俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

違法の黙認

2013-09-11 10:14:57 | Weblog
 日本には明らかに違法でありながら黙認されているものが沢山ある。自衛隊は憲法に、パチンコは刑法に、ソープランドは売春防止法に違反している。なぜこれらは黙認されているのだろうか。
 軽い違反なら許容して、度を越えた場合のみ処罰すれば良いという考え方がある。例えばスピード違反は一々取り締まる必要など無く、極端な違反や事故を起こした場合の罰則に加えれば良いという考え方だ。
 法律で雁字搦めにされたくないとは思うが法の恣意的な運用は利権を生む。例えばパチンコ業界は警察官の天下り先になっている。警察による目溢しに対する利益供与だ。これは違法を見逃す見返りに違法行為をする訳だから二重の違法だ。
 真田山プールには分かりにくい2つのルールがある。禁煙とシャワー室でのシャンプー・石鹸の使用禁止だ。前者は厳格に守られておりプールでは勿論、トイレの個室での喫煙も禁じられている。もし拒絶すれば退場させられるだろう。その一方で後者は黙認されているようで少なからぬ利用者がルールを無視しているが係員が注意することは無い。これは公衆浴場組合などからの要請で定められた形式上のルールに過ぎないからだろうか。
 しかし何とも分かりにくいルールだ。シャワー室のルールが「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式の済し崩しなのなら、トイレで喫煙する人が多ければ黙認されるということだろうか。
 私はグレーを尊重する立場に立つ。白と黒の間には無数のグレーがあるのだから二分割法は幼稚な考え方だと思う。しかし法律は線引きをするためのものではないだろうか。グレーの黙認は法律の否定だ。例えばサラ金のグレー金利の黙認は多くの悲劇を生んだ。家庭内暴力や校内暴力も大きな被害が出てから初めて問題にされた。法律やルールは誰にとっても公平な線引きであるべきだろう。恣意的な運用ではなく曲解を許さない厳密化が必要だろう。

醜い文化

2013-09-11 09:44:12 | Weblog
 農業(agriculture)とは醜い文化(ugly culture)のことではないだろうか。人類の堕落は農業がもたらしたものと思えてならない。
 最初の環境破壊は農業が起こした。狩猟採集時代の人類は自然界と共存していた。農業のために木を切り川を堰き止めた。里山を自然との共存と評価する人がいるがとんでもない。都会と比べれば自然が残っているだけのことで紛れもない人造物だ。檻に閉じ込められた獣のようなものだ。
 各種動植物の絶滅は農業が原因だ。自然界に依存している限りはバランスが保たれるが自然界から乖離する農業を持つが故に食用動植物の絶滅に対して平気になった。こうしてマンモスなどが絶滅した。
 土地の私有も農業から始まる。狩猟採集民は土地を持たない。自らが食物の豊富な土地に移動するからだ。古代中国の北方民族は遊牧民だった。彼らには土地の所有という観念そのものが無かった。中国の農民が畑を作って「ここは俺の土地で俺の作物だ」と主張しても彼らは納得しなかった。
 貧富の差も農業から生まれた。農業以前の小さな集落においては食物はいつどれだけ得られるか分からないし保存もできなかった。だから得られた食物は皆で分け合った。ところが農業は貯蔵可能な穀物を大量に作り出す。多くの穀物を得た者は豊かになり、少ない者は貧しくなった。
 権力も農業から派生した。狩猟採集民は争いを好まない。争って怪我をするよりは他の土地に移ったほうが有利だからだ。これは草食動物の戦略と似ている。ところが農民は他の集落や狩猟採集民から自分達の作物を守るために武力を求める。そしてより強大な武力を求めて大きな集団、更には小国家を築いた。
 疫病の蔓延も巨大集落化が招いたものだ。人が密集して住めば衛生環境は悪化するし病原体の感染が容易になる。こうして病原体の進化が促された。
 農業が始まったのはせいぜい数万年前だ。それ以前の数百万年間は狩猟採集時代だ。人類の脳は狩猟採集時代から進化してはいない。個人と社会が矛盾せざるを得ないのはこんな事情からだろう。