毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

春をいざなうツルの北帰行

2018-01-29 14:33:46 | 日記

猛烈な寒波で零度を下回る寒い日が続くが、春のきざしも見えてきた。

国内最大のツルの越冬地、鹿児島県出水市の出水平野で、ツルが繁殖地に向かう北帰行が始まった。飛来した出水平野の越冬ツルは1万5369羽。冷たい風の吹く中を繁殖地のシベリアに向かって第1陣のマナヅル4羽が飛びたったのは27日。昨年より2日遅いが、北帰行は4月頃まで続くという。沖縄本部町の日本一早咲の7千本のカンヒザクラも満開。大勢の花見客でにぎわう様子がテレビに映し出された。

 話は変わるが、今年は2回の皆既月食が見られる。月食は太陽と地球、月が1直線に並ぶときに起きる。1回目、1月31日の皆既月食は、日本全国で部分食の始めから終わりまでを見ることのできる大変条件の好い月食だそうだ。午後8時45分に欠け始め、月がすべて隠れて皆既になるのは午後9時51分。皆既は1時間以上続き、満月に戻るのは2月1日午前0時11分。2回目の皆既月食は7月28日の夜明け前。午前3時3時24分に欠け始め、皆既になるのは午前4時半。今年を逃すと国内で見られる月食は21年までない。

月の色は毎回同じではない。黒、こげ茶、暗い赤、明るい赤、オレンジのどの色で光るのだろうか、興味津々というところ。心配なのは天気、煌々と光る冬の月でなく、月食で隠れたいつもとは色の異なる月をぜひ見たいものだ。だが天気が心配だ。

 あと1つ心配がある。毎日が日曜日となってから早寝早起きが習慣となった。いつも体内時計に歩調を合わせ、午後9時にはベットに潜り込み、朝は5時に目を覚ます。月がすべて隠れて皆既になる午後9時51分。果たして上瞼と下瞼が仲良くならずにおられるだろうか。

 

 


春の来るのが待ち遠しい

2018-01-27 11:56:51 | 日記

 猛烈な寒波で零度を下回る寒い日が続いている。熊本でも雪が降った。最低気温がマイナス4.8℃の日もあった。この寒さはしばらく続くという。いつまで続くことだろう。

 この冬の異常な冷え込みでインフルエンザにかかる人が急増している。厚労省は26日、全国の定点医療機関から報告された患者数が1医療機関当たり51.93人に上り、1999年以降で最多になったと発表した。ちなみに大流行の発生を示す警報レベルは(30人)。全国の推計患者数は283万人。

 風邪は万病の素。先の熊本地震は怖かったが、高齢の老夫婦にとってインフルエンザもまた恐ろしい。昨年11月予防注射は行ったが、注射したからといって油断はできない。人混みや繁華街への外出は極力控える。帰宅したら、せっけんで手を洗う。当たり前ののことだが予防には大切。

 ”高校野球大好きの老夫婦”には嬉しいニュース。

 第90回選抜高校野球の出場校が発表された。残念なことに熊本からの出場はない。嬉しいことには、20世紀枠の一つに佐賀県立伊万里高校が決まった。そういえば福岡県立の東筑は県内でも有数の進学校。全国大会では私立校が多いなかで公立校はわずか、公立校が九州地区から2校も出場するは喜ばしいのひとこと。大いなる活躍を期待したい。ところで、どこのチームを応援しようかな。迷うことしきり。

 あとしばらくすれば、高校野球シーズンのはじまり。春の来るのが待ち遠しい。甲子園まで出かけることはできないが、また、藤崎台球場にせっせと通うこととしよう。

 


奥さまへのお手紙

2018-01-22 09:52:45 | 日記

 奥さまへの手紙をやっと書き終えた。新しいお正月を迎えるたびに必ず書きかえる大事な手紙。すぐに奥さまに渡すものではない。

 残り少なくなったこれからの人生。いつ、どんなことがあってもおかしくない。そのときに開いてもらうための準備の手紙。遺言状ではない。遺産があるわけでもない。しいて言えば思い出だけ。感謝の気持ちを書き残す大事な手紙ということになる。

