ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

河島英五「出発」

2021-04-16 23:47:44 | 音楽批評


今日は4月16日。

フォークシンガー河島英五の、没後20年にあたります。

ということで、没後20年河島英五展というものが行われているそうです。
先日記事を書いたイルカさんも、この25年展にメッセージを寄せたとか。
京都でやっているということなので、ちょっと私がそこへ行くのは難しいんですが……この日付にあわせて、今回は河島英五について書こうと思います。

代表曲の一つに「時代おくれ」という歌がありますが、まさに河島英五というミュージシャンは、いい意味で時代遅れだったと思います。

当初は河島英五とホモ・サピエンスというバンドでデビューし、76年ソロ活動を開始しましたが、その際の謳い文句が「最後の大物フォーク歌手」。その言葉どおり、河島英五はフォーク草創期のスピリッツを継承しつつ、ニューミュージックの時代に登場した人だったのではないでしょうか。

「てんびんばかり」は、おそらく代表曲の一つでしょう。

7分を超える大作で、聴いていると吉田拓郎「イメージの詩」のような感じを受けます。

「イメージの詩」がそうであるように、社会批評的な歌詞で歌われる歌ですが、ライブでは途中の歌詞を変えて、さまざまな問題について歌ったりもしています。その内容は、反戦であったり、歴史修正主義であったり、原発問題であったりしますが……そういったメッセージが、70年代、80年代の歌としては「時代おくれ」に見えてしまうのが、フォークという音楽とそれを取り巻く環境がいかに変化したかということを表してもいるのです。

そんな河島英五の歌の中で、60年代のスピリッツを色濃く継承していると感じられる一曲として、「出発」の歌詞を引用しましょう。


  わかって欲しい 大人達よ
  精一杯 生きている事を
  涙を流さないで
  わかって欲しい 時は流れてゆくもの
  見守っていて欲しい 暖かい心で
  そんなにばかにしないで
  あなた方でさえも できなかった事を
  俺たちはやり始めよう  
  本当の幸せと本当の平和を捜し求めよう
  偽りの言葉に かどわかされないで
  思った道を歩こう


この歌詞から、ボブ・ディランの「時代は変わる」のようなフィーリングが響いてこないでしょうか。
歌詞もそうですが、曲調も、太陽の降り注ぐ広い道を歩いて行くような爽快さがあって、それが“若者”をテーマにした60年代フォークソングの残り香のように思われるのです。

48歳という若さで世を去った河島英五……彼がいまもし生きていたら、どんな歌を歌うのか。そんなことを考えさせられる、没後20年でした。




風「22才の別れ」

2021-04-14 21:13:09 | 音楽批評



今回も、音楽記事です。

前回の記事では、イルカさんの「まあるいいのち」という歌について書きました。

そこでも書いたように、イルカさんはかぐや姫とつながりが深く、そのメンバーである伊勢正三さんの作った歌をいくつか歌っています。

というところから、今回は、伊勢正三さんのほうに注目して、“風”の「22才の別れ」という歌について書こうと思います。

風は、伊勢正三さんが元猫の大久保一久さんと作ったユニット。
“元猫”というのは誤解を招きかねない表現ですが……“猫”という名前のグループに在籍していたという意味です。

