手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

リーダーシップつて

2019-04-24 19:16:23 | 無題
  人生を振り返ると、私も結構仲間のリーダーであったことが多い。でも、本職の教員としては管理職にならなかったし、町内会などの会長も固辞してきた。

 教頭試験は受けさせられたけれど、落第でした。積極的に、なりたいという気持ちがなくて勧められるまま受けたけれど落第だった。でもこれは人には恥ずかしいところもあるけれど、自分では良かったと心から思っている。町内会の副会長は6年やった。でも会長は固辞してきた。文化協会でも、私がやる気があれば会長になれたでしょう。しかし、働きがいのある事務局長を選んで務めてきた。仲間内の集まりみたいなものができるといつの間にか私がリーダーになっていることが多かった。

 これは集まりの目的に沿って手はずを整えてあげることが嫌でなかったからかもしれない。詩吟の会が作られた時、私が会長に祭り上げられていた。職員仲間の間で「村川学級」などという、集まりができたこともあった。嘗ての同僚が集まってのOB会のようなものも、私が設定しなければ駄目だということもあった。

 公的なリーダーシップを発揮できるような立場には立たなかったけれど、結果として良かった。自分の性格から、その責任を果たすのに心を擦切らせたと思います。

 ただ、会長さん、会長さんといわれてそれで満足する性格ではない。周りを見渡すと、管理職になった仲間が次々に亡くなっている。いい人たちだった。やっぱり管理職という役職を全うするために、心を擦切らせていたのだと思う。

 いろいろなリーダーが存在する。決まり切ったレールの上を、特に曲げることなしにすすめば多くの場合間に合う。リーダーとしての信念から新しいものを取り入れて改革するというリーダーシップを発揮できる人は少ない。

 今の私は詩吟の会の会長というリーダーでいる。会の運営と指導を両立させ、会員が楽しく、喜んでついてきてくれる会にしたいと心を砕いている。会の会長はリーダーです。会がうまくっているということはリーダーシップが発揮できているということにもなります。詩吟の先生でも単に詩吟を教えるだけを考えているようでは良いリーダーといえないのでしょう。昨年の受賞は詩吟という場面でのリーダシップが認められたといえるのンも知れません。</font>
コメント
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