seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

愛を読む人 朗読者

2009-08-17 | 映画
 書店の入り口、とりわけ人目につく場所に村上春樹著「1Q84」のコーナーがあり、いくつもの関連本が平積みになっている。
 ひと月ほど前から、チェーホフの「サハリン島」の何種類かの翻訳が並んでいるのも「1Q84」にチェーホフの同作品が引用されていることの影響だろう。きっかけはどうであれ、絶版になっていた作品が復刻され、多くの人に読まれるようになることは喜ばしい。
 それにしても、「1Q84」をめぐる出版界の動向をみていると、さながら「ムラカミ産業」とでも多少の皮肉をこめて呼んでみたくなるほどだ。
 今月になって、ちくま文庫から「チェーホフ短編集」(松下裕編訳)が出たのもそうした流れの一環だろうか。
 それはともかく、同書には私の大好きな「中二階のある家」や「犬を連れた奥さん」といった作品が収録されているし、活字も大きめのポイント仕様でうれしい限りだ。休日の楽しみとしてこの上ない。

 さて、その「犬を連れた奥さん」が重要な意味を持つ映画が、スティーヴン・ダルドリー監督作品「愛を読む人」である。
 この作品は主演のケイト・ウインスレットがアカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得した記憶も新しく、原作本のベルンハルト・シュリンク著「朗読者」は40ヶ国語に翻訳された世界的ベストセラーであり、わが国でも海外文学としては異例のミリオンセラーとなっているから、多くの人がその概略は知っているのではないかと思う。
 映画は、実に素晴らしい作品であると同時に、多くのことを観客に感じさせ、考えさせる。
 中年となった主人公マイケルを演じるレイフ・ファインズが原作以上に脚本に惹きつけられ、「この脚本は非難、裁き、罪、愛、性についての非常に複雑な感情の問題をバランスよく捉えている」と評しているように、本作は映画が原作を凌駕してその意味を露わにした稀有な例ではないかと思う。
 原作では語り手のマイケルの視点から描かれているために曖昧だったり、ぼかされたりしている部分がより明確になり、深みが増しているのだ。

 裁判の場でケイト・ウインスレット演じるハンナが裁判長に向かって言う「あなたなら、どうしましたか?」という問いかけは重いが、これは単なる断罪が主題の映画ではない。
 マイケルがハンナを愛しながら裏切られたある種の被害者であると同時に、彼女に人間としての同情を抱き、さらには真実を知りつつも沈黙のまま裁く側に立たざるを得ないという立場に引き裂かれたように、この映画は、複雑な色合いをもって歩み寄ることも去ることもできない主人公たちの感情とその人生をくっきりと描き出しているのだ。

 さて、「犬を連れた奥さん」が映画の中でどのように現れるかは見てのお楽しみ。
 そこには単純に決め付けのできない謎がある。映画を観た人と一緒にじっくり話し合いたいテーマだ。