毎日が日曜日となってからは、早寝早起きの習慣が定着した。それに伴い日常生活にも変化が訪れた。
夜9時にはベットに向かう。朝5時起床。すこし早いがよくしたもので目覚まし時計は必要ない。起きるとすぐに、玄関わきの郵便受けの新聞を取りに行き、時間をかけて角から角までゆっくりと目を通す。6時30分からラジオ体操。1日も欠かさず続いている。体操が終わると朝の散歩。散歩のコースは特に決めていない。時間にして約1時間、距離にして約5㌔から6㌔を歩く。散歩にカメラは欠かせない。散歩の途中で雉とであったこともある。4季それぞれの美しい花々をカメラに収める。しばらく歩くと身体全体が汗ばんでくる。帰ってすぐにシャワーをあびる。雨の降る日の散歩はお断り。NHK朝の連続テレビドラマ「ととねえちゃん」を欠かさず見るのも仕事の一つ。朝の食事はその後になる。
ところが4月14日午後9時過ぎに起きたとてつもない大地震。その揺れの大きさには驚いた。その怖さといったらたとえようがない。震度7の地震を体験したものでなければその怖さは分かるまい。4月16日深夜、再び震度7の本震が襲った。前々日の余震の揺れどころではない。怖かったより恐ろしかった。時計を見ると大きな揺れは20分くらいは続いた。これまでに経験した過去の地震の揺れる時間はせいぜい秒単位。家具類が倒れ、食器類が棚から落ちてくる。ギシギシと軋む古い木造の我が家、食器などの割れる大きな音で、逃げることも、隠れることもできず、ただただベットにしがみついて揺れの収まるのを待った。
気象庁の発表では、本震発生に引き続いて、途切れることなく震度5以上の余震が続いたという。本震の揺れ20分と思ったのは、その間に、何回も絶え間ない余震が続いていたということだろう。本震の起きた16日に発生した震度1以上の余震は202回、翌日は138回で、その中には震度6強と6弱がそれぞれ2回、震度5強が1回、5弱が5回含まれている。その後も余震活動は活発で、1日に10回~50数回の余震が引き続いて発生している。
地震発生から1月半近くたつたいまも、気象庁は「地震活動は全体として減少傾向にある」とする一方で「熊本、阿蘇地方では震度6弱程度、大分県中部では震度5強程度の余震に少なくとも今後1カ月は注意するよう呼びかけている」。テレビ画面の横の青い画面に「熊本地震今後も警戒」と白い文字が出る。この白い文字はいつになったら消えるのだろうか。
(NHKテレビから)
テレビから「熊本地震今後も警戒」の白い文字が消える日が1日も早いことを祈っている。
話はそれたが地震の後、朝目が覚めて最初の仕事に、熊本地方気象台の「地震情報(各地の震度に関する情報)」と「最大震度別地震回数表」を開く作業が加わった。PCを見ながら1日も早い地震の収束を願い、一喜一憂の毎日が続く。因みに前々日は8回、昨日は13回、今日は午前11時までに4回の地震が起きている。いつまでたっても不安の消えない、気の滅入る毎日が続いている。