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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

論語と演劇

2011-02-13 | 言葉
 最近よく(といっても気が向いたときだけれど)論語をひもといてはその言葉を噛み締めている。
 論語と聞くと何だか説教くさくて堪らないと思っていたし、孔子という人物があまりに立派な出来すぎた御仁でなんとも鬱陶しい先生のように思えてならなかったのだが、いつだったか、日本経済新聞日曜の書評欄の名物コラム「半歩遅れの読書術」のなかで次のような読み方が披露されていて思わず納得してしまった。
 お書きになっていたのが誰だったのかすっかり忘れてしまったのだが、孔子が急に身近な人に思えてきたのだ。
 紹介されていたのはあまりに有名な次の言葉である。
 「子曰く、吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。」

 これは次のように読めるというのである。(記憶だけで書くので少しニュアンスが違っているかも知れないけれど)すなわち、
 「私は15歳になるまで学問などしようとは思わなかった。30歳になるまで自立できなかったし、40歳になるまで誘惑に負けてばかりだった。50歳になるまで自分の使命に気づきもしなかったし、60歳になるまで人の言うことなんかに耳を傾けなかった。70歳になるまで自分勝手に行動してはついつい行き過ぎて失敗ばかりだった」

 ・・・・・・どうだろう、急に孔子が悩み多き身近な友人のように思えてきたのではないですか?
 論語はまさに孔子がその生活の中で悩み、傷つき、失敗を重ねながら体得した言葉の積み重ねだったのである。そう思うと、説教ばかりと感じていた言葉の数々がまるで違ったもののように心に響いてくるのではないだろうか。
 
 思いついた言葉を並べてみると、次のようなものがある。
 「子曰く、父在せば其の志を観よ。父没すれば其の行いを観よ。三年父の道を改むる無くんば、孝と謂う可し。」

 私たちはついつい先人の教えからどうやって脱却しようと焦ってばかりいる。それをイノベーションとか改革とか格好良いことと思いがちだ。
 中村勘三郎さんが若い頃、先代の勘三郎さんから教えてもらった役を何とか自分流に変えようと苦心していたときのこと、
 「頼むからオレの目の黒いうちは教えたとおりにやってくれ」と云われたという有名な話がある。
 一方で、「伝統は革新の連続によって創られる」という意味の言葉もある。とりわけ伝統芸能の世界にいる方々から聞くことが多い。
 要するにこれはただ単に真似をしていろということではないのだろう。その志やめざすべきところ、その行いの底にある思想を受け継げということなのかも知れない。そう思うと、この言葉は限りなく深いものに感じられる。

 「子曰く、唯仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む。」

 これはどういうことだろう。
 誰もが公平な心と眼で正しい評価ができるわけではない。どれほど尊敬できる人生の先達であっても常に正しい情報を持ち、身びいきにならない公正な鑑識眼を持っているとは限らないということだ。まして周りには「巧言令色」の輩が跋扈している。悲しいことだけれど。

 「子曰く、父母に事えては、幾諫す。志の従わざるを見ては、又敬して違わず、労して怨みず。」

 尊敬すべき父親世代の扱いほど厄介なものはない。
 もしその行いや考えが正しくないときにはそれとなく諌めるが、それでも父母がそれを受け容れないのであれば、もとどおり敬意を払って従い、世話を続けて文句は言わない、ということだ。
 孔子も内心手を焼いていたのではないだろうか、その困って苦笑する顔が思い浮かぶようだ。

 芸術の世界において世代間の闘いはどうあるべきなのか。
 芸術は先行する価値観を乗り越えることによって新しいものが生まれる。それは宿命なのだ。であれば先人からの批判を畏れていてはならないだろう。

 10日付の日本経済新聞に野田秀樹氏のインタビュー記事が載っている。
 今の若者と接して感じることはと問われて、
 「自分の20代の頃と比べて傍若無人なのが減った。日本の文化全体を見ても元気がない。・・・80年代のサブカルチャー的なものを焼き直しているように感じることが多い」と答えたあと、その飽和状態をどう突破できると思うか、との問いに対し、次のように語っている。
 「たぶんそれは次の世代の仕事でしょう。僕にとっては不愉快なものかもしれないけど、いつか強い表現が出てくるだろうと思う。僕の若いときだって、上の世代からは不愉快に思われていたかもしれないので」

 その意見に賛同する。
 若い世代よ、がんばれ。大いに不愉快なもの、演劇はこうあるべき、こうあらねばならないといった既成概念を打ち壊す強い表現を創り出してほしいものだ。