ろう者の社会人野球チームが週に1度、利用できるホームグランドが熊本市東区にある。県立熊本聾学校の野球場だ。ここが数年後になくなるという。
県が2019年度の開校を目指し知的障害の子どもを対象にした、特別支援学校の最終候補地を野球場を含む聾学校の運動場と決めたためだ。その背景には特別支援学校に通う児童生徒数の増加があり、熊本市中央区の熊本支援学校では狭い教室で学ぶ子どもたちの姿が見られるという。「特別支援学校の新設は進めてほしいが、野球場はなくさないで」と今朝の新聞は報じている。
この記事を読んで遠い昔のことを思い出した。
昭和23年に教育制度がかわり、6・3・3制度の1つとして新制中学校が開設された。私はその第1回生として「門司市立第四中学校」に入学した。ところが未だ戦後の混乱期、新しく学校が発足したとはいえ、その設備と言えば、それはお粗末だった。
1クラス50名。1年が4組、2年が3組、3年が1組だったようだ。それに対し職員室を含め教室は6教室。運動場はテニスコート2コートがやっとの広さ。授業は各組が交代で青空のもとでおこなわれる。雨が降ると教室を2つに分け、それでも入れない人は廊下に座る。机も椅子も足りない。
毎日、お陽さまの位置を確かめながらの、数少ないイスと机を並び替える授業。雨の日は廊下で授業を受ける。後ろの席からは黒板を見ることも出来ない。もちろん体育の授業はまったくできない。
5月の始めに各組のクラス委員が集まり、役所や学校にその窮状を訴えることを決め、さっそく市長と校長先生にお願いの手紙を出した。ところがいくら待っても、返事が来ない。あまりにも厳しい学校生活に登校しない生徒が出始めた。
6月梅雨入りの前に代表が集まりまた話し合った。その結論は、クラス代表8名がハンストに入り実情を訴えることだった。ハンスト実行の当日、午前10時に2名の代表が校長先生にハンストに入ることを伝え、宣言文を校庭に貼りだした。残りの代表6名が、関門海峡が真下に見える近くのお寺の本堂をお借りしハンストに入った。
学校にも父兄にも場所は秘密にしていたが、11時過ぎには早くも新聞社やラジオ局の知るところとなり大騒動。市役所から助役さんも訪れ、午後3時過ぎに「7月中には解決を図る」との回答を戴きハンストは終わった。その日の夕刊各紙には写真入りで大きく「中学生のハンスト」と紹介された。
青春時代の懐かしい思い出。一時的な対処策ではあるが、夏休み前に1年生と2年生は近くの2つの小学校で分散授業を受ける。3年生は現在の教室を使うこととなった。
2年後に白い4階建の校舎が関門海峡を見下ろす丘の上に新築された。それは全国で最初に建てられた4階建ての校舎だったという。
最後に、「特別支援学校の新設は進めてほしいが、野球場はなくさないで」と結んであった新聞記事、私もそう願いたい。きれいごとだろうか。何かいい知恵を出せないものでしょうかね。