瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

瞑想合宿レポート16

2005年01月23日 | 瞑想合宿レポート
◆天女となる
8日目昼食後の歩行瞑想も似たり寄ったりの状態だった。そのあとの2回の座禅は眠けが多く、半ば夢のような妄想に巻き込まれていた。

午後3時頃から再び座禅。前半がどんな座禅だったかは覚えていない。確かに覚えているのは、これまで何回も出現していた、あの女子生徒のイメージが再び現れたことだ。そして突然、女座りに座っている彼女のイメージのなかに私が重なっていった。一瞬、「えっ」とびっくりし、女性に重なっていく自分に戸惑いを感じた。

その瞬間、女子生徒と重なった私が天女になり、空に舞い上がっていった。依然として戸惑いを感じていた。そして、このまま天女となって空を舞うか、イメージにサティを入れるか迷った。サティを入れると、イメージは消えた。そして再び腹の動きへのサティに戻った。しかし、からだの力みが一気に抜けたかのように楽で、気持ちよく、呼吸も楽になっていた。周囲の音が遠のき、辺りが明るくなっているような気がした。腹の動きにサティしながら、その状態がしばらくして続いた。

座禅を解き部屋を出て階段を降りた。トイレに行った記憶がある。トイレのなかで先ほどの体験のことを考えた。サティを忘れ思考モードになっていた。そうか、女子生徒は私のアニマの投影だったのか、と思った。彼女と重なっていったのは、抑圧していた私のアニマと結合するイメージだったのかもしれない。だとしたら天女になったのはどういうことか。天女を吉祥天だとは意識していなかった。天女になって空へ舞い上がるイメージだけがあった。

座禅を解いた後の私には、しかし、座禅中の解放感はなかった。何か割り切れない感じ、すっきりしないものが残っていた。もしあのイメージが、何かしら抑圧されたものの解放につながっていたのなら、もっと解放感があっていいはずだ、と思った。

◆アニマ
アニマの解説を少し。ユングは、夢に出現する異性像を、アニムス・アニマと呼んで重視した。男性の夢に出現する女性像がアニマであり、女性にとっての男性像がアニムスである。男性にとっての外的態度(ペルソナ)は、力強く、論理的であることが期待される。しかし、彼の内的な態度は、弱々しく、非論理的かもしれない。このように一般に望ましいと考えられる外的態度から締め出された面が、抑圧されて夢の女性像として現れる。ペルソナとアニマは相補的なのである。「影」は、自分と同性の人物として人格化されることが多い。
コメント
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