その風のデビュー曲であり、おそらく代表曲ともいえるのが、「22才の別れ」。

もともとはかぐや姫のために作った歌といいますが、かぐや姫が解散してしまったために、風のデビュー曲ということになりました。

歌われるのは、5年の交際を経ながら、ほかの男と結婚することになって離れていく女……

 あなたに「さようなら」って言えるのは今日だけ
 明日になってまたあなたの暖かい手に触れたらきっと
 言えなくなってしまう そんな気がして

いかにも伊勢正三さんらしい、いろいろ深い事情がありそうな別れの物語を内包した歌詞と、哀愁に満ちたメロディとで、大ヒットしました。



音楽史的な観点からすると、このあたりが、フォークといわゆる「ニューミュージック」の分水嶺でしょう。

風はカテゴリーとしては“フォークデュオ”に分類されると思いますが、たとえば「ささやかなこの人生」や「ほおづえをつく女」なんかを聴いていると、もはやフォークとは呼べないだろうと私には思われます。「ささやかな……」の背後でうっすら聞こえるバンジョーの音がフォークの残響のようですが、それは「残響」という以上のものではないように感じられるのです。
「22才の別れ」にしても、伊勢正三、大久保一久、そしてギターで参加している石川鷹彦……と、そのメンツはフォーク界のビッグネーム揃いですが、そこで奏でられているのは、従来のフォークとは一味違った音楽ではないでしょうか。

フォークとニューミュージックに連続性があるというのは衆目の一致するところと思われますが……私の認識では、フォークが完全に歌謡曲化したものがニューミュージックです。
そのプロセスは70年代をとおして進行していったものと思われますが、1975年に登場した風は、まさにその中心に位置するグループであり、そのデビュー曲である「22才の別れ」は、転換点に位置する重要な一曲といえるでしょう。


そういったわけで、この歌はいろんな人にカバーされてもいるようです。

とりわけ大物としては、たとえば、桑田佳祐さんが「昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦」と銘打ったライブで、この歌をとりあげました。

それから――これはカバーではありませんが――東京事変の「三十二歳の別れ」という歌は、あきらかに「22才の別れ」をイメージしたものでしょう。


一風変わったところでは、Me First and the Gimme Gimmes というバンドがカバーしています。

このバンドは、NOFXのベースであるファット・マイクや、フー・ファイターズのクリス・シフレット(ジェイク・ジャクソン名義)などが組んだ、いわゆるスーパーグループ。
「カントリー・ロード」をパンクバージョンにしてカバーしていたりするんですが、彼らが日本の歌を日本語のままでカバーするというアルバムがあって、そこで「22才の別れ」がとりあげられています。
このアルバムで取り上げられているのは、GSのタイガーズ「C-C-C」や、ニューミュージック系として甲斐バンド「HERO」、チューリップ「心の旅」、もう少し時代がくだったものとして、ブルーハーツの「リンダリンダ」などが入っています。いずれも大ヒット曲ですが、このラインナップの中でフォーク枠として入っているのが、吉田拓郎「結婚しようよ」と風「22才の別れ」なのです。メロコア風のアレンジになってますが、それはそれで成立しています。バッド・レリジョンの曲だといわれれば、そうかと納得してしまうかもしれません。そのあたりが、やはりフォークソングの枠を超えている部分ということなのでしょう。

…と、以上見てきたところからも、「22才の別れ」が、時代を超え、国境を越えて多くのアーティストにインスピレーションを与えているということがわかるでしょう。この曲は、日本歌謡史上における記念碑的な作品なのです。




イルカ「まあるいいのち」

2021-04-12 23:26:04 | 音楽批評



昨日に続いて音楽記事です。

このところ、フォーク関係の記事で学生運動との関りについて書いていますが……いよいよそれも、かぐや姫の「神田川」で、そうした運動が衰退していくフェーズの話になりました。

しかし、それで話が終わってしまったのでは、あまりにも悲しい……ということで、今回は、かぐや姫の妹分とも目されるイルカさんについて書こうと思います。

イルカさんは、今年で活動50周年を迎えるというベテランです。
女性シンガーソングライターとして初めて武道館公演をやったとか……そういうレジェンドでもあるのです。

代表作「なごり雪」は、かぐや姫にも在籍していた伊勢正三さんの作。
音楽活動の出発点はシュリークスというグループですが、このシュリークスには、同じくかぐや姫の山田パンダさんが参加していたことでも知られます。そういった経緯もあってか、かぐや姫の妹分ような存在ともみられているようです。


