性格の悪い犬であれ狂犬であれ、人に危害を加える犬は殺処分される。人間側の勝手な理屈だがこれはある程度納得できる。
異常な犯罪者の大半は狂人だろう。狂人であれば処罰されない筈だが実際には多くの狂人が処罰されている。処罰されるのは判断力が残っていたと見なされるからだ。本当に判断力があったかどうかは疑わしいが、この理屈では軽度な狂人なら凶悪な犯罪者であり、重度な狂人は病人ということだ。それでは明らかに重度な狂人である麻原彰晃はなぜ死刑囚なのだろうか?
心神喪失や心神耗弱という概念はかなり恣意的に使われており、全く客観性を欠いている。これは法としての重大な欠陥だ。最も訳が分からない理屈は犯行時の精神状態を問うことだ。薬物で精神錯乱に陥っていたならともかく、それ以外については犯行時の精神状態など誰にも分からない。こんなことを基準にして判決を下せるものだろうか。
刑罰の目的は大まかに分類して3種類ある。報復と賠償と治安だ。
殴られたら殴り返すこと、これが報復の原点だろう。しかしこれは上手く機能しない。殴られた痛みを標準化できないし、殴り返されたほうが更に殴り返せばこの喧嘩は終わらない。これが仇討ち・返り討ちともなればどちらかの一族が死に絶えるまで続くことになる。だから報復権は個人から奪われて国が裁判に基づいて代行することになっている。
賠償は最も分かり易い。相手に与えた損害を償うことは納得できる。しかし殺人などの償い切れない罪については賠償は不可能だ。
治安は、権力者にとってと庶民にとってとでは全然違った意味になる。庶民にとっての治安とは安全に暮らせるということだろう。強盗や窃盗は一方的に加害者が悪いが、多くの犯罪においては被害者にも非がある。身を慎むことによってそれらの多くを避けることができるが、狂人による発作的犯行から身を守る術は無い。
私は、狂人の多くは大人しいものだと思っていた。狂人による犯罪が騒がれるから過度に恐れられていると思っていたのだがどうやらそうではないようだ。4日に発表された東京大学の蔭山助教らの調査によると、精神障害のある子供や兄弟を持つ人の6割が暴力を受けた経験があるそうだ。これでは病院に隔離したくなるのも無理は無い。
報復の観点では狂人は免責されるべきだろうが、治安という観点では放置できない問題だ。家族に責任と義務を押し付けて済むことではなかろう。
異常な犯罪者の大半は狂人だろう。狂人であれば処罰されない筈だが実際には多くの狂人が処罰されている。処罰されるのは判断力が残っていたと見なされるからだ。本当に判断力があったかどうかは疑わしいが、この理屈では軽度な狂人なら凶悪な犯罪者であり、重度な狂人は病人ということだ。それでは明らかに重度な狂人である麻原彰晃はなぜ死刑囚なのだろうか?
心神喪失や心神耗弱という概念はかなり恣意的に使われており、全く客観性を欠いている。これは法としての重大な欠陥だ。最も訳が分からない理屈は犯行時の精神状態を問うことだ。薬物で精神錯乱に陥っていたならともかく、それ以外については犯行時の精神状態など誰にも分からない。こんなことを基準にして判決を下せるものだろうか。
刑罰の目的は大まかに分類して3種類ある。報復と賠償と治安だ。
殴られたら殴り返すこと、これが報復の原点だろう。しかしこれは上手く機能しない。殴られた痛みを標準化できないし、殴り返されたほうが更に殴り返せばこの喧嘩は終わらない。これが仇討ち・返り討ちともなればどちらかの一族が死に絶えるまで続くことになる。だから報復権は個人から奪われて国が裁判に基づいて代行することになっている。
賠償は最も分かり易い。相手に与えた損害を償うことは納得できる。しかし殺人などの償い切れない罪については賠償は不可能だ。
治安は、権力者にとってと庶民にとってとでは全然違った意味になる。庶民にとっての治安とは安全に暮らせるということだろう。強盗や窃盗は一方的に加害者が悪いが、多くの犯罪においては被害者にも非がある。身を慎むことによってそれらの多くを避けることができるが、狂人による発作的犯行から身を守る術は無い。
私は、狂人の多くは大人しいものだと思っていた。狂人による犯罪が騒がれるから過度に恐れられていると思っていたのだがどうやらそうではないようだ。4日に発表された東京大学の蔭山助教らの調査によると、精神障害のある子供や兄弟を持つ人の6割が暴力を受けた経験があるそうだ。これでは病院に隔離したくなるのも無理は無い。
報復の観点では狂人は免責されるべきだろうが、治安という観点では放置できない問題だ。家族に責任と義務を押し付けて済むことではなかろう。