毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

傘寿の年に最後の同窓会(3)

2015-09-30 15:43:37 | 日記

 案内状は出したものの、出席者は何人だろうか。朝から何回も郵便受けを見に行く。箱にはがきが入っているとほっとする。だが、最初の1週間は欠席の返事ばかり。果たして同窓会は開けるだろうかストレスがたまる。

 案内状を出して8日ほどたっただろうか関東に住む同窓から1通のメールが届いた。「最後の同窓会、切々たるご案内状をいただき、出席させていただくことを決めました」。出席者の第1号。飛び上がるほど嬉しかった。その後締め切り日が近づくにつれ続々と「出席します」とはがきが届いた。出席者は39人。

 盛大な同窓会が開けると世話人一同、ますます元気が出てきた。さあがんばるぞ。だが、まだまだ開催までの仕事はたくさん残っている。出席者は何しろ傘寿を迎える、または迎えた老人ばかり。開催日までにはまだあと半月あるが何が起きるかわからない。大丈夫かな。

 同窓生名簿と皆さんからいただいた近況報告のとりまとめとその編集作業。当日の部屋割りや同窓会の式次第の作成。名札も作らねばならない。当日の案内も微に入り細に入り作る必要がある。併せて会場との詰めの折衝もしなければならない。

 開催日を決めるときには気づかなかったが9月1日~10日は台風シーズンのど真ん中、同窓会と台風が重なればどうなるだろう。中止に追い込まれればキャンセル料を支払うことになる。さらに出席者はみな高齢者、出席と申し込んでいても当日病気などで出席できなくなる方がいるかもしれない。そのキャンセル料も考えなければならない。

 近況報告を取りまとめていると「病気・介護・肩や足腰の痛み」の3つのキーワードが浮かんだ。出席できない方のほとんどが、本人の病気はもとより、家族の介護等で参加できないと答えられている。参加を申し込んでおられても開催の日までには欠席される方がおられるのではなかろうか。これもキャンセル料の対象、そうなれば赤字だ。急に心配になってきた。

 それどころではない、案内状を出したのは6月の終わり、開催日の9月8日まで約3か月の間に4人の方の訃報が届いた。病気で出席できなくなったと連絡してこられた方も4人おられる。

 9月8日の同窓会には35名の同窓生が集まった。関東からも3名の方が出席された。その日は、盛会となった傘寿の年の同窓会を寿ぐかのように、台風の季節にもかかわらず、青空の広がる良い天気となった。

 出席された方々は熊本の美酒を嗜みながら、童心にかえり65年前の尽きぬ思い出話に花を咲かせていた。出席された方々の楽しそうな元気なお顔が今も目に浮かんでくる。この夜、盛会だった同窓会を振り返ると、世話人としての開催までのこれまでの心配ごとや苦労が泡のように消えていった。

 これもお世話をいただいた皆さんの協力あってのこと。ありがとうございました。私事ではありますが、80歳にして盛大な同窓会のお世話を元気でつつがなくやり果せた幸いが、今は何か夢の出来事だったように思えてきます。

 余談になりますが同窓会の終わった翌日、台風15号が本土に上陸し、北関東、東北地方に甚大な被害を持たらしました。この台風、熊本でも瞬間風速41.1㍍の風を吹かせました。その後発生した台風21号は先島諸島で猛威を振るい、観測史上最大の瞬間風速81.1㍍を記録し、その被害は甚大なものがあると今朝のニュースにあります。被害にあわれた方々には申し訳ありませんが、台風シーズンと知って開いた同窓会が秋の天気に恵まれたこと、天の恵みだったとしか言いようがありません。

 残り少ないこれからの長い人生、同窓の皆さんとまたお会いする機会が必ずあると信じています


仲秋の名月、土手のススキは絶滅危惧種か

2015-09-28 14:58:16 | 日記

 27日は中秋の名月。朝の散歩コースである遊水公園に沢山のススキが生えていたことを思い出した。中秋の名月のお供えになぜか昔からススキは付き物、歩きながら目を皿のようにしてススキを探すが、そこには1本のススキも見当たらない。生えているのはカモガヤばかり。

 ススキを諦め家に帰る途中に孟宗竹の林がある。その林の中に〝うちの奥様”の大好きな「水引きの花」が楚々として咲いていた。ススキの代わりではないがお月さまにこれを供えようかと、林に上る土手をみると丈の低い小さなススキが1本たっているではないか。

 中秋の名月のお供え物の準備は整った。小さなススキを支えるかのように水引の花が数本、白い花瓶にさされ、お団子と一緒に居間に飾られた。

  

