手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

詩吟の審査会に行ってきました

2012-09-02 18:43:40 | 詩吟関係
 5名のお弟子さんを受審させてきました。みんなよく頑張ってくれて私としてはみんな褒めてあげたい。

 気になったことがあった。詩吟らしくない、へなへなの吟で、詩文の読み方だってただ読んでいるだけで、詩文を見せるのだから間違うはずがない。間違わなければ減点とならない。まずそこそこの点数がもらえる。ところが、上手でしかも詩文を暗記していて、それゆえに詩文を見る必要がないだけに目をつむって吟じたということで減点としているようだ。短縮合格で何もおかしくないと私には思えた。それはひいき目だとは思うけれど、暗記しているだけに目をつむった。それが短縮の支障になっていたとするととても辛い。詩文を見てよいことになっていて、詩文を見る人は目をつむることはしないのです。暗記のできている人しか目はつむりません。

 目はつむらないけれど、吟はへなへな。そんな吟との比較をどのようにしているのだろう。確かに審査基準となっているけれど、私の持っている詩吟の解説書の中には目をつむって吟じることを指導しているものもある。

 詩吟は気品と気迫を大事にしなければならない。ただ日本語を読むだけのような詩吟、流れも無ければ力もないそんな吟に気品も気迫も感じない。

 詩吟を志す人を多くしたいとの配慮で詩文を見ることを許可しているのだけれど、詩文を見ないで暗記で吟じた人にはボーナス点があってもいいでしょう。それがボーナスどころか、それゆえ目をつむったとなれば減点する。これは納得できない審査法に思える。私はできるだけ暗記をするように指導しています。そして立派な吟だと聞きました。吟調、アクセントでの問題もほとんどありません。こういう吟が評価されないとすると、熱心に稽古する意欲を失わせるかもしれません。

 読みで気になったことがありました。「玉関」”ぎょくかん”ですが、これは”ぎょっかん”と促音で読まなければなりません。それを”ぎょくかん”と読んでも許されるていた。許してもいいことかもしれませんが、この読みでは「玉関の情」の気持ちを表現できません。どんな吟を要求しているのか私にはわからなくなりました。

 40年の吟歴、他流も経験して来ていて何か一番つらい時期にいるのかもしれません。書きたくないことだけれど、ついつい書いてしまいました。
コメント
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