手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

健幸くらぶ 詩吟

2017-11-08 18:32:15 | 詩吟関係

 から今日は以前に作った「詩吟 雑考」というプリントを使って40分ほど講義をしました。いろいろ基本的なことから始めて、漢詩の形式とそれらのきまりについて触れ、特に押韻、平仄の問題で、五言と七言の句の構成を理解してもらい、訓読が句の構成にのっとってなされていることを話し、素読の場合の区切りについての理解へと進め、亦、漢詩が二語を単位としていることを、日本語の二語一拍と重ねて読み方を話してあげました。そのうえで「辞世 吉田松陰」の譜面で、白文に訓点をつけることをさせました。漢文の文法と日本語の文法の基本的な違いも話してあげました。

 その後、和歌「親思う心に勝る・・」をつけての吟の稽古をしました。なかなか和歌が歌になりません。更に「我今国の為に死す・・・」ここに籠められた松陰の気持ちを考えると、ただ言葉通り読むのでは詩吟で無くなる。処刑を前にしてのその心情に沿った強い読み方を要求しました。なかなか期待する吟をしてくれません。半拍の語の読みもまだ駄目です。

 10年間ためてきた吟譜、10年の経験を生かしての新しい吟を聞かせてもらう稽古に戻っています。


福祉センター詩吟

2017-11-07 19:01:29 | 詩吟関係

 今日はとても11月と思えない暖かな日でした。天気は良いものの出席は結局13名でした。常連が3名ほど休んでいました。今は実質16名くらいの会員数になっているのかと思います。先が心配です。

 今日は前半「夜墨水を下る」をやりました。吟に入る前に必ず全員で素読をするのですが、今日は素読の仕方について少し時間を取りました。教材として使われる訓読文について、何文というのか質問したら、一人が「読み下し文」と答えました。正しくは「書き下し文」または「漢字仮名交じり文」・・・訓読文を書き下したもの・・・といいいますが、そんな答えができる方もいることがうれしい。そこで、白文を日本語の文法に随った読み方に改める・・訓読の特徴、漢詩を翻訳するのではなく原文を日本語の読み方に替えているのだけれど、そのためには漢詩の基本的構造に随ってなされていることを、白文を参考にしながら理解してもらいました。即ち七言の場合は一句の構成が、4字3字(2・2  2・1又は1・2)が基本で、その構造を大事にして日本語に読み直していることを話してあげました。素読では、その構成を意識して、区切りをつけて読む、さらにアクセント、鼻濁音に気を使いながら口を大きく開いて大きな声で読んでほしいということを話しました。そのうえで私の読みに習って読ませることをしました。

 どこまで理解してくれたかはわかりませんが、後半の「江月」をやるときに、 独吟に入る前に素読を一度させてから吟じてもらいました。前半で話したことを理解している読み方の人が増えていたのはうれしかった。又、漢詩の構成が二語一単位となっていること、又日本語のリズムは二語一拍になることも話し、一語半拍は余韻で半拍を増やす事、そこが言葉ではない間になることをちょっと触れてみました。

 

 


北詩連西支部の集い参加

2017-11-06 19:21:38 | 詩吟関係

 昨日ホテルサンプラザで頭書の会が開催され、お弟子さんたちと参加してきました。同じ支部の仲間同士の集まりですから、やはりどこか気持ちも楽なのでしょう、和やかに進みました。一寸残念だったのは、五十嵐先生が入院中で欠席され、桑折先生が、先月の全道大会で開会の言葉を述べて直ぐ帰られたということでしたが、この会も欠席しておられた。体調を崩しておられると思いますが早く戻ってほしいものです。

 予定時間に懇親会も始まりました。私も最近はお酒もやめなくちゃと思っていて、懇親会も飲まないことにしようかと思ったりしていたのですが、何か雰囲気もよく燗酒を戴くことになりました。ワインにすることも考えたのですが、最近燗酒の良さを感じ始めています。昔のお酒と違ってとても飲みやすく、しかも悪酔いをしない。セーブもしやすい。帰りはお酒を飲まない小田桐さんが車で来ていて手稲まで送ってくれるというのでそれに甘えることにして飲みました。結構酔っていたのですが、帰宅した時には丁度良い覚め加減になっていて、テレビ「直虎」を見ることができました。今朝も全く二日酔いはなく手稲教場の詩吟もちゃんとやってきました。