紹介するのは、そのイルカさんの「まあるいいのち」という歌。
1980年に発表されたアルバム『我が心の友へ』に収録されています。
歌詞は、次のようなものです。
  
  ぼくからみれば 小さなカメも
  アリから見ればきっと 大きなカメかな?
  みんな同じ生きているから
  一人にひとつずつ大切な命

「なごり雪」や「海岸通」といった伊勢正三ナンバーからは想像しがたいんですが、イルカさんの自作曲では「いつか冷たい雨が」のように、深くて重いテーマが扱われたりもします。
そこには、どこか金子みすゞ的な視点があるように私には感じられます。あるいは、宮沢賢治的な相対主義というか……
その視点を「いつ冷たい雨が」よりもポジティブな形で表現したのが「まあるいいのち」ということになるでしょう。
これが、60年代式プロテストソングが衰退していったなかでメッセージソングが持ちえた一つの形ではないかとも思えます。
60年代のフォークとは違って、ポジティブにメッセージを打ち出していく……それは、アメリカでフラワームーブメントが衰退した後にその精神的後継者たちが見出した方向性でもあったと思われるのです。

  ぼくから見れば大きな家も
  山の上から見ればこびとの家みたい
  みんな同じ地球の家族
  一人にひとつずつ大切な命

この歌は、十数年前に生保会社のCMソングとして使われましたが、それを見た人から多くの問い合わせがあったといいます。
その時点で発表から20年以上が経っていたわけですが、そういう訴求力を持った歌なのです。

 ぼくからみれば東と西も
 よその星から見れば丸くてわかんない
 みんな同じ宇宙の仲間
 一人にひとつずつ大切な命

という歌詞は、東西冷戦という時代状況を踏まえたものでしょう。
西も東もないだろうと。そういうメッセージも、ここにはあるのです。

  二つの手のひら ほほにあてれば
  伝わるぬくもり まあるいいのち

という最後のコーラスパートは、「ヘイ・ジュード」っぽい感じもします。
菜食主義者という点からしても、ポール・マッカートニーに通ずるところがあるかもしれません。

以上の観点からすると、金子みすゞ+宮沢賢治+ポール・マッカートニー=イルカということになります。
これは、ほぼ最強じゃないでしょうか。




かぐや姫「神田川」

2021-04-11 23:22:15 | 音楽批評



今回は、音楽記事です。

やはり、最近音楽カテゴリーで続けているフォークシリーズの流れを受けて、今回はあの「神田川」について書こうと思います。



「神田川」――日本のフォーク史に燦然と輝く曲です。

伊勢正三、山田パンダという強力なメンバーを擁した第二期かぐや姫がブレイクするきっかけとなったことでも知られています。


その「神田川」は、もともとシングルではなく、アルバムに収録されている曲の一つでした。
それをラジオで流したところリクエストが殺到したために、シングルとしても発売されることに。レコード会社のプロモーションの結果ではなく、そういう自然発生的なヒットということでもよく知られています。


なぜ「神田川」はそんなにヒットしたのか……

もしかすると、木田高介さんのアレンジによるところもあるかもしれません。
以前ジャックスの記事で書きましたが、「神田川」は、ジャックスの音楽的リーダーであった木田高介さんがアレンジを手がけています。意外と、終盤のベースアレンジがポイントなんじゃないかと私には感じられます。

しかし、そういう純粋に音楽的なことだけでは説明がつかないのではないか。

ではなにがあるのかというと……意外というか、ここに学生運動挫折の残響を読み取るむきもあります。
この物寂しい歌は、60年代末の学生運動の終焉を背景としているのではないかというのです。
作詞の喜多條忠さんにそういう意図があったかどうかというのは微妙なところですが……聴き手の側がそういうふうに受け取って、それがヒットにつながったということは大いにありそうに思えます。


