未明の街を襲った阪神・淡路大震災から、17日でまる23年がたつ。震災で亡くなれた方は6434人。テレビには横倒しになった高速道路や、いたるところで燃えさかる火災、不安げな被災者の姿など悲惨な状況が、次々と映し出された。
訪れたことはないが、神戸市中央区の東遊園地には、亡くなった人の名を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」があることを、けさの新聞で知った。
広場では2年前から公募で決めた文字を竹灯籠で描いていて、今年1番多かったのは「伝」だったという。地震と火災でぐちゃぐちゃになった神戸の街の悲惨な状況や防災の知識や対策も、23年という長い年月で、人々の口からだんだんと遠ざかりつつある。だが、決して風化させてはならない。
2016年4月14日21時26分ころ、当地熊本で震度7を観測する地震が、さらに16日午前1時25分ころには、震度7の地震が昨日に続いて発生した。14日は前震、16日は本震と気象庁からの発表があった。また、前震の起きた後では最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生するなど、震度1以上の地震はその日だけで1000回を超え、益城町の全域で家の倒壊など大きな被害が出た。阪神淡路大地震に匹敵するほどの地震だったという。被災者は2年になろうとするいまもなお、仮設住宅やみなし仮設住宅で暮らしている。
その時の地震の恐怖といったらない。昨日のことのように思い出す。トラウマは今も消えない。当日のブログを読み返してみた。
熊本地震の余震が怖い(2016.4.14)
4月14日21時26分震度6強の地震が起きた。その後、震度3以上の余震は朝までに30回を超えた。お昼をすぎても収まる気配はない。震度3以下の余震を含めるといくつの地震が発生したことだろう。まったくわからず不安は増すばかりだ。専門家の話によると、この地震はいま活動期にあり活発な動きを見せていて、いつ収束するか見通せないという。
各地の被害状況が分かってきた。たくさんの家屋や橋などが倒壊し、犠牲者もかなりの数に上る。電気がつかない。断水したのは序の口。倒壊した家の下に閉じ込められ救助を待つ人も多い。救援活動は活発に行われているが何しろ数が多い。多数の死者も出ている。悲惨なものだ。
再びマグニチュード7.3、震度6強の大地震(2016.4.16)
下から突き上げるような揺れの後に、立っていられないほど大きな横揺れが来てベットの上で跳びあがった。16日午前1時25分ごろと同46分ごろ。熊本県で最大震度6強、地震の規模を示すマグニチュードは7.3。阪神淡路大震災と同じ強さの地震が起こった。1昨日(14日)の地震とは比べられないほど揺れている。
揺れがあってから約20分間、余震は間断なくまた切れ目なく続いた。その怖さといったらたとえようがない。築30年を超える老朽住宅に住むわたし、家の揺れるものすごい音を聞き、何することもできずに、ただ震えながら部屋の中にうずくまっている自分が腹立たしい。14日の地震発生からは恐怖の連続だ。死さえも考えた。
震度3以上の余震は朝までに30回を超えた。お昼をすぎても収まる気配はない。震度3以下の余震を含めるといくつの地震が発生したことだろう。まったくわからず不安は増すばかりだ。専門家の話によると、この地震はいま活動期にあり活発な動きを見せていて、いつ収束するか見通せないという。
各地の被害状況が分かってきた。たくさんの家屋や橋などが倒壊し、犠牲者もかなりの数に上る。電気がつかない。断水したは序の口。倒壊した家の下に閉じ込められ救助を待つ人も多い。救援活動は活発に行われているが何しろ数が多い。多数の死者も出ている。悲惨なものだ。
熊本観光のシンボル、熊本城の被害も甚大だ。天守閣のしゃちほこや瓦が飛んで消えてしまった。堅固なことの代名詞ともいわれた石垣や長塀が何カ所も崩れ、天下の名城も今や形無し。南阿蘇では大規模な土砂災害が発生し、国道57号線が遮断された。パワースポットといわれる阿蘇の大橋(通称赤橋)も崩落した。日本三大楼門の一つで重要文化財である阿蘇市の阿蘇神社の「楼門」と「拝殿」が全壊した。市内でも崩落寸前のビルがたくさんある。宇土市役所も崩落の危機を迎えている。