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ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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高田渡「東京フォークゲリラの諸君達を語る」

2021-04-07 23:25:33 | 音楽批評



今回も、音楽記事です。

前回の記事では、日本のフォーク黎明期を支えたURCレコードというものに触れ、そこでURCが発売したいくつかのレコードの名を挙げました。
そのなかには、高田渡「自衛隊に入ろう」もありました。
せっかく名前が出てきたことなので、この高田渡という人についても書いておきたい思います。

紹介するのは、URCレコードからリリースしたシングル「自衛隊に入ろう」。
A面が「自衛隊に入ろう」で、B面には「東京フォークゲリラの諸君達を語る」が収録されています。この二曲をセットで紹介しましょう。



まずはA面「自衛隊に入ろう」

前回の記事でも書いたとおり、この歌もマルビナ・レイノルズが関係しています。

もとは、マルビナ・レイノルズ書いた詞にピート・シーガーが曲をつけた「アンドーラ」という歌。レイノルズ自身は歌っていないそうで、ピート・シーガーの歌をカバーしたということです。

タイトルの「アンドーラ」とは、スペインとフランスの間にある小国。一般的には「アンドラ」と表記されています。

この国のある年の軍事予算が、式典用空砲のみでおよそ5ドルだった……というニュースを新聞で読んだマルビナ・レイノルズが、そこから着想を得て詞を書いたといいます。
5ドルの軍事予算で平和に暮らしているアンドラと、膨大な軍事費を費やしてベトナム戦争をやっているアメリカとの対比――ということです。

「自衛隊に入ろう」という歌は、「アンドーラ」のそういう背景も踏まえたものだと思われます。
歌詞は、次のようなものです。

  日本の平和を守るためにゃ
  鉄砲やロケットがいりますよ
  アメリカさんにも手伝ってもらい
  悪いソ連や中国をやっつけましょう
  
つまりは、自衛隊を皮肉る歌で、コンセプトとしては、反原発ソングで東芝ともめた忌野清志郎が「原発賛成、原発賛成」と歌った反語表現に通ずるものがあります。
ただそれを真に受けてしまう人もいて、防衛庁がこの歌を勧誘に使いたいとオファーしてきたという有名な逸話も。
その前身組織を含めても、自衛隊というものができてからまだ十数年だった時代……こういう捉え方もあったということでしょう。



さて……ここでB面「東京フォークゲリラの諸君達を語る」のほうに話を移します。

まず、タイトルに出てくる「フォークゲリラ」とは何なのかということをちょっと書いておきましょう。

フォークゲリラは、日本のフォークを語る上では避けて通れない存在です。
要は、街頭で若者たちがフォークソングを歌いながら、ベトナム戦争などの社会問題について訴えかけるというものです。
60年代末に日本各地で行われていたようで、東京では、「反戦フォーク集会」として行われていた新宿西口地下広場でのそれが有名でした。

「東京フォークゲリラの諸君達を語る」は、そのタイトル通り、このフォークゲリラについて歌う歌です。

  あんたがたは知ってるだろ
  新宿の西口のフォークゲリラという連中をさ
  あのカッコいいエリートさんらをよ
  あのカッコいいヒーローたちをよ

  そんなかの一人がこのあいだこんなことを漏らしてた
  自慢するわけじゃないが僕は逮捕状が出ているんだとさ
  いまはやりの関西フォークはもうそろそろ限界にきたんだとさ
  高石や岡林の歌はもう前世紀の遺物だとさ
  そんなことを言った後にやつらは歌ってた
  関西フォークの大昔のレパートリー
 
  そんなところをテレビは撮っている
  いまじゃネタ不足でなんでもニュースになる
  ゲリラの連中はこういったのさ マスコミは帰れって
  カメラにポーズをとりながら

一応注釈をつけておくと、「高石や岡林」というのは、高石友也、岡林信康のこと。
いずれも、いわゆる「関西フォーク」を代表するシンガーです。
フォークゲリラの「エリートさん」が彼らをディスりながら関西フォークの歌やその替え歌を歌っていることを、ちくりと批判しているわけです。自分の仲間を「前世紀の遺物」と決めつけられたことに対する意趣返しのような意味合いもあるでしょう。

