夏目漱石の漢詩「春日偶成」の起句です。「いうなかれ、ふうじんにおゆと」と読みます。"世俗の塵にまみれっぱなしで、老いてしまったと老いの身を嘆いてはいけない"といった意味でしようか・・・。「老いてこそ人生」といった人がいます。世俗の塵から解放された今こそ、無心に自然を、花を、鳥の囀りを受け入れて楽しめるのです。漱石は、それを「春を聴く」と表現しています。
新島襄の詩に「花を惜しむ人は是れ霜をいただくの人」というのがあります。やっぱり、現役の時代は「花を惜しむ」ゆとりも無いということでしょう。白髪頭になって、ようやく花を惜しむ境地に至る、このことを嘆くと解するか、花を惜しむことの出来るようになつた自分をいとおしく見つめていると解するか・・・・
人生50から80に変わる時代、「春を聴く」ゆとり、「花を惜しむ」ゆとりを満喫するには十分の余生と成りました。
今日、一挙に「桜」が満開に成りました。私の家の桜は大きくなりすぎて切ってしましましたので、みれませんが、路傍に他家の庭に見事に咲いた桜を眺めることが出来ます。「こぶし」の白い花も満開です。いい季節に成りました。</font>