手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

福祉センター 詩吟

2018-04-03 18:44:19 | 詩吟関係

 今日は元健幸くらぶの会員3名と、手稲第二教場を退会した小川さんがおいでになりとても充実した教室になりました。「壇ノ浦を過ぐ」は、前回もやっていますので、この壇ノ浦が平家一門の壊滅した地であり、時の天皇(安徳天皇)もここで海に身を投じお亡くなりになったことを確認して、この時ただ一人助けられた方がいる、誰でしたかと質問してみた。先回話しておいたのですが、見事に皆様忘れています。小川さんが「建礼門院」と声を挙げてくれました。そこで、安徳天皇の母君「建礼門院徳子」が引き上げられ助かり、京に連れて行かれ、大原の「寂光院」で生涯を送ることになったことを今一度話してあげました。そして「治承壽永の御国母三十にして経読ます寺 与謝野晶子」を紹介してあげました。そのあといつものように範吟、 合吟、 独吟と続けました。後半は「大楠公 徳川景山」をやりました。源平の戦いを取り上げたので、ここから楠公を少し取り上げますと言って入りました。「大楠公」の素読の後、「豹は死して皮を残す」について、どうして皮を残すことになるのかと質問してみました。敷物として上等だから、とか豹の皮はきれいだからといった答えが出た、それだけか?と折り返したら「強いから」という答えも帰ってきた。ここでは大楠公を豹に例えているのだから、百獣の王である「豹」として崇めて残すと取った方がよいのでないかとまとめて、大楠公の功績は何だったのかと聞いてみた。曽我さんがすかさず「建武の中興」と答えてくれた。建武の中興について少し触れてあげました。聞いたきりですぐ忘れられると思いますが、これから扱う吟題でも何回か触れることになります。忘れてもいいのです。聞いた時面白く感じて呉れたらそれでよいのです。

 

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