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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

銀河鉄道の父/教師 宮沢賢治のしごと

2020-07-01 | 読書
 もう何日か前のこと、門井慶喜氏の直木賞受賞作「銀河鉄道の父」を寝っ転がるようなだらしない格好で読んでいたのだったが、途中からふと思い立っていわゆる黙読を音読に切り替えてみた。次第に自分でも調子が良くなって、そのうちそれが朗読のようなものに変わっていったようだ。言うなれば、目の前に仮想の観客がいるようなつもりになって、その人たちに対して読み聞かせるような読み方に気持ちも声量もシフトチェンジしたわけなのだが、これが実に楽しかったのだ。あっという間に1時間が過ぎ、それからさらに30分が過ぎてなお飽きるということがなかった。
 コロナウイルスの影響による緊急事態宣言が解除になる前のことで、家にこもってばかりで声を出すことも憚られるような気がして遠慮がちになっていた頃だ。たまたまその日、家にいるのが自分一人というタイミングもあったのだが、久しぶりに声を発することの感覚を味わうことが出来たように思う。それは単に発声するというだけのことではなく、文字に書かれたものを自分の身体を通して異なるものに変換することの楽しさといってよい感覚である。
 それを表現などということはとても面映ゆくてできないが、それでも俳優が俳優であろうとする時のメカニズムについて考えるきっかけにはなるかもしれない。今度じっくり考えてみようと思う。

 さて、当の小説「銀河鉄道の父」は、宮沢賢治の父、政次郎を主人公にした小説で、さまざまに葛藤しながらも結果的にそれこそ我が身を投げ捨てるかのように息子を溺愛してしまい、そのまた父の喜助からは「お前は父であり過ぎる」と評されるような男を描いた作品である。
 着眼点が面白く功を奏した小説だが、父親の視点から描いた分、宮沢賢治がもどかしいほどにいつまでも子どもで、わがままで頼りなくいささか矮小化されているようにも感じてしまう。ま、親から見れば子どもはいつまで経っても子どもなのだけれど…。

 「銀河鉄道の父」を読んだ後、賢治像の再確認ではないけれど畑山博著「教師 宮沢賢治のしごと」を読み返した。この本が発行されたのは1988(昭和63)年、今から32年前のことだが、当時はまだ賢治の教え子だった方たちが高齢ながらまだ存命で、そうした方々の証言と作家の推理をもとにこの本は書かれた。
 畑山氏が、「私が、この今の人生を全部投げ出してでも、生徒になって習いたかった先生でした。」という教師・賢治の姿にはこちらの心を強く鷲づかみにするような力がある。
 後記に書かれているように、「…賢治は、今でいう○×式の授業法に真っ向から反対し、イメージと、ゆとりと個性を尊重する、はじけるように生き生きとした授業を実践」したのである。
 それらの証言をもとに再現された授業の様子は感動的で、私はいつも読むたびに涙ぐんでしまう。
 私自身は相当なひねくれもので、人からものを習うのが大嫌いだし、師と仰ぐ人もいないに等しいのだが、こうした授業なら何を投げ打ってでも受けたいと思う。書かれたばかりの「風野又三郎」や「銀河鉄道の夜」を作者自身が読み聞かせてくれる授業なんて、何物にも代えがたい奇跡としか思えないではないか。

 もっともその賢治も教師に成り立ての頃は苦労したようだ。書簡の中で「授業がまずいので生徒に嫌がられて居りまする」と自身も書いているが、初めは慣れないせいか早口で生硬な授業しかできなかったとの証言もある。
 つまり、そうした反省をもとに賢治自身も授業のあり方や臨む姿勢そのものを大きくシフトチェンジしたということなのだろう。このように自らも学び成長していく教師を身近に感じることのできた教え子は幸せである。

 賢治が稗貫群立稗貫農学校教諭になったのは1921(大正10)年のこと。来年でちょうど100年になるのである。


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