瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

瞑想合宿レポート8

2005年01月10日 | 瞑想合宿レポート
(昨日分に一部書き直しあり)
◆何度も繰り返す愚かさ
その瞬間に頭頂からスーッと気が通る感覚があった。体が緩み、抵抗なく体中で気が出入していた。声は出さなかったが、笑い出したい気分だった。何かしら神秘な瞑想体験、深い禅定や瞬間定を求める心の大ウソ、エゴのまやかし。小さなエゴのケチな欲求。そんなものはくそ食らえだ。何かがストーンと落ちた爽快さがあった。

しかし、次の瞬間にはすでに戸惑いがあった。瞑想を求める心のなかにやはり深い渇愛があった。ない、ないと思っていたけど、やはりあったのだ。とすれば私は何をすればいいのか。何も求めない心でサティをすればいいではないか。でも、瞑想を始めればまた、求める心が出てきてしまいそうだ。せっかくその愚かさを実感したのに、再び巻き込まれ、瞑想ができず、サティが入らず、苦しむのではないか。そんな戸惑いだった。

合宿に入って何回か、同じことを繰り返してきた。ひとつの渇愛に気づく。急にサティが入るようになる。そうすると、今度こそもっと深い瞑想ができそうだという次の渇愛に囚われる。そして瞑想がダメになる。その繰り返しだ。

だから、また同じことを繰り返しそうだ。その愚かさよ。しかし、深い禅定をもとめるエゴの自己満足、その滑稽さをこうして実感したからには、たとえまた渇愛に囚われても、再びここに戻ってくるだろう、何度でもここに戻ってくればいいのだ。そう思って再び瞑想を始めた。

トイレで、「今度こそうまく行きそうだ」と再び思っている自分に気づいた。そこにはすでに渇愛の心が忍び込んでいた。「また同じことをやっている」と一人で思わず笑ってしまった。しかし、その後の座禅は、就寝までずっとよい状態が続いた。サティが安定的に入るようになった。4日目にしてようやく瞑想が軌道に乗り出したのだ。
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