北詩連札幌は東西二支部に分かれていて、それぞれ年二回審査会を開催します。そのどれもに受審資格を有する会員は受診することが出来ます。したがって札幌の会員は年4回受審する機会が与えられます。会員が少ない会だと受審資格を持たない方も出てきますから、審査会も時によって関係がないという会が出ます。しかし、私の会は毎回受審者が出ます。今回は7名受審しました。
受審資格は基本的に六ケ月の稽古が必要です。ただし審査の得点が70点を超えると期間短縮になります。中には短縮の連続で年4回資格審査を受診する方もいます。
この短縮を獲得するのが大変なのです。私の会の今回の受信者7名は残念ながら全員短縮を取れませんでした。
一度終わると一段落ではありますが、すぐ次の審査会の準備に入らなければならずとても忙しい思いをします。
私の会ではも4段で吟号「山」を、7段で「稜」を、10段で「峭」を与えることにしています。今回、4段を取得した会員がいますので、その方に吟号を付けてあげます。
何時も思うことですが、気迫のある吟がとても少ないという感じです。私の会のみんなが気迫のある吟をしているとは言い難いけれど、それほどよい評価を戴けませんが、気迫のある、これが詩吟だという吟をしている方が私の会の会員に目立った。
詩吟の原点ってどんな吟なのだろう。たとえば木村岳風先生の吟がその原型と言えるのか、それとも今のコンクールなどで評価される吟法が理想なのか、少壮吟士と言われる方の吟が頂点なのか。
確かに少壮吟士の吟はレベルも高く素晴らしい。 詩吟は芸能できわめて庶民性の高いもののはずです。芸術というより芸能です。しかも庶民性を持つものだと信じます。そんな原点を求めることが大切なのではと思っています。詩吟の普及は芸術性の探求よりも、芸能として庶民に愛される姿を求めたいと思います。素朴でよい。素朴で力強い吟。古今調より万葉調でしよう。
万葉に帰れと短歌界で叫ばれたように詩吟でも原点回帰が必要になっているかもしれません。古風に学ぶことを心がけます。
受審資格は基本的に六ケ月の稽古が必要です。ただし審査の得点が70点を超えると期間短縮になります。中には短縮の連続で年4回資格審査を受診する方もいます。
この短縮を獲得するのが大変なのです。私の会の今回の受信者7名は残念ながら全員短縮を取れませんでした。
一度終わると一段落ではありますが、すぐ次の審査会の準備に入らなければならずとても忙しい思いをします。
私の会ではも4段で吟号「山」を、7段で「稜」を、10段で「峭」を与えることにしています。今回、4段を取得した会員がいますので、その方に吟号を付けてあげます。
何時も思うことですが、気迫のある吟がとても少ないという感じです。私の会のみんなが気迫のある吟をしているとは言い難いけれど、それほどよい評価を戴けませんが、気迫のある、これが詩吟だという吟をしている方が私の会の会員に目立った。
詩吟の原点ってどんな吟なのだろう。たとえば木村岳風先生の吟がその原型と言えるのか、それとも今のコンクールなどで評価される吟法が理想なのか、少壮吟士と言われる方の吟が頂点なのか。
確かに少壮吟士の吟はレベルも高く素晴らしい。 詩吟は芸能できわめて庶民性の高いもののはずです。芸術というより芸能です。しかも庶民性を持つものだと信じます。そんな原点を求めることが大切なのではと思っています。詩吟の普及は芸術性の探求よりも、芸能として庶民に愛される姿を求めたいと思います。素朴でよい。素朴で力強い吟。古今調より万葉調でしよう。
万葉に帰れと短歌界で叫ばれたように詩吟でも原点回帰が必要になっているかもしれません。古風に学ぶことを心がけます。