今回は、音楽記事です。
最近このブログでは新型肺炎に関する記事を連続で書いてきましたが……
どうも、この問題はかなり長期化しそうです。
その間コロナ関連の記事ばかりを書き続けるのもどうかと思うので、このあたりで通常モードに徐々に戻していこうかと。
相変わらずのしりとりスタイルを貫き、以前書いた吉川晃司さんからのつながりで、COMPLEXについて書きましょう。
COMPLEXは、1988 年に吉川晃司さんと布袋寅泰さんで結成されたスーパーユニット。
イントロの「ビーマイベイビー、ビーマイベイビー……」が印象的BE MY BABY は、彼らの代表曲です。
いきなり大ヒットとなり、オリコンチャート一位を獲得。その後も、リリースしたオリジナル作品は、シングル、アルバム含めてすべてチャート一位になるという快進撃を続けました。
しかしながら、このユニットの活動は、短期間に終わります。
2枚のアルバムを発表し、1990年に無期限活動休止というかたちで事実上の解散。わずか2年ほどの活動でした。
そうなるにいたった原因は、音楽性の違いといわれています。
吉川さんは、前に紹介した SAMURAI ROCK でもわかるとおり、音楽的に伝統堅持派といえるでしょう。
そのいっぽうで、布袋さんは新しいものをどんどん取り入れていく実験的なところがたぶんにあります。デジタルサウンドを使ったり、ギターのエフェクトにしても、とても一人で弾いているとは思えないようなトリッキーなエフェクトを多用しているようです。布袋さんはデビッド・ボウイに並々ならぬリスペクトを持っている人ですが、そういうところも影響を受けているんでしょう。
時代が変っても古きよき伝統スタイルを貫くべきか。
それとも、時代が変れば新しい技法を取り入れていくべきか。
この、古くて新しい問題が COMPLEXを空中分解させてしまったらしいのです。
ここで私自身の感想をいえば――ずるい言い方になりますが――どちらの立場も理解できます。
昔ながらのロックを大事にしたい。でも新しいものもやりたい……
これは、ロックというものが誕生して以来ずっとあった問題――というより、たぶん音楽にかぎらず、小説や映画、漫画とあらゆるジャンルにあるんだと思います。
その折衷案で配分がうまくいくと、ビートルズみたいになれるということなんでしょう。
ただ、それがメンバー間の軋轢というかたちになると、グループの存続の問題になってしまうという……COMPLEX結成以前から交流があった吉川さんと布袋さんですが、活動後期になると二人の関係はかなり悪化していたようです。
しかし、時間が解決してくれるという部分もあります。
活動休止からおよそ20年後の2011年に、COMPLEXは一日かぎりの復活を果たしました。
東日本大震災を受けて、「日本一心」と銘打ったステージ。
BE MY BABY が、満員の東京ドームに響き渡りました。
以前も書いたとおり、吉川さんは原発問題に深い関心を持っています。震災と福島第一原発事故のことで、何かせずにはいられなかったということなんでしょう。
そういう意味でいうと、今回のコロナ禍が終息したら、COMPLEXの一時的復活がまたあるのかもしれません。
今からそれを期待するというのはちょっと不謹慎になってしまうかもしれませんが……
今回も、全国一斉休校の件について書きたいと思います。
まあ、純粋に感染拡大防止という観点からすれば、やらないよりはやったほうがいいんでしょうが……ただそれによって引き起こさるさまざまな問題があるわけで、プラス面とマイナス面のバランスを考慮して判断すべきでしょう。要請を出すにあたって、そのあたりに十分な配慮があったのかという疑念はぬぐえません。
かつて毛沢東時代の中国で「密植」ということが行われていたといいます。
密植とは、文字通り密に植えること。
一本の苗を植えるところに四本の苗を植えれば、収穫は四倍になるに違いない――ということで、食糧増産のためにそういう策をとったそうです。
結果、とんでもないことになりました。
当然ながら、植える苗の数を四倍にしたから収穫が四倍に増えるなどということはあるはずもなく、それどころか、どの苗もまともに育たなくなり大凶作・飢餓を引き起こしたといわれています。
これは、“独裁”というものの問題性を端的に表したエピソードだと思います。
専門的知識をもたない権力者が思い付きで政策を打ち出す。専門的知識をもっている人たちは、そんなバカなと思っているけれど、それを止めることができない。結果、そんなバカなという政策が実行に移され、めちゃくちゃな結果が生じる……
今回の唐突な全国一斉休校要請は、それに近いところがあるんではないかと思っています。
権力の一元集中が進んでしまっていて、専門知識を持たないトップが“うかつ”な指示をだし、まわりがそれを止められないという……
安倍総理自身の資質については、ひとまずおいておきます。
安倍総理が感染症や学校教育に関する個別具体的な問題点について詳しく知らなかったとしても、それ自体はやむをえないことです。
ただ、それゆえにこそ専門家の意見を聴くことが必要なのであり、そのプロセスを怠ったことには大いに問題があるでしょう。
近代になると、多くの国が君主制を放棄しました。
君主を維持した国でも、「君臨すれども統治せず」――すなわち、王さまはあくまでも象徴的な存在であって、政治的な権限はほどんどもたない――というのが普通です。
それは、複雑化した近代社会では、一人の人間があらゆる分野に精通していて適確な判断を下すということはまず不可能ということが背景になっていると思われます。
特に感染症なんかでは、素人がうかつなことをいうのは危険でしょう。
先般ダイヤモンド・プリンセス号で「不潔ルート」の画像が出回って「なんだよ、不潔ルートって」とツイッターで嘲笑されたりしていましたが、どうやらここでいう「清潔」「不潔」というのは医療の専門用語として使われているものであり、われわれが日常的にいう「不潔」とはニュアンスが違い、あの場で使われていて不自然ではないということらしいです。
「専門知識」というのは、そういうところがあります。
一般人からみれば理解しがたいものだったり、一見馬鹿げて見えたりする。けれど、重大な意味を持っている……そういうことがあるので、門外漢が適当なことをいってはまずい場合があるわけです。
ゆえに、トップの独断で専門家の意見をすっ飛ばしてしまう独裁というあり方は、近現代では致命的に問題があります。
今回の全国一斉休校という措置は、そういうレベルの問題を可視化させているように思えました。