この歌には、フォークゲリラという現象や、それと連動していた60年代当時の日本の社会運動が抱えていた問題点が垣間見えているようにも感じられます。

それは、具体的にいえば、一部の先鋭化とその結果による分裂、内ゲバという左派の悪癖です。
左派が旧体制への批判を基本原理としている以上、左派の内部で新旧対立が出てくるのはある種宿命ともいえるわけですが……しかし、一部の過激派が民間人を巻き込む破壊活動にまで突き進んだことは、非常に問題があったといわざるをえません。
過激派がみずからの過激さを競うようにしてエスカレートしていくという構図は、その後のよど号ハイジャック事件やあさま山荘事件につながっていくものと思われます。
このことが、日本の社会運動が後味の悪いかたちで終焉し、その後のいわゆる‟シラケ”の空気を醸成した大きな要因であることは疑いようがないでしょう。

「東京フォークゲリラの諸君達を語る」に話を戻すと、そういう危うさのようなものを、高田渡はフォークゲリラに嗅ぎ取っていたのではないでしょうか。

ただ、フォークゲリラ全体をそんなふうに扱ってしまうのは、それはそれで問題です。
歌で社会問題を訴えるという活動自体は、有意義なものだったと私は思っています。

先述した新宿西口のフォークゲリラに関していうと、これは、警視庁によって禁止され、実力行使によって排除という目に遭いました。

「ここは広場ではなく通路だ」と警視庁が宣言し、1969年6月28日には機動隊と集会参加者の間で大規模な衝突が発生。この衝突では催涙弾も使用され、64人が逮捕されたといいます。
さらにその後、警察は「広場」を「通路」と書き換え、道路交通法を適用。大量の警官を動員して逆に西口「通路」を占拠し、ここでのフォーク集会は消滅していきました。この事件があったため、現在でも「新宿西口広場」と通称されているあの場所の正式名称は「新宿西口通路」なのです。

先に紹介したシングルA面の「自衛隊に入ろう」には、この経緯を踏まえたジョークと思われる音声が背後に入っています。
この歌では、高田さんのバックでコーラスというか合いの手を入れる人が何人かいるんですが、そのうちの一人が警察の呼びかけを真似た声色で次のように語ります。
 
   えー こちらは四条河原町警察署でございます
   ただいま学生のデモ隊が非常にご迷惑をおかけしております
   学生、歌はやめろ ここは広場ではない 通路だ


これは私が聴きとって文字おこししたものですが、歌とかぶっているため若干聴きとりづらく、最初のほう「四条」としたのはあるいは間違っているかもしれません。ただ、京都の四条あたりに河原町という地名があり、それで「四条河原町警察署」といっているのだと思われます。
実際には河原町警察署というものは存在しないのですが……では、なぜそういう地名が出てくるかというと、そこに円山公園があるからです。この歌は、その円山公園の野外音楽堂で行われた「第四回フォークキャンプコンサート」における演奏を録音したものなのです。

その日付は、1969年8月17日。
新宿西口での機動隊投入から2か月も経っていない頃のことでした。
そこで、フォークコンサートに集まった聴衆たちにむかって、東京での弾圧を想起させるようなアナウンスを聞かせる……というブラックジョーク。これが、60年代フォークの、URCレコードの、リアルです。

その意図は、警察による弾圧を批判するということでしょう。
この語りは警察官の真似をしてやってるわけですが、それを一通り終えたあと、スッと素に戻って「…シラケた」というセリフがはいっています。
この演出が高田渡の発案によるものなのかはわかりませんが……
ここには、高田さんやその周囲の人たちがフォークゲリラに対して抱えていた複雑な心境が表れているようにも感じられます。一部先鋭化した「エリートさん」を批判しつつも、やはりフォークゲリラそのものに対する共感や、それを抑圧しようとする体制側の姿勢に対する反感を、彼らも持っていたのではないかと想像されるのです。

それにしても、このブラックジョークは秀逸です。

「警官」の語り口や、語られる言葉の一つ一つが、当時のフォークや学生運動が置かれていた状況、ひいては日本の社会状況を鋭く切り取っています。
……ということで、このフォークゲリラ、とりわけ、新宿西口での実力行使事件について、いずれまた稿をあらためて書こうと思います。