 私とは7つ違いの奥さま。女性の平均寿命は男性よりも7つ多いから、単純な計算だと、私が亡くなった後、奥さまは14年の間、1人で過ごすことになる。心配でならない。元気なうちにできるだけのことを詳しく手紙に書いた。

 大切なのは奥さまの生活費。遺産らしきものは皆無なので、唯一年金に頼ることとなる。遺族年金の受給手続きについては詳しく書いた。自分なりに計算した、今現在の年金受給額も計算し書き込んだ。遺族年金は非課税、確定申告は必要ないことも。ただ、家と土地の固定資産税は毎年払わないといけない。

 わずかな不動産の名義変更、登記手続きは司法書士に依頼する。死亡保険金と医療保険金の請求は忘れないで。わずかだが葬儀の費用は十分だろう。そのほか、各種契約の解約や名義変更も大切。銀行等の預金口座、電力、NHK、新聞、携帯やインターネットの契約。等々。

 手続き等は書き終わったが、これで大丈夫だろうかと、書いた手紙を読み返しながらも心配で、また、頭を抱え込む。

 重い病のことも心配だ。死は怖くないが、たった1度の死だから、自分にとっても周りにとっても悔いのないものにしたい。重篤となっても延命治療だけはしないでほしい。自然に逆らいたくない。

 お墓はいらない、樹木葬でも、散骨でもよい。お寺の納骨堂はどうだろう。健康保険者証の裏にある「私は、脳死後および心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。」には〇を付けておいた。

 この手紙、終わりのところでつまずいた。たくさんの思い出がある。書き上げるまでには随分と時間がかかった。思っていることの100分の1も書き表せない。最後はただ一言「感謝、感謝、ありがとう。」でやっと終わった。

 


暖かい大寒の日の散歩

2018-01-20 09:30:41 | 日記

今日は大寒。大寒は寒(小寒と立春の前日)の中日であり、1年で最も寒い時期。つまり暦の上では寒さの峠でもある。

 きょうは冬には珍しく雲1つない晴れの好い天気。日中の気温は3月上旬の温かさだと予報が出ている。先週は日本全土が寒波に見舞われ、当地の気温は零下4度まで下がった。雪も降った。猛烈な寒さが嘘のようだ。

 陽気に誘われ老夫婦。久しぶりに連れだって散歩に出かけた。我が家から約4キロほど離れた熊本市の水がめ、緑に囲まれた八景水谷湧水公園がその目的地。水の博物館もある。

 途中、茶色の田んぼと、麦の新芽に覆われた緑の田んぼが並んだ農地の側を通る。田んぼの隅に生えたタンポポやなずな、仏の座などの雑草のみどりに、ささやかな春の息吹を感じる。遠くに見える公園の木々もわずかだが春めいている。

 

 広い公園には数組の親子連れが、凧揚げやボール遊びに興じていた。豊富な池の湧き水は澄み切り、大きな鯉が群れている。手をたたくとすぐそばに寄ってきた。小さな魚が群れを成して泳いでいる。アユだろうかそれともフナだろうか、大きくなった姿が見たい。澄み切った水の中でゆらゆらと揺れるみどりのみず草にも気持ちが和む。

    

            

 池の淵には数人のアマチュアカメラマンが、時折現れるカワセミを撮ろうと、大きなカメラを構えて座っている。待っている時間の方が長いのではと少し心配になる。

 のどかな冬の公園。わずかな時間ではあったが、老夫婦の身も心も癒してくれた。元気で散歩ができる。これも幸せ。

 来週はまた、先週に劣らぬ寒波がくると予報がでている。もう寒さは結構、1日も早い春の訪れが待ち遠しい。

 

 


阪神淡路大震災から23年

2018-01-17 15:14:28 | 日記

 未明の街を襲った阪神・淡路大震災から、17日でまる23年がたつ。震災で亡くなれた方は6434人。テレビには横倒しになった高速道路や、いたるところで燃えさかる火災、不安げな被災者の姿など悲惨な状況が、次々と映し出された。

