ニューヨークのカーネギー・ホールでの辻井伸行によるコンサート・リサイタルで、その観客からのカーテンコール・アンコールに応えて、「それでも、生きて行く」という東日本大震災の復興を願って作曲された演目の演奏中に、彼が、大粒の涙を流しながら、必死に、演奏していたと報じられたが、一体、その涙は、何であったのであろうか?音楽の力、演奏の力、唄の力とは、何なのであろうか?子供の頃、記憶の片隅に、耳の奥の何処かに、かすかに記憶されているあの頃の焼け野原や、闇市の雰囲気、「りんごの唄」や、「青い山脈」ではないが、音楽や演奏や唄には、時空を超越して、直接的に、民族や皮膚の色をも乗り越えて、心に、訴えかける何かが、あるようである。言葉とも違い、目が見えなくとも、耳から、心に迫ってくる何物かが、あるようである。ブログを介して、知りたった中国系アメリカ人の熱心な辻井伸行ファンのサイトにも、カーネギー・ホールでの当日のリサイタルでの感動の模様が、ひしひしと、伝わってくるものがある。是非、一度、訪問してみて下さい。音楽には、実質的に、「開き盲」の自分などは、心して、「心の目」を見開いて、聴かなければならないかも知れません。
https://sites.google.com/site/nobufans/
https://sites.google.com/site/nobufans/