高石友也「冷たい雨」

2021-04-05 21:42:44 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

最近は日本のフォークについて書いていますが……この流れを受けて、今回はいよいよ高石友也さんについて書こうと思います。

高石友也――

本邦フォーク界における巨人の一人といえるでしょう。

いろんな意味で、日本のフォークを体現する人だともいえると思います。

その‟いろんな意味”のうちの一つは、海外の曲を日本語訳で歌う作品が多いということが挙げられるかもしれません。

新しいジャンルは基本的に海外の文物を移入するところから始まる――これは、日本文化の特質といえるでしょう。
フォークの場合も、アメリカでフォークリバイバルという動きがあったのが日本に伝わってきてフォークブームを起こしたという側面があります。
アメリカのフォークソングを日本語にして歌うという高石さんのやり方は、それを象徴するものといえるでしょう。

そのカバー元は、ピート・シーガーであったり、トム・パクストンであったりします。
バリー・マクガイア「明日なき世界」なんかもあって、後にRCサクセションがカバーしたバージョンも、高石さんの訳をもとにしています。

代表曲「受験生ブルース」も、おおもとをたどるとボブ・ディランに行きつきます。
中川五郎さんがディランの歌を替え歌にした詞があって、その詞に新たに曲をつけたもの。
「サイン、コサインなんになる」というそのユーモラスな歌が、大ヒットしました。

しかし、高石友也というミュージシャンを受験生ブルースの人だというのはあまりにも大雑把な評価ということになるでしょう。
この方は、硬派な反戦歌といったような歌も多く歌っているのです。

そのなかから、ここでは「冷たい雨」という歌を紹介したいと思います。

これは、マルビナ・レイノルズのBitter Rain という歌を日本語でカバーしたものです。
高石さんのフォークアルバム第一集に収録されています。
このアルバムには、マルビナ・レイノルズの代表曲である Little Boxes を訳した「小さな箱」も収録されています。

「冷たい雨」の詞は、次のようなものです。

  静かに暮らしたい けれど目まぐるしい僕らの毎日
  でもどこかで着るものもない子が 冷たい雨に打たれてる

  私一人なら 飢えや寒さから身は守れる
  でもどこかでおなかをすかせた子が 冷たい雨に歩いてる

  誰のためにか若者たちが殺されてゆく
  そしてどこかで血を流した子が 冷たい雨に死んでゆく

いかにも60年代の社会派フォークソングという歌です。
こういう歌が出てきたのも、あの時代だったからこそと思えます。ここで歌われている内容は、ベトナム戦争のみにとどまらず、飢餓や貧困などさまざまな問題です。「プロテストソング」というところも超えた内容といえるでしょう。
海外の曲の日本語訳をやるということは、その目のつけどころみたいな部分が重要になってくるわけですが……マルビナ・レイノルズの曲の中でもさほど有名とはいえないこういう歌をチョイスしてくるのは、さすがの高石友也というところです。



さて……
高石友也の名前が出てきたところで、ついでにURCレコードというものについて書いておきましょう。

日本のフォークを考えるとき、URCレコードに触れておかないわけにはいきません。
多くの伝説的フォークシンガーを輩出したレコード会社であり、また、単にフォークというジャンルにとどまらない、大きな可能性を秘めた実験でもありました。

URCは、会員制組織として出発しました。

会員たちで会費を出し合い、大手のレコード会社からはリリースされないような音楽を聴こう――という組織。もともとは「アングラ・レコード・クラブ」と名乗っていて、これが発展してURCレコードとなったのです。

その設立において、中心的な役割を果たしたのが、高石事務所でした。
最初は会員数の上限を千人に設定して細々とやっていましたが、入会希望者があとを絶たず、制作本数も増加していったために、URCレコードという新会社を創設し、レコードを市販するようになったのです。このURCこそが、日本最初のインディーズレーベルといわれています。