それで思い出すのは、あの坂本九「上を向いて歩こう」です。

あの歌の詞を書いたのは永六輔さんですが、その詞にも、60年安保における敗北と挫折が反映しているといわれます。安保反対闘争は、結局のところ敗北に終わった。涙がこぼれないよう、上を向いて歩こう――それが当時のリスナーに響いたことが、「上を向いて歩こう」大ヒットの背景にあるといわれているのです。

それと同じ構図が、「神田川」にもあったのではないか……


とすると、日本の戦後歌謡曲における大ヒットである二曲「上を向いて歩こう」と「神田川」には、社会運動の挫折を背景にしているという共通項があることになります。

これが、筑紫哲也がいうところの「敗北の美学」というやつじゃないかと私は思っています。

ジャーナリストの筑紫哲也は、日本の社会運動を「敗北の美学に酔った」というふうに評していましたが、「上を向いて歩こう」や「神田川」は、その表れなのではないかと……

「神田川」の詞に即していえば、それは、社会参加の道を断たれた若者たちが「四畳半」に押し込められて生きていく姿ということになるでしょう。よくいわれるように、あの歌のなかに出てくる下宿は「三畳一間」であり、四畳半にも満たないわけですが……

それはまた、1970年ごろを境として、社会的なメッセージを歌う歌が急速に廃れていったこととも対応しているように思えます。

もちろん、フォークソングがそういう社会派的な内容を歌わなければならないわけではなく、70年代のフォークにも名曲はたくさんありますが……なにかが失われてしまったという感も、私はいなめません。

さらに付言すると、これは日本だけの話でもありません。

日本のフォークブーム源流となったアメリカのフォークリバイバルでも、ほぼ同様の傾向がみられます。70年代に入るとラブ&ピースは急速に訴求力を失い、多くのアーティストが路線変更していった……ということは、このブログでも何度か書いてきました。

そういう意味では、1970年頃というのは一つの大きな転換点だったといえるでしょう。

「神田川」という歌には、制作者や歌っている本人たちの意図から離れたところで、それが表れているのかもしれません。



ウルトラマン55周年 TSUBURAYA EXHIBITION 2021

2021-04-09 23:00:28 | 日記


佐賀県立美術館で行われている「ウルトラマン55周年 TSUBURAYA EXHIBITION 2021」という展覧会に行ってきました。

今年は、ウルトラマン55周年ということで、こういうイベントをやっているわけです。
去年は『ウルトラマン80』放送から40周年で、円谷プロがYouTubeで80を期間限定配信したりしていて、私もウルトラマンに触れる機会が増えてました。そういうこともあって、ちょっといってきた次第です。

撮影可のコーナーもあったので、いくつか画像を撮ってきました。







特撮ドラマとしてのウルトラマン以外にも、そこから派生したさまざまな関連作品が紹介されていて、そのなかにはMARVELとのコラボも。




また、今年は映画『シン・ウルトラマン』の公開もあるということで、それに関する展示もありました。

ウルトラマンのデザインを担当した成田亨という人のことを今回初めて知ったんですが、その成田氏による最初のデザインでは、ウルトラマンにカラータイマーや‟背びれ”はなかったそうです。

その後さまざまなウルトラマンが登場するわけですが、そのデザインも気に食わなかったようで、円谷プロを相手に訴訟を起こしたということも……

『シン・ウルトラマン』は、そんな成田亨へのオマージュが出発点にあり、したがってそこに登場するウルトラマンにはカラータイマーも背びれもないのです。背びれにはスーツ着脱のためのチャックを隠すという意味合いもあったわけですが、フルCGによって背びれナシのウルトラマンが可能になりました。

その『シン・ウルトラマン』も、コロナ禍で公開が見通せない状況が続いていますが……同じような状況になっていた『シン・エヴァンゲリオン』なども公開されているので、そのあたりはさほど心配しなくてもいいでしょう。

最後に、ちょっとおまけ。
以前手に入れたウルトラマンの3Dフィギュアを使用した画像です。


背景は、佐賀城です。
県立美術館の隣にあったので、こんな合成画像を作ってみました。