 天気予報は3時ころから曇りと出ていたが、幸い天気に恵まれ、待ちに待った中秋の名月を心行くまで楽しませていただくことができた。十五夜の月は我が家の小さな庭の木々を煌々と照らし、老人夫婦をしばらくの間、幽玄の世界に誘ってくれた

   (我が家の庭から)

 明日の月はスーパームーンという。昨夜の月の1.2倍という大きなものだ。先島諸島では台風21号が大暴れ。お天気が心配だがスーパームーンに大いに期待しておこう。


傘寿の年に最後の同窓会(2)

2015-09-27 10:07:11 | 日記

 熊本市内に住む7人で3月6日に第1回の世話人会を開いた。

 同じ市内に住んでいても会う機会の少ない同窓生。世話人会では思い出話に時間を取られ、議題である次回同窓会の話には中々進まない。やっと各人の役割分担と同窓会の開催地は市内と決めたものの会場をどこにするか。引き続き月に1度、世話人会を開くことも決めた。

 同窓会を開くまでには解決しないとならないことが沢山ある。羅列すると、まず最初に同窓生名簿の現行化が必要、各地の代表者に照会することとなった。

 そのほかでは、開催日・階催会場の決定・会場との折衝・会費の決定・案内状の作成と発送・参加者の把握と宿泊の可否(喫煙するか否かも)・部屋割り・参加者名簿と近況報告の作成等々。

 まずは参加者は何人か。同窓生は170人。すでに50名近くの方が故人となられ、連絡の取れない方も約20人。手持ちの名簿によると居住地はバラバラ、九州各地はもとより関東・近畿地方の方もおられる。これまでの参加状況から参加者を40名と見込んだ。

 次は会費、前回佐賀の会費は16000円。市外から参加される方はそれとは別に交通費が必要になる。会費はできるだけ少なくしなといけない。会場費、宴会費、宿泊料、郵便料等総合的な判断が必要になる。

 会場は市の中心部に近いメルパルク熊本とした。決めるまでが大変だった。宿泊は何人まで可能か。全員が80歳の老人できるだけ個室が望ましい。連日の折衝でシングル19室、ツイン15室を約束できた。

 次は宿泊料、当初シングルは7880円、ツイン1人の場合は9000円、宴会費は6000円と提示された。写真代は別に1000円、これでは16000円の会費では賄えない。厚かましく連日メールで値下げの折衝。シングル7000円、ツイン1人8200円で交渉成立。どうやら会費も16000円に設定できそうだが若干余裕を見て165000円とした。開催時期は会場と相談しながら夏の暑い盛りを避け9月8日に決めた。

 6月末になってやっと案内状を発送できた。会場との都合もあり7月25日を締め切り日とした。案内状を発送して一息ついたが、まだまだ難関は待っている。

                         熊本電気通信学園電信業務部昭和26年度第1期生同窓会のご案内

拝啓 長雨の候、同窓の皆様にはますますお元気でお過ごしのことと存じます。前回、佐賀の同窓会で、次回は熊本の担当とご指名をいただいてから早2年、遅くなりましたがやっとご案内の運びとなりました。 昭和26年4月10日。いまだ童顔の残る少年少女170余人が、熊本電気通信学園に入園し、学園長から「事務員補・訓練生を命ず」の辞令書を手渡され相親寮に入りました。木造の古い2階建て、2期生の方と一緒に8人が同じ部屋で起居を共にし、トンツートンツーの習得に励むこととなりました。食糧難の時代です。入寮の日に初めていただいた昼食はコッペパンが一つ。アルミの食器の底を少し隠す程度の脱脂粉乳を溶いたミルクだったと思います。在園中はずいぶんと空腹に悩まされたものです。今年は学園を出てから65年の記念の年です。同窓の大部分の方が80歳の傘寿を迎えられます。長い歳月でした。苦しかったこと。楽しかったこと。泣きたくなったことなど多々あったことでしょう。振り返ると、数々の思い出が走馬灯のように、また糸を紡ぐかのように通りすぎていきます。2年ごとに開いてきた同窓会も、多分この研修の地、熊本が“最後”の同窓会となることでしょう。 “最後”という言葉には言い尽くせないほどの重みがあります。歳は取りたくないものです。残り少なくなったこれからの日々の暮らし、経済的な不安や健康などの悩みが付きまとうことしょう。 最後の同窓会に多数のみなさまのご参加をいただき、一晩だけですがゆっくりと美酒を酌み交わしながら近況や思い出話しなど、大いに話の花を咲かせていただきたいと世話人一同、再会を心からお待ちしています。それぞれにご都合もおありかと存じますが、ぜひ、同窓会にご参加いただきますよう謹んでご案内申し上げます。なお、「参加の可否」につきましては、同封のはがきに近況等をお書き添えの上7月25日までにご返送いただきますようお願いいたします。都合でご参加いただけない方にも、近況や思い出など是非一言お願いいたします。 敬具

