今回は、音楽記事です。
やはり、最近音楽カテゴリーで続けているフォークシリーズの流れを受けて、今回はあの「神田川」について書こうと思います。
「神田川」――日本のフォーク史に燦然と輝く曲です。
伊勢正三、山田パンダという強力なメンバーを擁した第二期かぐや姫がブレイクするきっかけとなったことでも知られています。
その「神田川」は、もともとシングルではなく、アルバムに収録されている曲の一つでした。
それをラジオで流したところリクエストが殺到したために、シングルとしても発売されることに。レコード会社のプロモーションの結果ではなく、そういう自然発生的なヒットということでもよく知られています。
なぜ「神田川」はそんなにヒットしたのか……
もしかすると、木田高介さんのアレンジによるところもあるかもしれません。
以前ジャックスの記事で書きましたが、「神田川」は、ジャックスの音楽的リーダーであった木田高介さんがアレンジを手がけています。意外と、終盤のベースアレンジがポイントなんじゃないかと私には感じられます。
しかし、そういう純粋に音楽的なことだけでは説明がつかないのではないか。
ではなにがあるのかというと……意外というか、ここに学生運動挫折の残響を読み取るむきもあります。
この物寂しい歌は、60年代末の学生運動の終焉を背景としているのではないかというのです。
作詞の喜多條忠さんにそういう意図があったかどうかというのは微妙なところですが……聴き手の側がそういうふうに受け取って、それがヒットにつながったということは大いにありそうに思えます。
それで思い出すのは、あの坂本九「上を向いて歩こう」です。
あの歌の詞を書いたのは永六輔さんですが、その詞にも、60年安保における敗北と挫折が反映しているといわれます。安保反対闘争は、結局のところ敗北に終わった。涙がこぼれないよう、上を向いて歩こう――それが当時のリスナーに響いたことが、「上を向いて歩こう」大ヒットの背景にあるといわれているのです。
それと同じ構図が、「神田川」にもあったのではないか……
とすると、日本の戦後歌謡曲における大ヒットである二曲「上を向いて歩こう」と「神田川」には、社会運動の挫折を背景にしているという共通項があることになります。
これが、筑紫哲也がいうところの「敗北の美学」というやつじゃないかと私は思っています。
ジャーナリストの筑紫哲也は、日本の社会運動を「敗北の美学に酔った」というふうに評していましたが、「上を向いて歩こう」や「神田川」は、その表れなのではないかと……
「神田川」の詞に即していえば、それは、社会参加の道を断たれた若者たちが「四畳半」に押し込められて生きていく姿ということになるでしょう。よくいわれるように、あの歌のなかに出てくる下宿は「三畳一間」であり、四畳半にも満たないわけですが……
それはまた、1970年ごろを境として、社会的なメッセージを歌う歌が急速に廃れていったこととも対応しているように思えます。
もちろん、フォークソングがそういう社会派的な内容を歌わなければならないわけではなく、70年代のフォークにも名曲はたくさんありますが……なにかが失われてしまったという感も、私はいなめません。
さらに付言すると、これは日本だけの話でもありません。
日本のフォークブーム源流となったアメリカのフォークリバイバルでも、ほぼ同様の傾向がみられます。70年代に入るとラブ&ピースは急速に訴求力を失い、多くのアーティストが路線変更していった……ということは、このブログでも何度か書いてきました。
そういう意味では、1970年頃というのは一つの大きな転換点だったといえるでしょう。
「神田川」という歌には、制作者や歌っている本人たちの意図から離れたところで、それが表れているのかもしれません。