ここから、たとえばフォーク・クルセダーズがリリースしようとしてできなかった「イムジン河」(と、その原語バージョン)や、高田渡の問題作「自衛隊に入ろう」(奇しくも、この曲もマルビナ・レイノルズの作詞した歌がもとになっています)などが出てきたわけです。URCレコードとなってからの最初のアルバムは‟フォークの神さま”と呼ばれた岡林信康さんの作品集であり、そこでジャックスの面々が伴奏したりもしていました。

こう書いただけでも、その実験性、前衛性はじゅうぶんに伝わってくるでしょう。

URCレコードの出発点にあったのは、このブログで何度か触れてきた、アーティストがみずからレコード会社を作るというDIY精神です。

パンクスたちのお家芸であり、エルヴィス・プレスリーの映画『監獄ロック』にその原型が見られるということを、このブログでは書いてきました。

音楽業界のお偉い方にむかって、「俺たちの音楽の良さを認めないなら、勝手に自分たちで作って自分たちで売るよ」という、既成の価値観に対するある種の宣戦布告。
そしてそれが若いリスナーにバカ受けして、お偉い方のほうが価値観の修正を迫られる……それと同じことが、日本でも一定程度起きていたのです。
URCの場合そこまで挑戦的なものではなかったとも思いますが、URCのレコードがヒットを連発したことで、大手レコード会社側もフォークに注目するようになり、それが70年代のフォークブームにつながったということはいえるでしょう。

若者のDIY的行動が大人の価値観を覆す――そのスピリッツが日本にもあった。
それが、あったがゆえに、草創期のフォークは、自由であり、実験的であり、またメッセージ性も持っていたと思われるのです。
URCはその最前衛であり、やはりDIY的な活動から生まれたエレックレコードと並んで、この国のフォークを育みました。

では、そのスピリッツは、その後どうなっていったのか……?

この点に関しては、一口ではいえないものがあります。

経過をすっ飛ばして結末だけをいえば、URCレコードは1977年にその活動を終えました。

1977年――エルヴィスがこの世を去った年であり、パンクが勃興し、クラッシュは「エルヴィスも、ビートルズもローリング・ストーンズもいらない」と歌いました。

それは偶然ですが……しかしなにかが失われてしまったというか、一つの分岐点を超えたというふうに、私には感じられます。

そのあたりのことは、これからフォークソングについて書いていくうちに、また言及することがあるでしょう。

今回は、ちょっと長くなったので、このあたりで。





中川五郎「腰まで泥まみれ」

2021-04-03 18:53:39 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

このカテゴリーでは、以前「フランシーヌの場合」という歌をとりあげました。

そこでも書いたように、その当時の日本では、反戦のメッセージをこめたような歌がフォーク界隈でよく歌われていました。
ベトナム戦争のこともあったでしょう。

その一つとして、今回は中川五郎さんの「腰まで泥まみれ」という歌をご紹介したいと思います。



中川五郎さんは、本邦フォーク草創期における伝説的フォークシンガー。

海外アーティストの詞を日本語訳していることでも知られ、この「腰まで泥まみれ」もその一つ、もとはピート・シーガーの手になる曲です。

ピート・シーガーといえば、反戦歌などを多く書いたことで知られる人物で、このブログでも、彼の作ったピーター、ポール&マリー「花はどこへ行った」などを紹介しました。「腰まで泥まみれ」も、その系譜に連なる反戦歌といえるでしょう。

多くのアーティストにカバーされていますが、Youtubeに元ちとせさんがカバーしたバージョンの動画があったので、下にリンクさせておきます。


元ちとせ 『腰まで泥まみれ』MUSIC VIDEO+「平和元年」SPOT

この歌詞は、リボン・クリーク事件という実際にあった事件を題材にしているといいます。
軍の部隊が演習で川を渡ろうとしているというシチュエーション。
水深は先へ進むにつれてどんどん深くなっていきますが、隊長は進軍をやめようとしません。
「膝まで泥まみれ」「腰まで泥まみれ」と状況は悪化していきますが、そのまま演習を続行しようとします。
「隊長こんな重装備ではだれも泳げません」と兵士が進言しても、「そんな弱気でどうするか」と隊長は一喝。「俺について来い 俺たちに必要なのはちょっとした決心さ」

