名古屋に「ひつまぶし」という料理がある。鰻の蒲焼きを刻んで入れた混ぜご飯で多分「櫃まぶし」という意味だろう。私はこれを見る度に「暇潰し」と読んでしまう。米屋に「おこめ」と表示してあるとついつい違う言葉を考えてしまうのは決して私だけではなかろう。「会社主義」と「社会主義」も似ているし「ネオコンサバ」を「ネコオバサン」と読んだ人もいる。
高校生の時にpubic hairという言葉を知った。陰毛という意味だ。この文字はpublicと一字違いだ。音にすれば全然違うが文字では瓜二つだ。こんな正反対の言葉が殆んど同じスペルで困らないのだろうか。
昔、アン真理子という歌手の「悲しみは駆け足でやってくる」という歌の2番に「♪若いという字は苦しい字に似てるわ♪」という歌詞があったが余り似ているとは思わない。むしろ「崇める」と「祟る」のほうが似ている。老眼が進行中の私には見分けが付かない。こんな懸け離れた意味の言葉に似た文字が使われているのは何等かの事情があってのことだろう。
同じぐらい判別困難なのは濁音と半濁音だ。大きな文字でなければ区別できない。だからネット上で「ノーバンの始球式」という見出しがあると驚いて思わずクリックしてしまう。
人は言葉を都合の良いものや関心のあるものと勘違いし易いが、私は決してスケベなことばかりに関心を持っている訳ではない。脳が刺激的な言葉に敏感だからだと思う。
人は赤い色に反応し易い。赤は血の色であり火の色でもある。だから赤は命に関わる色であり敏感にならざるを得ない。赤信号もその特性を利用しており最も重要な情報である「止まれ」を意味する。
人は人の顔に異常に敏感だ。人面瘡や人面魚などが週刊誌等で取り上げられることがあるが、目・鼻・口らしきものが見えるだけで人面のように感じる。乳児でさえ目・鼻・口らしき模様に敏感に反応するらしい。この性質は先天的に遺伝子レベルで植え込まれているようだが、後天的に更に強化される。これは、他人の顔を理解することが群居動物として必須の能力だからだろう。顔によって個人を識別するし、微妙な表情から感情を読み取らねばならない。そのために顔らしきものを見ればすぐに反応するという性質が広く人類全体に定着しているのだろう。
高校生の時にpubic hairという言葉を知った。陰毛という意味だ。この文字はpublicと一字違いだ。音にすれば全然違うが文字では瓜二つだ。こんな正反対の言葉が殆んど同じスペルで困らないのだろうか。
昔、アン真理子という歌手の「悲しみは駆け足でやってくる」という歌の2番に「♪若いという字は苦しい字に似てるわ♪」という歌詞があったが余り似ているとは思わない。むしろ「崇める」と「祟る」のほうが似ている。老眼が進行中の私には見分けが付かない。こんな懸け離れた意味の言葉に似た文字が使われているのは何等かの事情があってのことだろう。
同じぐらい判別困難なのは濁音と半濁音だ。大きな文字でなければ区別できない。だからネット上で「ノーバンの始球式」という見出しがあると驚いて思わずクリックしてしまう。
人は言葉を都合の良いものや関心のあるものと勘違いし易いが、私は決してスケベなことばかりに関心を持っている訳ではない。脳が刺激的な言葉に敏感だからだと思う。
人は赤い色に反応し易い。赤は血の色であり火の色でもある。だから赤は命に関わる色であり敏感にならざるを得ない。赤信号もその特性を利用しており最も重要な情報である「止まれ」を意味する。
人は人の顔に異常に敏感だ。人面瘡や人面魚などが週刊誌等で取り上げられることがあるが、目・鼻・口らしきものが見えるだけで人面のように感じる。乳児でさえ目・鼻・口らしき模様に敏感に反応するらしい。この性質は先天的に遺伝子レベルで植え込まれているようだが、後天的に更に強化される。これは、他人の顔を理解することが群居動物として必須の能力だからだろう。顔によって個人を識別するし、微妙な表情から感情を読み取らねばならない。そのために顔らしきものを見ればすぐに反応するという性質が広く人類全体に定着しているのだろう。