小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

海外ボランティア活動での事故死と生活保護需給申請の急増

2011年11月13日 | 社会戯評
「難民を助ける会」の会員の一人が、トルコの地震で、救援活動の最中に、余震で、亡くなったそうである。何とも、筆舌に尽くせぬ悲惨なニュースである。高邁な理想と行動力を実践しながら、不条理な死である。我々の若い頃は、せいぜい、肉体労働や単純作業の提供や、社会勉強目的でのアルバイトに、一寸、毛の生えた程度の単純労働型社会貢献(もっとも、クラブに、資金提供するのが、原則であったが、、、、)くらいであった。近年は、災害ボランティアや、NPO活動への積極的な活動参加や、これを目的としたツアーまでも、募集されていると聞く。一方、昭和26年以来と謂われる生活保護受給者の急増は、何とも、対照的な事実である。戦後の混乱期を除くと、生活が豊かになったといわれて久しいが、実態は、どうやら、そんな単純な事ではなさそうである。セイフティー・ネットの確保や、公的就業支援フォローもさることながら、労働意欲があっても、ミス・マッチから、安易に、生活保護を受給申請することにも、なるそうである。田舎で、それこそ、レタスの収穫作業を目にすると、いくらでも、労働意欲さえあれば、就労の場は、何処にでもあるように見受けられるが、現実は、そうではないらしい。制度上の問題なのか、運営の問題なのか、それとも、あくまで、個人の意欲の問題、自己責任なのか、首根っこを押さえつけて、強制する訳にもゆかず、「自発性・自主性」というややこしい問題の中で、志半ばで、不条理に、死ななければならなかった人間と、労働意欲はあるが、生活保護受給を申請する人間とは、いつ、どこから、どのように、枝分かれしてしまったのか?ふと、考えざるを得ない。