正解とは100%正しい答のことだ。試験ではそれが求められる。しかし現実社会においてそれは殆んどあり得ない。無数の解があり得るがどれ1つとして正解とは言えない。どんな改善であっても必ず改悪を伴うものだ。立場が違えば利害も異なるのだから、99%の人の利益になることは1%の人の不利益に繋がる。仮に100%の人に利益をもたらすものであっても利益の差が生じるから正解にはならない。
減税が典型例だ。減税は常に増税を伴う。総ての人に対する減税があれば公共サービスが削減されることになるだろう。結局、誰かの利益を削って多数者の利益を拡大するしか無い。最大多数の最大幸福を1つの理想とせざるを得まい。
改革は常に痛みを伴う。だから既得権益のある人は改革に反対する。彼らは改革によって生じる問題を針小棒大に主張して封じ込めようとする。お互いの利害だけが争われるのであれば議論によって解決することは殆んど不可能だ。
改革は大抵、強権的に行われる。既得権益にしがみ着こうとする人を切り捨てることによって初めて改革を断行できる。しかしこの手法は軋轢を生む。国民同士での対立を招く。
一気に解決するのではなく少しずつ改善すべきだと私は考える。改革をしようとすれば利害対立を生むが、改善であれば妥協の余地がある。一気にベストを狙わずにベターを積み重ねて、時には3歩進んで2歩下がっても構わない。少しでも改善できるならそれで良かろう。ベストは理想論に過ぎず現実的ではない。
改善を拒むのは理想論だ。理想を説く者は改善を中途半端と非難する。しかしそれが招くのは現状維持でしか無い。理想論と理想論がぶつかれば1歩も前進できなくなる。普天間の基地問題はその典型例だ。「最低でも県外」は理想としては正しい。しかしアメリカが県外移設を認めなければ世界一危険と言われる基地が現状のまま放置されることになる。
正解はあり得ないがより良い答は常にある。直進が難しければジグザグに進んでも構わない。無駄なようでもそれが唯一可能な改善策だろう。ベストと比べればベターは物足りない。しかしsecond bestやthird bestが可能であればそれを見送るべきではなかろう。
減税が典型例だ。減税は常に増税を伴う。総ての人に対する減税があれば公共サービスが削減されることになるだろう。結局、誰かの利益を削って多数者の利益を拡大するしか無い。最大多数の最大幸福を1つの理想とせざるを得まい。
改革は常に痛みを伴う。だから既得権益のある人は改革に反対する。彼らは改革によって生じる問題を針小棒大に主張して封じ込めようとする。お互いの利害だけが争われるのであれば議論によって解決することは殆んど不可能だ。
改革は大抵、強権的に行われる。既得権益にしがみ着こうとする人を切り捨てることによって初めて改革を断行できる。しかしこの手法は軋轢を生む。国民同士での対立を招く。
一気に解決するのではなく少しずつ改善すべきだと私は考える。改革をしようとすれば利害対立を生むが、改善であれば妥協の余地がある。一気にベストを狙わずにベターを積み重ねて、時には3歩進んで2歩下がっても構わない。少しでも改善できるならそれで良かろう。ベストは理想論に過ぎず現実的ではない。
改善を拒むのは理想論だ。理想を説く者は改善を中途半端と非難する。しかしそれが招くのは現状維持でしか無い。理想論と理想論がぶつかれば1歩も前進できなくなる。普天間の基地問題はその典型例だ。「最低でも県外」は理想としては正しい。しかしアメリカが県外移設を認めなければ世界一危険と言われる基地が現状のまま放置されることになる。
正解はあり得ないがより良い答は常にある。直進が難しければジグザグに進んでも構わない。無駄なようでもそれが唯一可能な改善策だろう。ベストと比べればベターは物足りない。しかしsecond bestやthird bestが可能であればそれを見送るべきではなかろう。