小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

病と聞いて=命の洗濯、別の視点

2011年11月30日 | 社会戯評
長い間のビジネス上での知り合いが、心臓弁膜症で、手術が必要だと本人から伺った。リタイアーしてから、これからだというにも関わらず、病に倒れて、亡くなられたり、或いは、それ以前に、仕事上の激務やストレスからなのだろうか、何人もの人達が、既に、鬼籍に入られていることが想い出される。或る人は、ゴルフ場で、心筋梗塞で、又、或る人は、大腸ガンや肝臓ガンの末にと、お酒が好きだった人も、たばこを吸わなかった人もと、その顔が想い出される。加齢とともに、60歳を過ぎると、何処かしこが、傷んでくるものである。所謂、「積年の金属疲労」が、顕在化してくるものである。未だ、後期高齢者でもないのに、今や、自分も軽度の歩行弱者の仲間に、早々、足を踏み入れてしまった。精神的な統合失調症やら、加齢による眼球の圧迫が原因の黄斑点網膜症やら、総合的であれ、体の個別パーツであれ、何処かしこに、肉体的にも、精神的にも、違和感が出てくるものである。医療技術が進歩したから、現状維持や、日帰り完治手術も、可能になってきたが、病を得て後、改めて見えてくる眺望・視点を、しばし、愉しむのも、又、意義深いものがあろう。とにかく、馬車馬のように、競争社会の中で、最前線をまっしぐらに、駆け抜けてきた人達には、一時の安らぎと、「塞翁が馬」ではないが、立ち止まって、禍を福となす準備が、気持ちの上だけでも、欲しいものである。「命の洗濯」とゆきたいものである。それにしても、いつの時代にも増して、世の中の動きが、異常に早過ぎると感じるのは、私だけであろうか?。実は、腰の痛みの原因は、脳のストレスだという説があるとか、最新の研究では、分かってきたと謂うが、本当であろうか?