俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

自力の救命策

2016-04-23 15:41:27 | Weblog
 手の付けられない癌として余命数か月との宣告を受けた私に今更何ができるだろうか。座して死を待つよりも一か八かの放射線治療を選択したが、あとは医師と運命に身を任せる以外に無いのだろうか。そうではるまい。自力でできることは必ずあり、たとえ微力であろうともそのために努力することを怠るべきではなかろう。
 食道癌のために日に日に食べられなくなっているからこのまま放置すれば癌で死ぬ前に餓死する。たとえ餓死しなくても病気や放射線障害を治癒するための力が失われる。何とかして戦うためのエネルギーを補充する必要がある。一時期、私はヨーグルトを主食にしていた。半液体であれば比較的容易に摂取できたからだ。しかし半液体でさえ胃に通りにくくなり始めた。いよいよ液体だけが頼りだ。
 少量食から半液体を経て液体食へと私の食事情は悪化し続けている。いずれその内、水さえ飲めなくなるだろう。その時には胃瘻や点滴に頼らざるを得ない。しかしそれまでには少しだけ時間がある。自力で何もできなくなるまでに自力でできることでベストを尽くすべきだろう。自力で抵抗できる残り少ない時間であろうとも可能な範囲で抵抗を続けたい。
 しかし少量の液体しか摂取できない私に何ができるだろうか。この2か月間頼りにしていた栄養飲料のエンシュア・リキッドにはもう頼れなくなった。半液状であるこの飲料でさえ胃に流し込むことは困難になった。
 最近、新しい栄養飲料を見付けた。意外なことにそれはカロリーメイトだ。これは決してあのお馴染みの「バランス栄養食」のことではない。こんな固形物は食べられない。偶然、液体のカロリーメイトがあることを知って早速取り寄せて試してみると、ほぼ液体であるために今の私でも水と同程度になら飲むことができる。たった200mlを2時間掛けて飲んでいる。今となってはこれとヤクルトが最も重要な栄養源だ。
 癌や放射線と闘うためにカロリーメイトやヤクルトに頼らねばならないとは何とも情けない話だとは思うが今のところこれらよりもマシな戦力を見付けられていない。蟷螂の斧のように微力であろうとも可能なことを試みるしかあるまい。
 こんな細やかな抵抗でも少しは功を奏しているのかも知れない。20㎏以上痩せ衰えた今でも自転車を使って通院している。

澱粉

2016-04-23 10:28:46 | Weblog
 私は小学校の家庭科で、澱粉・蛋白質・脂肪を3大栄養素として教わったが、昨今、澱粉という言葉が使われることは少ない。炭水化物や糖質という言葉が使われ勝ちだ。しかしこれの言葉は正しく使われていない。これらは決して類義語ではなく全く異なった概念だ。こんな、日常生活にとって重要な用語が不正確に使用されれば誤解を招く。
 炭水化物とは炭素と水の化合物を指す化学用語であり、化学であれば食物繊維を炭水化物と呼んでも差し支えなかろう。しかしこれを澱粉と同一ジャンルに含めて日常生活用語として使うべきではない。重要なカロリー源である澱粉質と、人類には殆んど消化吸収できない食物繊維とでは栄養価が余りにも違い過ぎる。この二者は栄養価としては正反対のものだ。澱粉と食物繊維の総称としての炭水化物という言葉はあくまで化学用語であって食物の評価のためには不適切な用語だ。この二者の混同は炭とダイヤモンドの同一視にも等しい愚行だろう。
 糖質という言葉もよく使われる。澱粉質の摂取量を抑える減量食は糖質制限食と呼ばれることが多い。しかしこの呼称も誤解を招く。辛党の人は甘い食べ物を嫌うが決して澱粉が主成分の食品を嫌う訳ではない。甘く感じない澱粉質は食物の主役であって辛党の人もこれらを好んで食べる。糖質という言葉に澱粉質を代表させるべきではない。糖質とは、人類に甘味を感じさせる特殊な澱粉質であってこんな例外者に澱粉質を代表させるべきではない。
 化学と栄養と味覚がゴチャゴチャになって訳の分からない分類になっている。澱粉と食物繊維を一括して食物繊維と呼んでいるから栄養学はは混乱し、澱粉と糖質を区別しなければ料理は成り立たない。ジャンルごとに使い分けるべき用語を無頓着に混同して使うべきではあるまい。用語は正しく使われて初めて意味を持ち、間違った用語は文化を破壊する。