俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ベター

2015-03-18 10:17:14 | Weblog
 正解とは100%正しい答のことだ。試験ではそれが求められる。しかし現実社会においてそれは殆んどあり得ない。無数の解があり得るがどれ1つとして正解とは言えない。どんな改善であっても必ず改悪を伴うものだ。立場が違えば利害も異なるのだから、99%の人の利益になることは1%の人の不利益に繋がる。仮に100%の人に利益をもたらすものであっても利益の差が生じるから正解にはならない。
 減税が典型例だ。減税は常に増税を伴う。総ての人に対する減税があれば公共サービスが削減されることになるだろう。結局、誰かの利益を削って多数者の利益を拡大するしか無い。最大多数の最大幸福を1つの理想とせざるを得まい。
 改革は常に痛みを伴う。だから既得権益のある人は改革に反対する。彼らは改革によって生じる問題を針小棒大に主張して封じ込めようとする。お互いの利害だけが争われるのであれば議論によって解決することは殆んど不可能だ。
 改革は大抵、強権的に行われる。既得権益にしがみ着こうとする人を切り捨てることによって初めて改革を断行できる。しかしこの手法は軋轢を生む。国民同士での対立を招く。
 一気に解決するのではなく少しずつ改善すべきだと私は考える。改革をしようとすれば利害対立を生むが、改善であれば妥協の余地がある。一気にベストを狙わずにベターを積み重ねて、時には3歩進んで2歩下がっても構わない。少しでも改善できるならそれで良かろう。ベストは理想論に過ぎず現実的ではない。
 改善を拒むのは理想論だ。理想を説く者は改善を中途半端と非難する。しかしそれが招くのは現状維持でしか無い。理想論と理想論がぶつかれば1歩も前進できなくなる。普天間の基地問題はその典型例だ。「最低でも県外」は理想としては正しい。しかしアメリカが県外移設を認めなければ世界一危険と言われる基地が現状のまま放置されることになる。
 正解はあり得ないがより良い答は常にある。直進が難しければジグザグに進んでも構わない。無駄なようでもそれが唯一可能な改善策だろう。ベストと比べればベターは物足りない。しかしsecond bestやthird bestが可能であればそれを見送るべきではなかろう。

心理療法士

2015-03-18 09:42:34 | Weblog
 心を病む人が少なくないがそれを治療するための仕組みはかなり脆弱だ。医療体制そのものが、医学系の精神医学と心理学系の心理療法に分裂している。症状を緩和する薬が多数開発されたこともあり最近では精神医学のほうが優勢だが、これは対症療法に過ぎず原因が放置されてしまう。病気の原因を無視して抗鬱剤などによって症状の緩和を図ることは治療ではない。これでは酒を飲んで憂さ晴らしをすることと大差は無い。
 心理療法の側にも大きな問題がある。大学で学んだだけでカウンセリングが可能になるものだろうか。カウンセリングを通じて原因に迫る際、欠かせないのは生活上での豊富な経験であり彼らはこれを持ち合わせていない。社会経験の乏しい彼らにはセクハラやパワハラですら理解できまい。心理療法士(セラピスト)の質の低さが精神医学の暴走を招いてしまったとさえ思える。
 泳いだことの無い水泳教師の指導など役に立たない。多分彼らはペーパーテストで合格したのだろうが、そんな人ではなく実際に泳いだ経験の豊富な人に教わりたいと誰でも考える。経験に基づいて考える人と机上での知識しか持たない人とでは知恵の深さが全然違う。現在の心理療法士の多くは泳げない水泳教師であり走ったことの無いランニングコーチのようなものだ。充分な人生経験が無いから言葉が上滑りする。大学で教わっただけの理論など付け焼刃のようなものに過ぎない。
 ヒヨコが育つのを待つよりも、大人が理論を学んだほうが有効だ。つまり大学生に心理療法を学ばせても20年ぐらいは使い物にならないが、充分に人生経験を積んだ人に学ばせれば即戦力として活躍することが期待できる。心理療法士の資格を青年に与えるのではなく50歳以上に限定した資格に変えたほうが良いのではないだろうか。心理療法士の仕事のためには理論だけでも人生経験だけでも不充分であり、両方を兼ね備える必要がある。
 変化の激しい社会では経験が軽んじられ勝ちだ。確かに科学技術であれば日進月歩であり古い知識は役に立たない。しかし生身の人間の悩みはそんなに変わるものではない。だからこそ今でも夏目漱石の小説が愛読されている。亀の甲より年の劫であり、人生経験の豊富な心理療法士であれば、精神科医を標榜する現代のヤブ医者よりもずっと多くの人を救うことができるだろう。