沖縄はきのう、慰霊の日を迎えた。
慰霊の日は「本土防衛の捨石」となって亡くなられた20万人に及ぶ方々を悼み、その沖縄の悲劇を後世に伝え、平和を誓う日。
沖縄戦最後の激戦地となった摩文仁の丘で開かれた追悼式で、安倍総理は米軍基地の負担軽減にふれ「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、できることはすべて行う」と約束された。
戦後69年もたった今も、その苦痛と痛みの記憶をかかえる県民の方々にとって「安倍総理の進める外交・安全保障政策」は、沖縄の方々の気持ちに寄り添うものと言えるだろうか。むしろ不安をかき立てているとしか言いようがない。言葉と裏腹のとおり一遍の追悼式のことばには空しさが伴うばかり。
それに対して追悼式における子ども代表の追悼のことば(詩)には自然に頭が下った。昨日ブログに、昨年の子ども代表の詩「へいわってすてきだね」が絵本になったと書いた。
今年の追悼式では、石垣市の小学3年生の増田健琉くんが「そらはつながっている」と題した詩を読み上げた。聞いているうちにしだいに瞼が熱くなってきた。
<遠くの空の下では/いまでもせんそうをしている国があるんだって>
<空はつながっているのに/どうしてかな/どこまでが平和で/どこからがせんそうなんだろう>
<せかい中の子どもたちみんなが/学校に行けますように/友だちとあそべますように/にこにこわらって/家族でごはんが食べれますように>
<きっとせかいは手をつなぎ合える/青い空の下で話し合える/えがおとえがおでわかり合える/おもいやりの心でつうじ合える/わけ合う心でいたわり合える/平和をねがう心で地球はうるおえる/
これこそ平和。平和こそ宝と信ずる子どもたちがいるのです。もろ手ををあげて応援したい。
今総理は立憲主義に抗いながら、7月初めには集団的自衛権やさらには集団安全保障の今までの憲法解釈を、閣議決定で変更しようとと焦っている。なぜ急ぐのですか。平和を愛してやまない子どもらを戦争へ向かわせるかもしれないのですよ。どうしても必要と仰るならば、閣議決定など姑息な手段でなく正々堂々と、憲法改正を国民に問いかけるべきだと思うがいかがでしょう。
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