俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

狂人

2015-03-08 10:24:21 | Weblog
 性格の悪い犬であれ狂犬であれ、人に危害を加える犬は殺処分される。人間側の勝手な理屈だがこれはある程度納得できる。
 異常な犯罪者の大半は狂人だろう。狂人であれば処罰されない筈だが実際には多くの狂人が処罰されている。処罰されるのは判断力が残っていたと見なされるからだ。本当に判断力があったかどうかは疑わしいが、この理屈では軽度な狂人なら凶悪な犯罪者であり、重度な狂人は病人ということだ。それでは明らかに重度な狂人である麻原彰晃はなぜ死刑囚なのだろうか?
 心神喪失や心神耗弱という概念はかなり恣意的に使われており、全く客観性を欠いている。これは法としての重大な欠陥だ。最も訳が分からない理屈は犯行時の精神状態を問うことだ。薬物で精神錯乱に陥っていたならともかく、それ以外については犯行時の精神状態など誰にも分からない。こんなことを基準にして判決を下せるものだろうか。
 刑罰の目的は大まかに分類して3種類ある。報復と賠償と治安だ。
 殴られたら殴り返すこと、これが報復の原点だろう。しかしこれは上手く機能しない。殴られた痛みを標準化できないし、殴り返されたほうが更に殴り返せばこの喧嘩は終わらない。これが仇討ち・返り討ちともなればどちらかの一族が死に絶えるまで続くことになる。だから報復権は個人から奪われて国が裁判に基づいて代行することになっている。
 賠償は最も分かり易い。相手に与えた損害を償うことは納得できる。しかし殺人などの償い切れない罪については賠償は不可能だ。
 治安は、権力者にとってと庶民にとってとでは全然違った意味になる。庶民にとっての治安とは安全に暮らせるということだろう。強盗や窃盗は一方的に加害者が悪いが、多くの犯罪においては被害者にも非がある。身を慎むことによってそれらの多くを避けることができるが、狂人による発作的犯行から身を守る術は無い。
 私は、狂人の多くは大人しいものだと思っていた。狂人による犯罪が騒がれるから過度に恐れられていると思っていたのだがどうやらそうではないようだ。4日に発表された東京大学の蔭山助教らの調査によると、精神障害のある子供や兄弟を持つ人の6割が暴力を受けた経験があるそうだ。これでは病院に隔離したくなるのも無理は無い。
 報復の観点では狂人は免責されるべきだろうが、治安という観点では放置できない問題だ。家族に責任と義務を押し付けて済むことではなかろう。

オフセット鎮痛

2015-03-08 09:43:15 | Weblog
 先日久し振りにキムチを食べた。大阪に住んでいた頃は時々食べていたので気にならなかったのだが、久し振りに食べると辛さのために舌が痺れて味覚が狂ってしまった。水やビールを飲んで正常に戻そうとしたが効果は乏しかった。こんな物を常食していれば味覚が駄目になるのではないかと思った。
 43℃の湯に浸かると熱く感じる。ところが45℃の湯に浸かった後であればそれほど熱く感じない。一旦、強い刺激に慣れてしまえばそれよりも弱い刺激は苦痛ではなくなる。
 痒いと掻きたくなる。痒みとは痒覚ではなく持続する弱い痛覚らしい。掻いてもっと強い痛みを覚えれば痒みを感じなくなる。
 私は按摩やマッサージを利用したことが無いが、これらの効果は錯覚なのかも知れない。痛む所を刺激してもっと強い痛みを覚えればそれまでの痛みを感じなくなる。持続していた痛みが消えるので治療効果があったかのように思い込む。
 医療ではこれらの効果をオフセット鎮痛と呼ぶ。今よりも強い痛みを得ることによってそれまでの痛みを感じなくなる。痛みに限らず五感総てに共通して似たようなことが起こる。
 目は明順応する。まぶしい光でもそのうち慣れる。耳も騒音に慣れる。電車や航空機の中はかなり騒々しいが乗客はその騒音を余り感じない。塩辛さや甘味にも順応する。塩辛い料理にせよ甘い菓子にせよ常食していればそれが基準値になって、普通の食品が物足りなくなる。嗅覚がすぐに匂いに慣れることは誰でも知っている。
 このように知覚においてはオフセット鎮痛が広汎に働くが記憶はそうではない。知覚は現在のことなので新しい刺激によって上書きされるが、記憶はファイル保存されているから消えない。以前からの苦しい思いに新しい苦痛が加わるだけであり上書き保存されない。このことを理解しない人は苦しい思いから逃れようとして新しい苦痛を求める。不幸な人が悪人と交わったり危険なことをしても、それによって過去の不幸な記憶が消える訳ではない。マゾヒズムは一時的に不幸を忘れさせるがそれはあくまで知覚レベルであって記憶レベルでの苦痛は軽減されない。オフセット鎮痛は知覚においては有効だが記憶においては無効だ。
 艱難汝を玉にす、という言葉がある。人は苦労を積み重ねて成長する。しかし今の苦境から逃れるために他の苦境を求めても成長することはできない。まず現在の苦境に正面から立ち向かって克服する必要がある。克服するからこそ成長する。知覚とは違って、記憶に対してオフセット鎮痛を求めても効果は無く、更に不幸になるだけだ。