手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

新年は終戦70周年になるのだ!!

2014-12-23 18:49:36 | 随想
 明けて85歳を迎える。すると終戦の時は15歳だったのだ。永山農業学校の1年生だった。あれから既に70年になるのだ。

 永山の3年間は終戦のどさくさの中での3年間だった。そして旧制北海道第三師範学校(旭川師範)本科一年に入学したがこれも旧制の最後だった。そして学芸大学一類一期生で大学を終え、沼田高校に奉職11年、美唄東高校に15年そして札幌西陵高校12年と生涯三校の教員生活を務めあげて今に至っている。

 夢のように過ぎた70年だ。今まで生きた時間をこれから生きることはできなくて、90まで生きれば最高と思う。すると後5年がいいところ。生きてきた時間と比較すると残された時間はほんの5年なのだ。80歳を過ぎてもう5年目になるのだ。この5年何があっただろう。定年退職後の中で公職みたいなものを二つ担って来た。手稲文化協会の事務局長、それと北詩連西支部の事務局長。この時は忙しかった。それを一昨年から離れることができ、いわば俗界から離脱した感じになっていて、今は詩吟の指導で生きがいを感じてはいるが、それも引き継げる準備に入らなければならない。

 詩吟の先生、私は吟は上手でない。でもお弟子さんはほかの先生に負けないだけ育ててきた。教えることでの自負はある。私と同じことのできるお弟子さんとなるとちょっと困るけれど、みんなをまとめることのできる人ができて引き継いでほしいのだけれど、容易なことでないかもしれない。

 残された時間を大切にする生き方を模索してゆく覚悟が必要だ。
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