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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

世界は何を奏でるか

2008-11-06 | Weblog
 保坂和志氏の新著「小説、世界の奏でる音楽」の「まえがき」に次のような文章がある。
 「・・・批判は知的な行為ではない。批判はこちら側が一つか二つだけの限られた読み方の方法論や流儀を持っていれば簡単にできる。本当の知的行為というのは自分がすでに持っている読み方の流儀を捨てていくこと、新しく出合った小説を読むために自分をそっちに投げ出してゆくこと、だから考えることというのは批判をすることではなくて信じること。そこに書かれていることを真に受けることだ。・・・」
 この言葉には深く共感させられる。そもそも私たちの周りには、それが芝居に対するものであれ、映画やアートに対するものであれ、批判的で独断的な言辞があまりに満ち溢れているように思われるからだ。それが対象とする作品の見方や感じ方を押し広げ、表現されたものを受容する私たちをさらに異なる位相や高みへと導くものであってくれればよいのだが、大抵は独り善がりで単純な決め付けに過ぎない。
 これは私自身の自戒をこめた反省でもあるのだが、確かに一つか二つの固定的な視点さえ持てば、観た芝居の悪口などいくらだって書くことができる。もっともそんな言葉は見るだに腹立たしいのだけれど。
 そうではなく、その芝居や映画をあらゆる角度から複眼的に見つめなおし、味わい尽くし、咀嚼しながら、この世界の中での作品の持つ価値や位置づけについて考えつづけること、素直に身をゆだねること。そんなことができたらなあと思うのだ。
 まずは信じること、受け入れること。そんな作品との出会いを期待して、今日も私たちは街を彷徨う・・・。

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