◆女王と一体に
結局、起床の午前4時まで眠らなかった。起床後の座禅は、あまりよくなかった。しかし、10日目は、朝食の時間で修行は終わる。実質9日目が修行の最終日だ。よくないなりに気持ちは真剣であった。朝食後も、よくなかったが、やはり必死の瞑想を続ける。
ダンマトークのあとも必死の瞑想をつづける。昼食時間に近くなったころの座禅のときであった。しばし夢のイメージのような妄想を追っていた。そのとき再びあの女子生徒の姿が浮かんだ。彼女が、両手を上にかかげている。なぜか彼女が女王の衣装に身を包んでいる。いや昔話の女王というより、美人コンテストの女王の衣装にも見えた。栄光に両手をかざしているのだ。「えっ、彼女が栄冠を?」と思った(失礼!)。と思う間もなく、その女王に私が重なっていった。またまた「なぜ、私が女王になるんだ」という戸惑いがあった。しかし、体には解放感が広がっていた。体がどんどんと弛み、楽になっていく。その解放感のなかで昼食の合図の鈴が鳴った。
他の参加者と列を作りつつ、ゆっくりと階段を降りて行く。「今のはなんだったのか」という思いが頭を占めている。それでも「離れた」「進めた」と足の動きにサティをしつつ階段を降りる。一瞬、キングのイメージが頭をかすめた。トランプのキングだった。そのイメージとともに「もう、これと対抗する必要はないんだ」という思いが走った。「そうだったんだ」という納得感があった。
◆王と女王
昼食の前半は、女王と一体になった体験と、キングのイメージのことが気になり、ほとんどサティにならなかった。しかし、体験の意味はいまやはっきりとした。私はずっと、自分のなかの女性的なものを嫌い、否定し、押さえつけて来たのだ。しかし、女性的なものは、最高度の男性的なもの(キング・王)となんら劣るものではない(女王)。まったく対等と見なしていいのだ。一連のイメージは、それを語っていた。私のなかの女性的なものを卑下せず、拒否せず、ありのままに受け入れるならば、優れて男性的なもの(キング)と自分の女性的なところを比較して劣等意識を持ったり、無理に対抗したりする必要はもうないのだ。むしろ王と女王とは一体なのだ。ここまで分かって、私はとても楽になった。自分のなかの女性的なものの、本当の受容が起こった感じがした。
結局、起床の午前4時まで眠らなかった。起床後の座禅は、あまりよくなかった。しかし、10日目は、朝食の時間で修行は終わる。実質9日目が修行の最終日だ。よくないなりに気持ちは真剣であった。朝食後も、よくなかったが、やはり必死の瞑想を続ける。
ダンマトークのあとも必死の瞑想をつづける。昼食時間に近くなったころの座禅のときであった。しばし夢のイメージのような妄想を追っていた。そのとき再びあの女子生徒の姿が浮かんだ。彼女が、両手を上にかかげている。なぜか彼女が女王の衣装に身を包んでいる。いや昔話の女王というより、美人コンテストの女王の衣装にも見えた。栄光に両手をかざしているのだ。「えっ、彼女が栄冠を?」と思った(失礼!)。と思う間もなく、その女王に私が重なっていった。またまた「なぜ、私が女王になるんだ」という戸惑いがあった。しかし、体には解放感が広がっていた。体がどんどんと弛み、楽になっていく。その解放感のなかで昼食の合図の鈴が鳴った。
他の参加者と列を作りつつ、ゆっくりと階段を降りて行く。「今のはなんだったのか」という思いが頭を占めている。それでも「離れた」「進めた」と足の動きにサティをしつつ階段を降りる。一瞬、キングのイメージが頭をかすめた。トランプのキングだった。そのイメージとともに「もう、これと対抗する必要はないんだ」という思いが走った。「そうだったんだ」という納得感があった。
◆王と女王
昼食の前半は、女王と一体になった体験と、キングのイメージのことが気になり、ほとんどサティにならなかった。しかし、体験の意味はいまやはっきりとした。私はずっと、自分のなかの女性的なものを嫌い、否定し、押さえつけて来たのだ。しかし、女性的なものは、最高度の男性的なもの(キング・王)となんら劣るものではない(女王)。まったく対等と見なしていいのだ。一連のイメージは、それを語っていた。私のなかの女性的なものを卑下せず、拒否せず、ありのままに受け入れるならば、優れて男性的なもの(キング)と自分の女性的なところを比較して劣等意識を持ったり、無理に対抗したりする必要はもうないのだ。むしろ王と女王とは一体なのだ。ここまで分かって、私はとても楽になった。自分のなかの女性的なものの、本当の受容が起こった感じがした。