俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

修繕

2015-05-25 10:06:12 | Weblog
 建物の一部が壊れた場合、修繕しなければ徐々に破損が広がる。修繕すれば元に戻り破損は広がらない。修繕と修復には因果関係がある。しかし生物の体の場合、多少の破損であれば修繕しなくても、あるいは多少自然治癒力の妨害をしても、自力で修復する。この自然治癒力という特性が実は曲者だ。
 たとえデタラメな治療でも自然治癒力が働いて治ってしまう。デタラメな治療と治癒に因果関係は無い。治療をしたから治ったのではなく、デタラメなことをしている内に自然治癒力が働いて治ってしまっただけだ。これによる治癒率は偽医療や祈祷とほぼ同程度だろう。これらには自然治癒力以外にプラシーボ効果が働くから放置する場合よりもほんの少しだけマシになるだろう。
 対症療法は一時的に不快な症状を緩和する。これで時間稼ぎをしている間に自然治癒力が働いて治る。対症療法など必要無い。それどころか風邪に対する解熱剤などであれば、対症療法を施さないほうが早く治る。
 勿論、総ての医療が無駄な訳ではない。抗生物質には多くの細菌を殺す効力がある。しかしウィルス性疾患には抗生物質は全く効かない。それにも拘わらずウィルスが原因である風邪に対してしばしば抗生物質が処方されている。
 医療の殆んどが迷信と大差は無いが確実に治療効果があるのは歯の治療だ。歯茎とは違って歯には自然治癒力が備わっていない。だから虫歯になれば悪化する一方だ。我慢している内に痛みが鎮まってもいずれ必ず前よりも悪化して再発する。だから歯の治療だけは必須だ。自然治癒力が働かない歯は建物と同じように修繕せねば治らない。
 自然治癒力の存在を無視するから多くの無駄な医療や有害な医療が蔓延る。かつては傷口は消毒することが常識だった。しかしこれが傷口の細胞を破壊し、善玉菌を殺してしまうことが明らかになり、今では消毒せずに水洗いすることが常識になった。関節痛や筋肉痛に対するアイシングもいずれは自然治癒力の妨害をする有害な医療として否定されるだろうと私は思っている。

劣化

2015-05-25 09:33:30 | Weblog
 「同じ場所にいるためには全力で走り続けねばならない。」この言葉はルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」にあり「赤の女王仮説」と呼ばれている。
 何もしなければ劣化する。例えば一流のアスリートは目一杯のトレーニングをして初めて現在の力を維持できる。学者も学問に励まなければ取り残される。芸能人も自分磨きを続けなければ容姿が衰える。このことを理解できない人がいる。多くは低レベルに安住する人だ。
 憲法を一字一句変えなければ刻一刻時代遅れになる。改善しないということは劣化を意味する。安倍首相が憲法を破壊したのではなく、条文の改善を拒み続けた「護憲」を標榜する人々が憲法を空文化させた。彼らは本気で憲法を守ろうとしたのではなく「護憲」を飯のタネにしていただけだった。これはニーチェが神を殺したのではなく「死んでいる」ことを明かしたことと似ている。神を殺したのは他ならぬ聖職者達だった。
 ロートルのスポーツ選手や老人は惨めだ。目一杯の努力によって得られるのは劣化を遅れさせることだけだ。現状を維持することさえ困難だ。
 生物は進化し続ける。進化し続けなければ生き残れないからだ。進化を放棄したシーラカンスは希少生物になる。文化人と称する人の中にはシーラカンスがウヨウヨいる。
 生きるとは挑戦し続けることだ。過去の名声に縋っている人は既に半分死んでいる。彼らにはかつての漫画「北斗の拳」の決め台詞「お前は既に死んでいる」がピッタリだ。
 低レベルに安住するか、努力と自己超克を繰り返して高いレベルを保つかは生き方の選択でもある。学校で習った知識も多くは古い知識として否定される。いつまでも昔教わったことを盲信していてはならない。南進を続ければ極寒の南極に至る。南ほど暖かいのは限られた範囲でしか通用しない知識だ。ユークリッド幾何学もニュートン力学も万能ではない。狭い知識に捕らわれてはならない。アンドレ・ジイド曰く「己を知ろうとする青虫は蝶になれない。」