 小川さん11月で退会することになっていて、今日思いとどまれないか打診してみましたが無理なようです。残念です。


文化の日

2017-11-03 20:10:48 | 無題

 今日は文化の日でした。文化の日が制定されたころは、この日に文化的行事を設定することが多かった。

 苦い思い出がある。大学4年の時、父が校長だった田舎の青年団に私も入れていただきいろいろやっていた。この年町内の連合青年団の弁論大会が町の中央で開催され、私も所属していた青年団の代表として弁論大会に参加することになった。自信はあったのです。しかし、最初の一文を発した途端にものすごい野次が飛び、そういう場面を全く経験も想定もしていなかった私はひどい衝撃を受け、弁論がしどろもどろになってしまったのです。それ以来弁論はやったことがありません。こんなに惨めな思いをしたのも今までに有りません。

 これは生涯忘れることはないでしょう。寒い日でした。小雪の舞う日だったことを思いだします。

 手稲の文化祭もこの文化の日にふさわしい行事として立ち上げられ、しばらくは11月3日に開催していたのですが、文化の秋ということで10月に開催する方が何かと都合が良いということになり、多くの行事が10月に行われるようになって手稲文化祭も10月に定着した。


今日は9月13夜です

2017-11-02 19:49:24 | 詩吟関係

 月が一番美しいのは当然満月ですが、次に美しいといわれるのが13夜です。晩秋の名月13夜、先ほど窓を開けてみたらきれいに輝ていました。

 上杉謙信の「9月13夜陣中の作」は、能登半島の七尾城を落とした時の詩です。此の詩の転句は「越山併せ得たり能州の景」となっています。既に手中に在る越後、越中に今能州を併せ持つこととなったというのですが、ここだけを見ると、能登を攻略したことになりますが、これは今まで謙信と手を結んでいた三宅備後、長続連らが信長と気脈を通じ、七尾城に拠ったことをとがめ、特に加賀は上京するときの経路でそこをふさがれることは許されなかったからでした。一方勢力を拡張してきている織田を許すこともできなかったのです。此の翌年織田との決戦にどむべく兵を春日山に集結して出陣しようとしたとき急病で亡くなったのです。

 又「春日山懐古 大槻盤渓」で結句に「平安城外の花を詠ぜざりしを」という表現がありますが、ここも見方によっては天下人にならなかったのを惜しむように聞こえますが、上杉謙信は、滅亡寸前の足利義輝を助け、幕府を再興するために尽力していたので天下人になることを目指していたのではないのです。この足利義輝を京から追放したのは織田信長だったのです。


健幸くらぶ  詩吟

2017-11-01 20:32:18 | 詩吟関係

 今日は4人の稽古でした。前半「不識庵機山を撃つの図に題す」「春日山懐古」をやりました。既に一度やっている吟題です。その時、健幸くらぶ詩吟の会が発足してからもう10年になることが分かりました。当初の会員からお二人が他界しています。

 この吟題を扱い、上杉謙信とそれ以降の上杉について、豊臣秀吉によって会津に移され、徳川家康によって山形の米沢に移されたことを話してあげました。

 戦国大名の中で侵略の戦をしなかった上杉家のあり方は謙信によって作られたものです。戊辰戦争で政府軍が山形を攻撃したけれど、攻めきれずに会津に矛先を向け、会津が攻め落とされたのちに山形は政府軍に恭順したのでした。結果、会津は新政府にひどい処分がなされ、山形は手厚く扱われることになったのです。この吟題を扱うときはこのあたりのことを話してあげれるようにしたいものです。

 最後「名槍日本号」を独吟と合吟で稽古してみました。先日まで5本でやらせていた向谷さん、文化祭の 合吟で6本をこなせていたので、ひょっとして7本でもやれるのではと思ってやらせてみたら楽勝でできました。12月の研修会に詩吟を発表してほしいと頼まれていますので、一つはこの「名槍日本号」の合吟にすることにしました。