手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

交歓吟詠会今年は34回目

2019-04-05 18:53:42 | 詩吟関係
 昨日のブログにもちょっと書いたのですが、私の会では毎年交歓吟会を催してきています。どこの会でも例えば新年会とか忘年会を開いていると思う。それはそれでいいのです。私が詩吟の会を立ち上げたのは、札幌西陵高校の現職の時でした。流派は美唄東の時仲間とともに加入した象堂流という流派でして、美唄東から西陵に転勤になってから、象堂流とは離れる関係になっていましたが、転勤になったころ、高等学校の教育課程に必修クラブというものが取り入れられ、一週間に一度全校生徒が何らかのクラブに所属して活動しなければならなくなっていました。先生は全員何らかのクラブを担当しなければならなかった。私はスキー部の顧問でしたが、此の必修クラブにはなじみません。それで、詩吟が象堂流中伝で曲りなりの吟ができたので詩吟のクラブを申請しました。すると10名くらいの希望者があり教えることになりました。その教材に 象堂流の教本を使うことにしました。その縁で佐々木象堂先生に生徒に吟を聞かせていただきたいとお願いしたら、来てくれたりしました。生徒に張り合いを持たせたいと思い、象堂流に加盟していないけれど、審査だけ受けさせてもらえないかとお願いしたら、聞き入れられ岩見沢まで何人かの生徒を連れて審査を受けさせたりしていました。そのうちに先生方で詩吟をやりたいという方が出てきて、先生方の会を立ち上げて、私も 象堂流に復活し指導者の資格をいただきました。そんな流れの中で今度は、学校開放活動の公開講座に゛詩吟入門」という講座を立ち上げたら10名ほどの方が受講され、講座が終わってから同好会を作り、土曜日の午後同好会を開くようになりました。その同好会が私の会(平和吟友会)となったのです。平和吟友会を立ち上げたときに、 象堂流の札幌会が東区にあることが分かり、先生方の会と、札幌会そして私の平和吟友会の三道場交歓吟詠会を、私が中心に組織したのが始まりでした。最初にみんな一吟づつ披露しあって、懇親会をやるという形で始まりました。最初は私の会が当番で組織し、次の年から持ち回りにして行きました。10回目が平和教場の登板だったのですが、この10回目は記念大会にして、琴似のやまちホテルで 象堂流の皆様も招待し約80名くらいの大きな大会になりました。  つづく・・・
コメント
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