この牛とあの牛は同じ牛ではない。一方は乳牛でもう一方は肉牛かも知れない。あるいは一方は成牛でもう一方は子牛かも知れない。「牛」という単語は具体語ではなく抽象語だ。生物は個々に異なり同じ物はあり得ない。cowsと複数形にできるのは似たものを便宜上同一視するからだ。
数値化は馬鹿げた理屈を生む。「1億の命と1つの命とどちらが大切か」と問われれば1億を選ぶだろう。しかしこれが1億の病原菌と一人の人間であればこの問いは無意味だ。
人も個々に異なる。スポーツが好きな人もいれば動くことが大嫌いな人もいる。適量の飲酒を楽しむ人もいれば下戸もアル中もいる。万人のための有益性はあり得ないのだから万人に有効な薬もあり得ない。
認知症の症状は人様々だ。これは人によって異なる場所が変質するからだろう。自然に起こるロボトミー現象のようなものだ。破損箇所が異なるのだから同じ治療法が有効な筈が無い。認知症に限らず精神病にはオーダーメイド医療が必要だろう。
工業製品は素材や部品のレベルから均質化される。生物で言えばクローンのようなものだ。だからタカタのエアバッグのようにどれかに不具合があれば他の製品でも同じ不具合が続発する。均質である工業製品と個体差の大きい生物を同一視することは根本的に誤っている。
アレルギー反応が現れるのは個体差があるからだ。卵や小麦などは大半の人にとっては重要な栄養源だが一部の人にとっては毒物になる。あるいは味覚も人によって異なる。甘さに対する感受性は男女で違うのではないかとさえ思える。
同じウィルスが原因でも鼻水や関節痛など症状は様々だ。原因と結果は一対一対応しない。これは人の体がそれぞれ異なるからだ。体質が異なれば当然、薬の効き方も異なる。
大半の薬は不快な症状を緩和するという効能しか持っていない。それは一部の臓器に異常反応を起こさせることによって薬効を発揮する。今のところ大人と子供以外の個体差は殆んど考慮されていないからしばしば薬効よりも副作用のほうが大きくなる。食物のアレルギー反応で死ぬこともあるのだから、薬は食物以上に個体差に配慮して処方されるべきだろう。人は工業製品とは違って均質ではない。
数値化は馬鹿げた理屈を生む。「1億の命と1つの命とどちらが大切か」と問われれば1億を選ぶだろう。しかしこれが1億の病原菌と一人の人間であればこの問いは無意味だ。
人も個々に異なる。スポーツが好きな人もいれば動くことが大嫌いな人もいる。適量の飲酒を楽しむ人もいれば下戸もアル中もいる。万人のための有益性はあり得ないのだから万人に有効な薬もあり得ない。
認知症の症状は人様々だ。これは人によって異なる場所が変質するからだろう。自然に起こるロボトミー現象のようなものだ。破損箇所が異なるのだから同じ治療法が有効な筈が無い。認知症に限らず精神病にはオーダーメイド医療が必要だろう。
工業製品は素材や部品のレベルから均質化される。生物で言えばクローンのようなものだ。だからタカタのエアバッグのようにどれかに不具合があれば他の製品でも同じ不具合が続発する。均質である工業製品と個体差の大きい生物を同一視することは根本的に誤っている。
アレルギー反応が現れるのは個体差があるからだ。卵や小麦などは大半の人にとっては重要な栄養源だが一部の人にとっては毒物になる。あるいは味覚も人によって異なる。甘さに対する感受性は男女で違うのではないかとさえ思える。
同じウィルスが原因でも鼻水や関節痛など症状は様々だ。原因と結果は一対一対応しない。これは人の体がそれぞれ異なるからだ。体質が異なれば当然、薬の効き方も異なる。
大半の薬は不快な症状を緩和するという効能しか持っていない。それは一部の臓器に異常反応を起こさせることによって薬効を発揮する。今のところ大人と子供以外の個体差は殆んど考慮されていないからしばしば薬効よりも副作用のほうが大きくなる。食物のアレルギー反応で死ぬこともあるのだから、薬は食物以上に個体差に配慮して処方されるべきだろう。人は工業製品とは違って均質ではない。