしていましたが、どうやらここでいう「清潔」「不潔」というのは医療の専門用語として使われているものであり、われわれが日常的にいう「不潔」とはニュアンスが違い、あの場で使われていて不自然ではないということらしいです。

「専門知識」というのは、そういうところがあります。

一般人からみれば理解しがたいものだったり、一見馬鹿げて見えたりする。けれど、重大な意味を持っている……そういうことがあるので、門外漢が適当なことをいってはまずい場合があるわけです。

ゆえに、トップの独断で専門家の意見をすっ飛ばしてしまう独裁というあり方は、近現代では致命的に問題があります。

今回の全国一斉休校という措置は、そういうレベルの問題を可視化させているように思えました。