小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

喪中葉書におもう=ある友人の娘さんの死

2011年11月23日 | 社会戯評
毎年、11月下旬から12月初旬に掛けては、友人から、喪中葉書を何通も戴くが、最近では、ご両親が、皆高齢になり、やや、減少してきた感がなきにしも非ずではある。中には、白寿で、天寿を全うされたという喪中葉書や、伴侶を病気で亡くしたというものも戴いたりするが、ある友人からは、3番目の末の娘さんが、ごく最近、享年20歳で、他界された旨のことが,短く、父親の名前の下で、送られてきた。どういう原因で、亡くなられたのか、分からないが、何とも、哀しい、痛々しい知らせである。毎年、年明け頃に、食事をしながら、近況報告をしあう間柄ではあるが、電話で、お悔やみを伝えるのにも、未だ、憚られる。理由はともあれ、自分の体験からは、似たような例を2度程、経験している。一度目は、今から、約40年も前の学生時代、友人の自死の時のお父様・お母様の悲嘆を目の前にしたこと。二度目は、同い年のニュージーランド人のクライアントの娘さんが、医師の勤務中に、持病の喘息の発作に、耐えきれずに、同じく、自死してしまった時、同い年の娘がいた私には、その哀しみが、他人事ではない気がしてならなかった。子供がなければ、ないで、心配になり、授かれば、授かったで、受験は、いじめに遭わないか、ぐれたりはしないか、交通事故に遭わないか、等の心配をし、結婚しなければ、しないで、どうなってしまうのかと、いずれにしても、一喜一憂、心配する。煩悩は、果てしなく、「諸行無常」とは、よく、言い得たものである。死亡の理由は、ともあれ、順番を覆して、先に、子供が、或いは、長年連れ添った伴侶が、自分を置いて、先に逝ってしまうことは、何とも、哀れで、切ないものがある。やはり、結婚祝いの通知や、赤ん坊が、出来た知らせの写真が、晴れがましくて、元気が出て宜しいと思う。どう、お悔やみを伝えたらよいのか、誠に、悩ましい次第である。私としては、今は、ご冥福を祈るほかない。時間を少し、おいてから、お目にかかりたいものである。同じ父親として、、、、、、。その心境は、察して、余りあるものがある。