やっと年の瀬を迎えることができたと実感した。振り返るとこれまでにない多難な年だった。
今年5月、長い間病床にあった義父が亡くなった。亨年93歳。惜しまれる年ではないが、私たち夫婦にとっての大黒柱。いつまでも元気でいて欲しかった。
10月には金婚式を迎えることとなっていた。結婚してから50年。お祝いをどのようにとずいぶん考えていたものだ。 ところが8月の末に、自転車で買い物に行く途中、車に接触され全治3週間の打撲傷を負った。
その翌月には十二指腸潰瘍からの下血で緊急入院。退院後もしばらくは貧血で苦しんだ。
退院してから間もなくの11月には、私にとってはたったひとりの2つ違いの兄が浴室で倒れ、あっけなくあの世へと旅立った。早くに父を亡くした私にとっては父親がわりの兄でもあった。元気な兄の突然の死にしばし呆然となったものだ。
それからはすっかり気持ちが落ち込んだ。毎日続けてきたブログも何か億劫になってきた。
ブログは昨年6月、惚け封じのためと気軽に始めた。それから1年半が過ぎている。厭きやすで好きやすの自分だが、1年半の長い間よくぞブログを続けてきたものだと感心する。だが、2つの大黒柱を今年続けて亡くしたことは大きな痛手、よる年波の精もあろうが気力を失くしてしまった。年の瀬を境に、ブログを辞めることとした。
ブログを書く。最初はボケ防止と軽い気持ちだったが、長い間書き続けるうちに、得る事の多さに驚いた。それらは残り少ないこれからの人生にきっと役立つことだろう。ブログからの最大の贈り物、感謝、感謝。
現役引退、毎日が日曜日!となってからは、社会を見る目がずいぶんと狭くなった。人との会話の時間も減ってしまった。PCの前に座りブログに使う時間は平均して約1時間。書くことに事欠き筆が進まないときは数時間にもなる。まさに重労働。
そのことは別にして、ネタ探しのために周囲の出来事を、自分の眼で客観的に確かに捉えることが習慣となってしまった。経済についてはもちろん、世界中の日々の出来事。新聞は欠かさず隅から隅まで時間をかけて読む。テレビのニュースも知識の宝庫。気象情報にも注意が必要。情報社会の中で毎日の生活が充実してきた。
言葉もまた大切。送り仮名からそのことばの意味。知らないことが多すぎた。自分の知識はこの程度かと、疑問が出ると間をおかず辞書を繰る。国語辞典や百科事典が良き友となった。索引した単語や語句にはその都度、ピンクのマーカーで印をつけた。辞書を開くとずいぶんとピンクの部分が増えている。文章力もたびたび疑われた。語彙の少なさもまた格別。反省する機会を多々与えていただいた。
まだまだ元気と自分では思っているものの寄る年波には抗えない。疲れてしまった。ブログを終えても、これからの毎日はわが身の大事な研さんの時間であることに変わりはない。ブログで得た宝ものを老いたとはいえ今まで以上に大切にしたいものだ。
今夜は、ゆっくりと心置きなく除夜の鐘を聞くこととしよう。最後に、いつも訪問いただいた方々に心からお礼を申し上たい。ありがとうございました。
新年の誓いは「気持ちも新たに、残り少ないこれからの人生を有意義に過します」。としよう。