問い合わせが多い「リラ冷え」の言語は、下記に表示しました。
■ 榛谷美枝子(はんがい・みえこ)さん 俳人
言葉を生み出す瞬間
リラ冷えや 睡眠剤は まだ効きて
美枝子
昭和35年(1960年)、美枝子さんの詠んだ句。
「リラ冷え」は、札幌で生まれた「季語」として、俳人のみならず、札幌で暮らす人々の日常の言葉として定着している。
札幌市の木は普段、ライラック(lilac)と英語で呼ばれているが、リラ(lilas)とフランス語の名前で呼ばれることも多い。
「リラ冷え」という言葉の誕生は、戦時中に遡る。
美枝子さんは疎開先から札幌に出て心がはずんでいた。
札幌駅から大通公園に歩いてゆき、リラの花が咲いているのを見上げたとき、なんとなく寒いような気がしたので「リラ冷えや」という言葉が「すっと出た」のだという。
その後、札幌市街の西端、三角山の麓、山の手に家を建てたとき、庭にリラを植えた。
冒頭の句は庭の木に寄り添い詠まれたものである。
昭和46年(1971年)当時38歳の作家渡辺淳一が『リラ冷えの街』を著わし、この言葉は世の中に広まっていった。
「渡辺淳一先生が、僕はこの句が一番好きですなんておっしゃったり、本に書いてくださったりするものだから、この句は良い句なのかなとあとから感じるようなわけで」と美枝子さんは当時を振り返る。
夏至に向かい、5月から6月にかけて急激に気温の上がってゆく初夏の札幌。
そんななかで、とても寒く感じる数日間がある。
いまや札幌市民は自然にそれを「リラ冷え」という。
「本州の梅雨のように、はっきりした気象現象としての定義はできませんが、情緒のある良い言葉ですね、どんどん使いましょう」と札幌管区気象台のお天気相談所。
この時期の札幌は 一度、最高気温が摂氏25度を超えたあと、平気で10度台に落ちることもある。
寒さの原因はオホーツクの冷たい高気圧の張り出しや、一時的に冬型の気圧配置のように日本海から冷たい空気の流入などその都度違うのだそうだ。
美枝子さんが詠んできた数え切れないほどの句の一つひとつに北海道の季節と人の暮らしが織り込まれている。
ここで育った人々の感性を昇華する作品だ。
(2003年4月25日・記)
渡辺純一 が発表した小説「リラ冷えの街」以前に、この言語はあつたと言う事です。
リラ冷え とは?
フランスでは、ライラックのことをリラ(Lilas)と言います。
札幌でも桜の季節が終わり、白や淡いパステルカラーのライラックの花が咲き始めました。
ライラックは今から120年ほど前にアメリカから札幌の植物園に持ち込まれたとされています。
世界には40種類ほどのライラックがあり、そのほとんどが札幌の北大植物園にあるそうです。
ライラックは寒さに強い花ですが、この花の咲くころに、決まったように思わぬ寒さが訪れることがあります。
この寒さのことを「リラ冷え」と呼んでいます。
寒さの原因の多くは、冷たいオホーツク海高気圧によるものです。
オホーツク海の海水はまだ冷たく、その上を吹く冷たい北東の風が北海道に流れ込んできます。
この冷たい空気と南からの暖かい空気の境目が梅雨前線です。
前線が本州付近にあると、北海道は冷たい空気に覆われて、寒い日が続きます。
「リラ冷え」という言葉は、渡辺淳一の「リラ冷えの街」という作品が発表されて広まったとされ、俳句の季語にもなっています。
日本気象協会北海道支社 光永 佳津実
写真・札幌の主なライラック
■ 榛谷美枝子(はんがい・みえこ)さん 俳人
言葉を生み出す瞬間
リラ冷えや 睡眠剤は まだ効きて
美枝子
昭和35年(1960年)、美枝子さんの詠んだ句。
「リラ冷え」は、札幌で生まれた「季語」として、俳人のみならず、札幌で暮らす人々の日常の言葉として定着している。
札幌市の木は普段、ライラック(lilac)と英語で呼ばれているが、リラ(lilas)とフランス語の名前で呼ばれることも多い。
「リラ冷え」という言葉の誕生は、戦時中に遡る。
美枝子さんは疎開先から札幌に出て心がはずんでいた。
札幌駅から大通公園に歩いてゆき、リラの花が咲いているのを見上げたとき、なんとなく寒いような気がしたので「リラ冷えや」という言葉が「すっと出た」のだという。
その後、札幌市街の西端、三角山の麓、山の手に家を建てたとき、庭にリラを植えた。
冒頭の句は庭の木に寄り添い詠まれたものである。
昭和46年(1971年)当時38歳の作家渡辺淳一が『リラ冷えの街』を著わし、この言葉は世の中に広まっていった。
「渡辺淳一先生が、僕はこの句が一番好きですなんておっしゃったり、本に書いてくださったりするものだから、この句は良い句なのかなとあとから感じるようなわけで」と美枝子さんは当時を振り返る。
夏至に向かい、5月から6月にかけて急激に気温の上がってゆく初夏の札幌。
そんななかで、とても寒く感じる数日間がある。
いまや札幌市民は自然にそれを「リラ冷え」という。
「本州の梅雨のように、はっきりした気象現象としての定義はできませんが、情緒のある良い言葉ですね、どんどん使いましょう」と札幌管区気象台のお天気相談所。
この時期の札幌は 一度、最高気温が摂氏25度を超えたあと、平気で10度台に落ちることもある。
寒さの原因はオホーツクの冷たい高気圧の張り出しや、一時的に冬型の気圧配置のように日本海から冷たい空気の流入などその都度違うのだそうだ。
美枝子さんが詠んできた数え切れないほどの句の一つひとつに北海道の季節と人の暮らしが織り込まれている。
ここで育った人々の感性を昇華する作品だ。
(2003年4月25日・記)
渡辺純一 が発表した小説「リラ冷えの街」以前に、この言語はあつたと言う事です。
リラ冷え とは?
フランスでは、ライラックのことをリラ(Lilas)と言います。
札幌でも桜の季節が終わり、白や淡いパステルカラーのライラックの花が咲き始めました。
ライラックは今から120年ほど前にアメリカから札幌の植物園に持ち込まれたとされています。
世界には40種類ほどのライラックがあり、そのほとんどが札幌の北大植物園にあるそうです。
ライラックは寒さに強い花ですが、この花の咲くころに、決まったように思わぬ寒さが訪れることがあります。
この寒さのことを「リラ冷え」と呼んでいます。
寒さの原因の多くは、冷たいオホーツク海高気圧によるものです。
オホーツク海の海水はまだ冷たく、その上を吹く冷たい北東の風が北海道に流れ込んできます。
この冷たい空気と南からの暖かい空気の境目が梅雨前線です。
前線が本州付近にあると、北海道は冷たい空気に覆われて、寒い日が続きます。
「リラ冷え」という言葉は、渡辺淳一の「リラ冷えの街」という作品が発表されて広まったとされ、俳句の季語にもなっています。
日本気象協会北海道支社 光永 佳津実
写真・札幌の主なライラック