  「今なら間に合う引き返そう」と軍曹が言った
  ぼくらは泥沼から抜け出して 隊長だけが死んでいった

というのが、ことの顛末です。
そして、最後にリスナーに向かってこう語りかけます。

  これを聞いて何を思うかは あなたの自由
  あなたはこのまま静かに 生き続けたいだろう
  でも新聞を読むたび蘇るのは あのときの気持ち
  僕らは腰まで泥まみれ だが馬鹿は叫ぶ 「進め!」

この寓話は、ベトナム戦争の泥沼にはまり込んでいくアメリカを風刺したものととらえるのが一般的でしょう。
しかし、戦争だけでなく、さまざまな事象にあてはまると思います。
いまの日本でもそうでしょう。
腰まで、いやもう首まで泥につかりながら、「進め!」という声が響いているのは……
まあ、この国の場合、一般兵士が全滅して隊長だけ生き残り何の責任もとらないのが大日本帝国以来の伝統だと思いますが……



ロッド・スチュワートの名曲を振り返る+α

2021-04-01 20:03:17 | 過去記事

Rod Stewart, Smile

今回は、音楽記事です。以前ホフ・ディランの「スマイル」を紹介しましたが、そこから同じタイトルつながりで、ロッド・スチュワートのスマイルという曲を紹介しましょう。ロッド・スチ......


過去記事です。

ロッド・スチュワートの「スマイル」について書いています。

本記事でも書いているとおり、この曲はチャップリンが作ったもの。
いろんな人が歌っているので、ついでにそのいくつかを紹介しましょう。



まずは、大御所ナット・キング・コール。
歌詞をつけて歌として歌われたのは、これが最初だったんじゃないでしょうか。

Smile (1992 Digital Remaster)



女声でも聞いてみたいということで、マリエ・ディグビーさんという方によるギター弾き語りカバー。

Smile - Charlie Chaplin/Nat King Cole Cover by Marie Digby



ここからは、ロッド・スチュワートのほうにフォーカス。

本記事でも書いたとおりロッドさんはアメリカのスタンダードナンバーを歌う企画をやっていて、「スマイル」はその一つなわけですが、その「スマイル」と同じアルバムに収録されている、ルイ・アームストロング What a Wonderful World のカバーです。

What a Wonderful World (from One Night Only! Rod Stewart Live at Royal Albert Hall)

これはライブの動画ですが、オリジナル音源では間奏部分でスティーヴィー・ワンダーがハーモニカを吹いてます。



そして、ロッドの代表曲の一つ、Sailingのオフィシャルビデオ。
まだだいぶ若いですね。

Rod Stewart - Sailing (Official Video)



ここからは、ほかのアーティストとのコラボを。


まずは、ジェフ・ベックとともにカバーした、カーティス・メイフィールドの珠玉の名曲 People Get Ready。

Jeff Beck, Rod Stewart - People Get Ready (Official Video)

いうまでもなく、ボブ・マーリィのOne Love/People Get Ready のもとになった歌でもあります。
音楽史に残るアンセムといえるでしょう。



そして、プリテンダーズのボーカル、クリッシー・ハインドとの共演で、映画『カサブランカ』より「時の過ぎゆくままに」。
クリッシー姐さんの魅力に、ロッドさんも歌の出だしでトチります。 

Rod Stewart - As Time Goes By (from One Night Only!) ft. Chrissie Hynde


 
そして、姐さんといえばこの人も負けていない、シンディ・ローパーとの共演。
4年前の動画ということに驚かされます。

Sir Rod Stewart with Cyndi Lauper - This Old Heart of Mine Live



最後は超豪華。
スティング、ブライアン・アダムスとともに歌った映画『三銃士』(1993)の主題歌 All For Love です。
最初のほうはメイキング的な感じになっていて、スティングがブライアン・アダムスの歌い方を真似る貴重なシーンが見られます。

Bryan Adams, Rod Stewart, Sting - All For Love (Official Music Video)

やはり、これだけ大物シンガーと共演しているのも、レジェンドゆえということでしょう。
10枚のアルバムで全英チャート1位になったという記録は、U2やクイーン、マイケル・ジャクソンなどと並ぶもの。
前立腺ガンも克服し、いまなお音楽活動を継続しています。レジェンドの航海はまだ終わらないということでしょう。