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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

夏の嵐/わたしのすがた

2010-11-14 | 舞台芸術
 昨日、今日の2日間、久しぶりに風邪を引いてしまったのか、熱っぽく頭痛がして、どうにも身体が衰弱したようでベッドに臥せってばかりいた。
 途中、必要があって買い物に出かけたのだったが、人だかりの中を電化製品の売り場を歩いている時に足元の荷物置き場に気がつかずに足を引っ掛けて転んでしまった。
 その瞬間、あ、転んでしまう、という意識は確かにあって、態勢を維持するために近くにあった棚か何かにしがみつこうと手を伸ばしたのだが、それはどうやら台車に製品の箱を積み上げたものだったようで、そのままずるずると体重を預けたまま床に身体を投げ出す恰好で倒れこんでしまったのだ。
 それだけ身体感覚が正常ではなかったということなのだが、そうした一部始終を自分なりに覚えていて、と言うか、それをどこか遠くから眺めているもう一人の自分がいる、という感覚にとらわれて、どこか他人事のようにその状態を楽しんでいたのだ。
 それは、衰弱した肉体のダンスのようでもあった。

 私はその瞬間、数日前に観た土方巽の舞踏公演の様子を映画化した「夏の嵐」のワンシーンを思い出していた。それは今月いっぱい、池袋・西巣鴨を中心に展開されている舞台芸術の祭典「フェスティバル/トーキョー」の一環として上映されたもので、今手元にパンフレットがないので記憶だけで書くと、たしか1973年に京都大学西部講堂での上演の様子を8ミリフィルムで撮影されたものを映画として再編集した作品である。
 その公演は、土方が観客の前で踊った最後の姿でもあった。

 私は土方巽の生の姿を一度も観ていない「遅れてきた世代」の一人なのだが、当時、リアルタイムとしては篠田正浩監督の映画「卑弥呼」に土方とその舞踏集団が出演していたのを新宿アートシアターで観ていて、洩れ聞こえてくる映画の撮影秘話などを耳にしながら大いに残念がっていたものだ。
 いま思い出してみると、当時は芦川羊子と白桃房やアリアドーネの会といった女性ばかりの踊り手による舞踏公演はよく観ていたし、土方が根拠地としていた目黒の「アスベスト館」にはよく通っていたのだけれど。

 さて、西欧のバレエが健康的で伸び上がる姿勢によって天上を志向するものだとすると、土方が創った舞踏は、病んだ身体/衰弱した肉体が大地に引き寄せられるかのように見える。これは世界観を転換するような発見であり、新たな創造なのだ、というようなことを映画の解説をした石井達朗氏が言っていたが、私もまったく同感でそのことはもっとよく考えてみたいと思う。

 さて、もう一つ、私がベッドに臥せって思い出していたのが、同じく「フェスティバル/トーキョー」の演目の一つ、「わたしのすがた」(構成・演出:飴屋法水)である。
 これを「演劇」といってよいのかどうか、様々な意見があるだろうが、少なくとも「演劇的体験」であることは確信を持って言えるだろうと思う。
 観客は、一人ずつ時間を区切りながら出発し、巣鴨・西巣鴨地域のいくつかの場所を示された地図をもとに経巡るのである。それは廃校の校庭に出現した巨大な穴であったり、今は打ち捨てられた廃屋のなかのかつてそこにあったはずの生活の記憶やモノの残滓であったり、ある宗教的な趣のある建物の部屋のなかに浮かぶ得体の知れないモノ、あるいは今は使われなくなった診療所のベッドに並べられた人骨、床に並べられた古着、意味不明のメモ書き、突如現れる土くれであったりする。
 それらと向き合いながら、観客はまさに自分自身と出会うのである。

 誤解を恐れずにいえば、演劇をはじめとする芸術の多くは観る者に受容することを強要する。現代演劇はそこから脱構築しようとして、観客の想像力/創造力を刺激しようと多様な手法を使っているが、それらの体験は観客の立場からは基本的には受容すること・インプットすることである。
 多くの芸術体験においてそのことが拭いがたいそれが不満なのだが、この「わたしのすがた」が素晴らしいのは、その「場」に身をさらすことによって自然にアウトプットが湧き出してくるような「体験」を観客にもたらすことではないだろうか。
 目の前にあるものが目的なのでも問題なのでもない。
 個々の観客のなかに姿をあらわす何ものか、それこそがここでの「表現」である、と言えるのではないか。そう感じるのだ。
 そこには創り手も演じ手も観客もいない。「表現されたもの」だけがある。

 朦朧とした夢とともにベッドに寝そべる私のなかには、私が訪れた廃屋のじめじめとした暗い部屋の朽ちた箪笥の傍らで蹲り踊る土方巽の姿があった、と言えば、それはあまりに話をまとめすぎだと笑われるだろうか。