私が最初に奉職したのが、沼田高等学校でした。奉職してすぐ担任したのが、既に募集停止になっていた定時制普通科の生徒(4年生4名と2年生8名)でした。3年後にこの定時性普通科は無くなりました。続いて勤めたのが定時制農業科でした。私が美唄東高校に転勤になったころは、町内の農家の子供では定員を確保できず、遠く幌糠まで生徒募集に行ったりしていました。農業に関係ない生徒もどんどん増えていました。結局、私が転出して数年後、この課程も募集停止となってなくなりました。
沼田から転勤したのが美唄東高校でした。昭和39年、当時は一学年10学級のマンモス校でした。ここに15年勤務して札幌へ転勤したのですが、その10年ほど経ってから、美唄東高校と南高校が合併され、新しい美唄高校が出来、美唄東高校はなくなってしまったのです。
そして今年は、最初に勤めた沼田高校が募集停止になっているのです。私は生涯3校で退職したのですが、あと2年で沼田高校もなくなり、足跡の残る高校は札幌西陵高校だけになります。
去年の3月には、私が卒業した小学校の閉校式に参加してきたのでした。
心から消えることは無いものの、次々に自分がかかわった学校がなくなってゆくというのは、時代とはいえ寂しいものです。