ミュージカル「ひめゆり」を観た話は前回書いたばかりだが、上演会場の劇場「シアター1010」にはその建築途中に見学をさせていただいた思い出があり、なつかしく感じた。
あれはもう5年以上も前になるのか。当時、ある劇場の建設にスタッフの一人として関わっていたことから、再開発手法による建築のあり方やら他のテナントとの合築による方法やら勉強する必要があったのだ。
オープニングセレモニーにも顔を出させていただいたのだが、あれからいろいろなことがあったのだなあと改めて感じてしまった。
劇場の床の傷にもすでに歴史が刻まれているのを見て、過ぎ行く時の酷薄さを感じたものだ。
さて、昨日、7月10日は選挙戦の最終日。
池袋東口駅頭でどこやらの党首が大演説をぶちあげているのを横目に、ノンフィクション作家で地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の編集人である森まゆみさんの話を聞く少人数の会に参加した。
あしかけ27年続いたという「谷中・根津・千駄木」は昨秋終刊となったが、「終わったのではなく、違った形で進んでいく」のだとのこと。
文庫にもなっている著書「谷根千の冒険」を読むと、地域雑誌というフィールドや仲間とのコラボレーションが一人の女性を作家として鍛え上げていく基盤となっていたことがよく分かる。
プライド・オブ・プレイス(町の誇り)を取り戻すための戦いの記録でもあるこの著作は、町おこしや文化政策をめざすあらゆる人々にとって必読の教科書になり得るものだと思う。
さて、投票日となった今日のこと、その谷根千の根津とは無関係ながら、南青山の根津美術館に「いのりのかたち~八十一尊曼荼羅と仏教美術の名品」展を観に行った。
美術館の持つ公共的役割については改めていうまでもないことなのだけれど、こうした私的コレクションの厚みや建築物としての美術館の素晴らしさをまざまざと見るにつけ、「公」の担い手のあり方について深く考えざるを得ない。
事業仕分けに伴う一連の騒動や、政権が不安定になることによる文化政策の方向性への影響等を考えると、いっそ国や自治体は文化行政から潔く手を引くべきなのではないだろうかとさえ思えるのだ。
もともとそこには、明確な方向性などなかったのかも知れないのだが。
あれはもう5年以上も前になるのか。当時、ある劇場の建設にスタッフの一人として関わっていたことから、再開発手法による建築のあり方やら他のテナントとの合築による方法やら勉強する必要があったのだ。
オープニングセレモニーにも顔を出させていただいたのだが、あれからいろいろなことがあったのだなあと改めて感じてしまった。
劇場の床の傷にもすでに歴史が刻まれているのを見て、過ぎ行く時の酷薄さを感じたものだ。
さて、昨日、7月10日は選挙戦の最終日。
池袋東口駅頭でどこやらの党首が大演説をぶちあげているのを横目に、ノンフィクション作家で地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の編集人である森まゆみさんの話を聞く少人数の会に参加した。
あしかけ27年続いたという「谷中・根津・千駄木」は昨秋終刊となったが、「終わったのではなく、違った形で進んでいく」のだとのこと。
文庫にもなっている著書「谷根千の冒険」を読むと、地域雑誌というフィールドや仲間とのコラボレーションが一人の女性を作家として鍛え上げていく基盤となっていたことがよく分かる。
プライド・オブ・プレイス(町の誇り)を取り戻すための戦いの記録でもあるこの著作は、町おこしや文化政策をめざすあらゆる人々にとって必読の教科書になり得るものだと思う。
さて、投票日となった今日のこと、その谷根千の根津とは無関係ながら、南青山の根津美術館に「いのりのかたち~八十一尊曼荼羅と仏教美術の名品」展を観に行った。
美術館の持つ公共的役割については改めていうまでもないことなのだけれど、こうした私的コレクションの厚みや建築物としての美術館の素晴らしさをまざまざと見るにつけ、「公」の担い手のあり方について深く考えざるを得ない。
事業仕分けに伴う一連の騒動や、政権が不安定になることによる文化政策の方向性への影響等を考えると、いっそ国や自治体は文化行政から潔く手を引くべきなのではないだろうかとさえ思えるのだ。
もともとそこには、明確な方向性などなかったのかも知れないのだが。