手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

私みたいな歌い方が音痴というのだろう

2012-02-02 18:29:14 | 身辺雑記
 詩吟の先生だから音痴でないということはない。その典型が私かもしれない。
 私は歌が好きで、カラオケも昔からやっている。昔から自覚症状として、伴奏に歌が合わないのです。でも数年前から結構自分では合うようになってきているように思っている。声も詩吟がいくらかよくなってきて、かなり出るようになっていると思っている。だけど、やっぱりだめなのだ。

 最近行くようになったカラオケ店で、私が歌うと女主人が手を打って拍子をとってくれているのだが、どうもずれてしまうみたいだ。自分では結構あっているように思うのだけれど、微妙にずれているらしい。

 私はカラオケの稽古で譜面を見ながら稽古をしたことがないし、専門の先生にならったこともない。いわば我流を通していることになる。さらに詩吟は歌謡曲などと違ってその点すごく自由なので、詩吟の感覚で詩文を読んでいるのかもしれない。これは勝手な考えで、実は本当の音痴なのかもしれない。

 こんなことを思うにつれ、やっぱり音楽が好きなのと、音痴は関係がなく、音痴は音痴なのだと思いたくなってくる。よく音痴はいないというけれど、音痴という言葉がある以上、音痴は存在するのだ。

 でも、聞いてもらって、褒めてもらうことがすべてでなく、歌って自分がそこそこ楽しめればいいわけで、人が何と言おうと気にすることはない。そんな風に自分には言い聞かせている。

 それにしても、なんでテープなどに取った自分の声はこんなに情けない声なのだろう。自分で歌いながら聞こえてくる自分の声とあまりにも違うのには驚く。

 自分で他の人の歌と勝手に比較して、まだ私の方がいいのではないかと思う人も多い。人それぞれ、しかもプロでもないのだから、自分は音痴だけれど、勝手に楽しんでいるのだから許してくださいというしかない。

 そんなこともあって、宴会でのカラオケは極力避けている。ちょっと残念でもあるが仕方がない。
コメント
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