先日、テレビで往年の角川映画で、薬師丸ひろ子、松田優作主演の「探偵物語」を放映していて、思わず見入ってしまった。この二人はやはり得難い俳優なのだということを再認識した。特に薬師丸ひろ子のような独特の空気感を出せる若い女優はなかなかいるものではない。
それはそうと私が興味を惹かれたのは、そう言えば、この映画が作られた1983年頃にはまだ携帯電話なんてものはなく、主人公たちの連絡手段として公衆電話が大活躍していたということであった。
今ならさしずめ携帯電話やメールで簡単に連絡を取り合うところだが、相手の居場所が分からず連絡がなかなか取れなかったり、すれ違ったりと、このやきもきとする不便さがドラマを生んでくれていたのだ。
時代の変化で仕方のないことなのだけれど、おそらく30年以上前のミステリーや恋愛ドラマの多くが、今だったらあり得ない設定となっているのではないだろうか。
それはある意味で味気ないことでもあるだろう。
ちなみに、この映画が作られた2年後の1985年にNTTが肩から下げる大型の携帯電話、ショルダーホンを発売している。
この頃は手紙も原稿書きももちろん手書きが主流だった。ようやく仕事場のオフィスにワープロ機が何台か導入された頃ではなかったか。
前回、阪神淡路大震災からすでに16年が経ったということに触れたのだが、世の中の変化ということを考えるとき、この1995(平成7)年が一つの転換点であったという気がする。
この震災をきっかけとして、携帯電話が非常時に役立つということがクローズアップされたため、家族を口説いて購入するインセンティブとなったのだ。
同年7月にはPHSがサービスを開始、9月時点の携帯電話の普及は650万台であったという。また、この年にはウィンドウズ95が発売され、パソコンが一般家庭にも浸透しはじめたように思う。
翌1996年、ヤフー株式会社がアメリカのヤフー・コーポレーションと日本のソフトバンク株式会社によって共同設立され、Yahoo!JAPANが商用の検索エンジンとしてサービスを開始している。
2000年には携帯電話の加入台数が5000万台を超え、固定電話を上回った。2007年にはそれが1億台を突破している。
同じく2000年にISDNの定額制サービスが登場し、インターネット人口は以後増加の一途を辿ることになる。
Yahoo!JAPANがサービスを開始した1996年から2年間の総ページビュー数は1000万PVだったそうだが、2009年時点でのそれは何と月間で約480億PVにも及んでいるという。
まさにこうした携帯機器やインターネットサービスの普及は、人々の生活から仕事のあり方まで何もかもを暴力的なまでに大きく変えてしまったようだ。
今ではツイッターが世界を変えつつある。
若者がツイッター上で行った政権への退陣要求がエジプトでの国民的な運動に広がったと言われるように、この小さなつぶやきが実に大きな力を持つに至ったのだ。
とは言え、考えてみれば1年ちょっと前まで、このツイッターはまだそれほど普及してはいなかったはずだ。それが今では、映画・演劇・展覧会の評判はもとより、政治ネタ、商品の口コミ宣伝等への反映、育児から介護までの様々な情報が飛び交うなど、そのつぶやきは世界中に満ち溢れるようになっている。
こうした情報コミュニケーション技術の発達とともに私たちの生活が本当に豊かになったのかどうか、自問してみたい。
コミュニケーションのための道具の発展とともに、まさにコミュニケーションの希薄化が始まったという気がしているのは、私ばかりではないだろう。
先日、ある劇団の稽古場を覗いた時、出番のない若い役者たちがみな携帯のメールチェックにいそしんでいるのを見て唖然とした。
口うるさく言うつもりはないけれど、これでは集中も何もあったものではない。
稽古場から携帯を追放せよと叫びたい。
それはそうと私が興味を惹かれたのは、そう言えば、この映画が作られた1983年頃にはまだ携帯電話なんてものはなく、主人公たちの連絡手段として公衆電話が大活躍していたということであった。
今ならさしずめ携帯電話やメールで簡単に連絡を取り合うところだが、相手の居場所が分からず連絡がなかなか取れなかったり、すれ違ったりと、このやきもきとする不便さがドラマを生んでくれていたのだ。
時代の変化で仕方のないことなのだけれど、おそらく30年以上前のミステリーや恋愛ドラマの多くが、今だったらあり得ない設定となっているのではないだろうか。
それはある意味で味気ないことでもあるだろう。
ちなみに、この映画が作られた2年後の1985年にNTTが肩から下げる大型の携帯電話、ショルダーホンを発売している。
この頃は手紙も原稿書きももちろん手書きが主流だった。ようやく仕事場のオフィスにワープロ機が何台か導入された頃ではなかったか。
前回、阪神淡路大震災からすでに16年が経ったということに触れたのだが、世の中の変化ということを考えるとき、この1995(平成7)年が一つの転換点であったという気がする。
この震災をきっかけとして、携帯電話が非常時に役立つということがクローズアップされたため、家族を口説いて購入するインセンティブとなったのだ。
同年7月にはPHSがサービスを開始、9月時点の携帯電話の普及は650万台であったという。また、この年にはウィンドウズ95が発売され、パソコンが一般家庭にも浸透しはじめたように思う。
翌1996年、ヤフー株式会社がアメリカのヤフー・コーポレーションと日本のソフトバンク株式会社によって共同設立され、Yahoo!JAPANが商用の検索エンジンとしてサービスを開始している。
2000年には携帯電話の加入台数が5000万台を超え、固定電話を上回った。2007年にはそれが1億台を突破している。
同じく2000年にISDNの定額制サービスが登場し、インターネット人口は以後増加の一途を辿ることになる。
Yahoo!JAPANがサービスを開始した1996年から2年間の総ページビュー数は1000万PVだったそうだが、2009年時点でのそれは何と月間で約480億PVにも及んでいるという。
まさにこうした携帯機器やインターネットサービスの普及は、人々の生活から仕事のあり方まで何もかもを暴力的なまでに大きく変えてしまったようだ。
今ではツイッターが世界を変えつつある。
若者がツイッター上で行った政権への退陣要求がエジプトでの国民的な運動に広がったと言われるように、この小さなつぶやきが実に大きな力を持つに至ったのだ。
とは言え、考えてみれば1年ちょっと前まで、このツイッターはまだそれほど普及してはいなかったはずだ。それが今では、映画・演劇・展覧会の評判はもとより、政治ネタ、商品の口コミ宣伝等への反映、育児から介護までの様々な情報が飛び交うなど、そのつぶやきは世界中に満ち溢れるようになっている。
こうした情報コミュニケーション技術の発達とともに私たちの生活が本当に豊かになったのかどうか、自問してみたい。
コミュニケーションのための道具の発展とともに、まさにコミュニケーションの希薄化が始まったという気がしているのは、私ばかりではないだろう。
先日、ある劇団の稽古場を覗いた時、出番のない若い役者たちがみな携帯のメールチェックにいそしんでいるのを見て唖然とした。
口うるさく言うつもりはないけれど、これでは集中も何もあったものではない。
稽古場から携帯を追放せよと叫びたい。