手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「平忠度」木内陶堂作  の指導に当たって

2014-03-27 17:52:04 | 詩吟関係
   
                  平忠度  木内陶堂
             狼藉たり 須磨 関外の春
             残紅 已に委す 馬蹄の塵
             一宵 露臥す 桜花の下
             便ち 桜花を喚びて 主人と作す


 この詩の指導は結構面倒かもしれない。この詩をそのまま訳したら「忠度の最後」につながらない。

 起‣承句は、一の谷の戦いで、咲き残っていた桜花も馬蹄に踏み散らされた。という約になるのだけれど、一の谷の合戦は2月で須磨であっても桜は開花していないのです。それなのになぜという疑問が出るけれど、これは忠度が討たれたとき箙に結んでいた短冊の詩「行き暮れて木のしたかげを宿とせば花や今宵の主ならまし」を念頭に忠度の最後を悼む気持ちの表現なのだと思う。

 転・結句は「行き暮れて・・・」の歌を訳したように感じるれど、これは謡曲「忠度」を踏まえた表現だと思う。したがって忠度が優れた武人であるばかりか歌人としても有数の人だったことを、平家物語の「忠度都落ち」を通して理解を深めなければならない。そして「千載集」の選集に当たって忠度の歌「さざ波や志賀の都はあれにしを昔ながらの山桜かな」か゜作者不詳として載せられたこと、謡曲「忠度」がそのことを惜しみ、忠度の亡霊が「作者の名前を書いてほしい」と願う内容であることをお弟子さんたちには説明してやらなければならないと思う。まさに転・結句は謡曲の場面なのだ。

 平家物語でも「敦盛の最後」「忠度の最後」は極めてドラマチックで、お弟子さんに話してあげるととても喜ばれます。また、小学校唱歌「青葉の笛」の二番が忠度なので、これもみんなで歌ってみるとよい。
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