 同窓会の準備がやっと終わった。これからがまだまだ大変だ。


傘寿の年に最後の同窓会(1)

2015-09-25 09:46:33 | 日記

 県道303号熊本~四方寄線(旧3号線)。市内から約4㌔程のところに「NTT研修センター前」のバス停がある。しかしそこに研修センターらしき建物は見えない。知らぬ間にいつの間にか研修センターは消えている。その跡地を取り巻くように工事中の幕が張られ、来年6月開店予定のショッピングセンターの工事が急ピッチで進められている。

 昭和24年4月。電気通信省の職員訓練所として「NTT研修センター」の前身である「熊本電気通信学園」が開設された。電気通信省の有線通信士の養成所だったと理解している。

 その2年後の昭和26年4月10日。中学を出て間もないいまだ童顔の残る少年、少女たちが九州各地から「熊本電気通信学園普通電信科26年度1期生」として入園した。入園式でいただいた辞令書には「電気通信省事務員補」を命ずとある。

 全寮制で食料不足の時代、腹をすかし、ホームシックにも耐えながら、毎日毎日トンツー・トンツー(モールス信号)の習得に汗を流したことが昨日のことのように思い出される。訓練期間は9か月、卒業すると同時に有線通信士として各地の電報局に配属され、一端の通信士として、また公務員として通信業務に携わった。一緒に入園し卒園したのは170名だったろうか。わずか9か月の短い寮生活だったが、同窓生にとってこの時の思い出はいつまでも忘れることのできない大切なものとなっている。

 いつの頃からかよく覚えていない。学園時代を思い出しながら2年ごとに同窓会が開かれている。最近では噴煙上る鹿児島の桜島・熊本の名湯玉名温泉・福岡市・佐賀市で開かれ、美酒を酌み交わしながらの楽しい集いとなっている。

 次回(2015年)は卒園して65年の記念の年。同窓生のほとんどが80歳の傘寿を迎える祝いの年。盛大にとの声が上がり、開催場所は「社会人としての出発の地であり、若き日を過ごした思い出の地であり、研修の地でもある熊本」と佐賀の同窓会で決まった。 

 当然、指名された世話人は熊本に住む同窓生7人。今年3月6日に1回目の世話人会を開いた。(続く)                  

 

 


お墓参りは日帰り旅行

2015-09-23 20:43:55 | 日記

 明日は彼岸の中日。昨年、天寿を全うして亡くなった義父と兄。お彼岸のお墓詣りをさぞかしお待ちのことだろう。

 明日の天気は心もとない。1日早いがお墓詣りを今日(22日)にした。

 さあその準備だ。まずはお花、朝早く、近くの農産物市場に出かけた。中日の前日とはいえ花売り場の賑わいは格別、お花の多さにも感動する。お酒の好きだった2人のために1合入りの日本酒も買った。線香とろうそくは我が家から。

    

 10時のバスに乗る。お墓までには2度乗り換えねばならない。大変不便だ。こんなときには2年前に廃車したローバーを懐かしく思い出す。

 昼前には無事にお墓参りを終えた。後は外に出る機会の随分と少なくなった老夫婦の自由な時間。

 まずは昼食と、いつもお墓参りの後に必ずおよりしている二本木の〝東庵”でちゃんぽんをいただく。この店の昔風のちゃんぽんは大好物だ。夕飯のためにと松前ずしも包んでもらった。

 店を出てから歩いて駅の方へ向かって歩く。まるで小旅行だ。気分はルンルン。新幹線の開通で熊本駅前は随分と変わった。何か大都会の雰囲気がただよう。

 向かいに42階建ての大きなビルが建っている。森都プラザだ。2Fは観光案内所、3Fと4Fは図書館。2万4千冊の図書に囲まれながらしばらくは読書にふける。すごくなごやかな気持ちになった。

 下のフロワーには食料品のスーパーになっていた。店の飾りや商品の配置は熊本の玄関らしくとても美しい。町の小さなスーパーとは格段の差だ。今度はそこでお買い物。大きなブドウと乾杯用のビールそれに少しの野菜を買った。

 楽しい1日だった。思わぬ「お墓参りの日帰り旅行」。その日の楽しい夕餉。ビールの入ったコップを片手に松前ずしをつまみながら「駅までならいつでも行ける」、「また行こうよ」と老夫婦の楽しい会話が弾んだ。