 訪れたことはないが、神戸市中央区の東遊園地には、亡くなった人の名を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」があることを、けさの新聞で知った。

   広場では2年前から公募で決めた文字を竹灯籠で描いていて、今年1番多かったのは「伝」だったという。地震と火災でぐちゃぐちゃになった神戸の街の悲惨な状況や防災の知識や対策も、23年という長い年月で、人々の口からだんだんと遠ざかりつつある。だが、決して風化させてはならない。

 2016年4月14日21時26分ころ、当地熊本で震度7を観測する地震が、さらに16日午前1時25分ころには、震度7の地震が昨日に続いて発生した。14日は前震、16日は本震と気象庁からの発表があった。また、前震の起きた後では最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生するなど、震度1以上の地震はその日だけで1000回を超え、益城町の全域で家の倒壊など大きな被害が出た。阪神淡路大地震に匹敵するほどの地震だったという。被災者は2年になろうとするいまもなお、仮設住宅やみなし仮設住宅で暮らしている。

 その時の地震の恐怖といったらない。昨日のことのように思い出す。トラウマは今も消えない。当日のブログを読み返してみた。

熊本地震の余震が怖い(2016.4.14)

 4月14日21時26分震度6強の地震が起きた。その後、震度3以上の余震は朝までに30回を超えた。お昼をすぎても収まる気配はない。震度3以下の余震を含めるといくつの地震が発生したことだろう。まったくわからず不安は増すばかりだ。専門家の話によると、この地震はいま活動期にあり活発な動きを見せていて、いつ収束するか見通せないという。 

 各地の被害状況が分かってきた。たくさんの家屋や橋などが倒壊し、犠牲者もかなりの数に上る。電気がつかない。断水したのは序の口。倒壊した家の下に閉じ込められ救助を待つ人も多い。救援活動は活発に行われているが何しろ数が多い。多数の死者も出ている。悲惨なものだ。 

再びマグニチュード7.3、震度6強の大地震(2016.4.16)

 下から突き上げるような揺れの後に、立っていられないほど大きな横揺れが来てベットの上で跳びあがった。16日午前1時25分ごろと同46分ごろ。熊本県で最大震度6強、地震の規模を示すマグニチュードは7.3。阪神淡路大震災と同じ強さの地震が起こった。1昨日(14日)の地震とは比べられないほど揺れている。

 揺れがあってから約20分間、余震は間断なくまた切れ目なく続いた。その怖さといったらたとえようがない。築30年を超える老朽住宅に住むわたし、家の揺れるものすごい音を聞き、何することもできずに、ただ震えながら部屋の中にうずくまっている自分が腹立たしい。14日の地震発生からは恐怖の連続だ。死さえも考えた。

 震度3以上の余震は朝までに30回を超えた。お昼をすぎても収まる気配はない。震度3以下の余震を含めるといくつの地震が発生したことだろう。まったくわからず不安は増すばかりだ。専門家の話によると、この地震はいま活動期にあり活発な動きを見せていて、いつ収束するか見通せないという。

 各地の被害状況が分かってきた。たくさんの家屋や橋などが倒壊し、犠牲者もかなりの数に上る。電気がつかない。断水したは序の口。倒壊した家の下に閉じ込められ救助を待つ人も多い。救援活動は活発に行われているが何しろ数が多い。多数の死者も出ている。悲惨なものだ。

 熊本観光のシンボル、熊本城の被害も甚大だ。天守閣のしゃちほこや瓦が飛んで消えてしまった。堅固なことの代名詞ともいわれた石垣や長塀が何カ所も崩れ、天下の名城も今や形無し。南阿蘇では大規模な土砂災害が発生し、国道57号線が遮断された。パワースポットといわれる阿蘇の大橋(通称赤橋)も崩落した。日本三大楼門の一つで重要文化財である阿蘇市の阿蘇神社の「楼門」と「拝殿」が全壊した。市内でも崩落寸前のビルがたくさんある。宇土市役所も崩落の危機を迎えている。