俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

翻訳

2015-03-24 10:06:04 | Weblog
 「『梅にウグイス』は翻訳できない」という文章に出会った時、さっぱり意味が分からなかった。しかし実際に自分で翻訳しようとしてすぐに納得できた。梅もウグイスも単数か複数か分からないからだ。イメージとしては単数だがそれは独断だ。だからこれは翻訳できない。
 イスラム教はコーランの翻訳を禁じている。コーランを読みたければアラビア語を修得せねばならない。この頑固さのせいでイスラム教はアラブ圏の宗教に留まるのかも知れないが、翻訳が曲解を避けられないことを考えれば充分に納得できる。
 キリスト教も長期間翻訳を許さなかった。中世の聖書はラテン語で書かれていたからラテン語の分かる人しか読めなかった。しかしキリスト教は翻訳を禁じていた訳ではない。旧約聖書は元々ヘブライ語で、新約聖書はギリシャ語で書かれていたのだから、ラテン語の聖書は既に翻訳を経た書物だ。それどころかイエスはアラム語を使っていたらしいからギリシャ語の時点で既に翻訳されている。これをマルチン・ルターがドイツ語訳することによって聖書が広く読まれるようになった。
 私は聖書の一部をラテン語で読んだことがある。その経験から翻訳することの危険性が理解できる。イエスが裏切り者の出現について予言する箇所だった。
 イエスは言った「あなた達の一人が私を裏切ろうとしている。」(中略)ユダが言った「先生、まさか私ではないでしょう。」イエスは言った「いや、あなただ。」
 この最後の一言をラテン語から直訳すれば「あなたは言った」だった。これでは意味が分からない。だから「いや、あなただ」と意訳されている。他にも禅問答のような会話があちこちにあり殆んどが意訳されている。ヘブライ語やギリシャ語で書かれた文章をラテン語に翻訳して、それを更に日本語や英語に翻訳していれば意訳に次ぐ意訳で、最初の文章とは懸け離れたものになりかねない。まるで伝言ゲームのようにとんでもないものに変質し得る。それを防ぐために翻訳を許さずに必ず原典に戻らせることは理に適っている。
 翻訳書を読む時には誤訳の存在を容認せざるを得ない。例えばシンデレラ姫のガラスの靴は実は毛皮の靴だったし、「日本人はウサギ小屋に住んでいる」という文章の「ウサギ小屋」はフランス語で集合住宅を意味するcage à lapinsを逐語訳したことが招いた誤解だった。
 

実験

2015-03-24 09:31:27 | Weblog
 お産について一時期「小さく産んで大きく育てる」ことが奨励されていたがどうやらこれは間違いだったようだ。妊婦の健康だけではなく子供の発育なども併せて考慮すれば、昔ながらの大きい新生児のほうが総合的には良かったようだ。
 事業においても「小さく生んで大きく育てる」は余り評価されなくなった。以前であれば事業の多角化は優れた経営戦略とされたものだが、最近では「選択と集中」による本業回帰のほうが評価されているようだ。
 しかしシャープの経営危機をどう見るのだろうか。シャープの経営危機は液晶と太陽光発電と電子部品に特化したことが原因だろう。あるいはソニーのような経営資源の切り売りが成功するとは思えない。将来のための種蒔きが常に必要なのではないだろうか。
 科学の長所は実験の重視だろう。ゴチャゴチャ言っているよりもまずやってみる。上手く行けば成功だし、失敗すれば「こうすれば失敗する」という事実を発見できる。まずやってみることが大切だ。
 この実験という考え方はどうも日本人の国民性には合わないようだ。散々議論を尽くした上で不退転の決意で臨むことが好まれ、とりあえずやってみるという姿勢は無責任と思われ勝ちだ。だから一旦始めたらやめられない。危険と分かっても原発をやめられないし、弊害が多いことが証明されても小選挙区比例代表制を見直そうとはしない。スクラップ・アンド・ビルドやトライ・アンド・エラーという考えに基づいて、良くないものは早く見切るべきだろう。
 新しい試みは大抵失敗するものだ。エジソンの実験は99%が失敗だったと言われている。玉石混淆であれば殆んどが石であり玉は稀だ。しかし玉を得るためには多くの石の中から選別せねばならない。石が大半を占めるからという理由で拒絶していれば玉を得ることはできない。
 残業代ゼロとも呼ばれている「高度プロフェッショナル制度」にせよ救急車の有料化にせよ、全国一律ではなくどこかで実験的に導入して結果を検証すべきだと私は考える。やってみて初めて分かることは少なくないのだから「経済特区」という制度も利用して特定の地域や職場で実験してみるべきではないだろうか。失敗を恐れないのではなく、恐れずに済む程度の失敗に留まるような仕組みを作った上で積極的に実験してみるべきだろう。