ドストエフスキーの名作「罪と罰」の主人公はこう考えた。「あんな老婆が金を持っていても宝の持ち腐れにしかならない。むしろ俺があの金を奪って活用したほうが社会のために役立つ。」彼はこう考えて高利貸しの老婆を殺害した。高校生だった私はこの奇妙で身勝手な理屈に妙に納得したものだった。実はこれと酷似した理屈が暴力革命の正当化のために実際に使われている。老婆に当たるのはブルジョアジー階級であり「俺」に当たるのが革命の主体となる市民階級だ。
日本の資産の多くを老人が持っている。豊かな老人ばかりではなく、貧しいと思われていた孤独死老人の死後に思わぬ大金が見つかることもしばしば話題になる。彼らはなぜ犯罪に巻き込まれるリスクがあるにも拘わらず使うアテもないまま蓄財に励むのだろうか?
自分が老後を迎えてから家族のお荷物になったためにこんな選択はできなくなってしまったが、自由な独居老人の時代に「寄付預金」という制度について考えていた。
身寄りは無いが資産のある老人は決して少なくない。彼らの一部は死後に財産を寄贈することを選択するが、折角寄贈して喜ばれるのなら死んでからではなく生きている内に寄贈して笑顔に触れたほうが気持ちが良い筈だ。彼らはなぜそうしないのだろうか。寿命が不確実であるだけではなく、生きていればいつどんなことでお金が必要になるか分からないからだ。将来に対する不安が彼らの善意を妨げる。
お金はこの世でしか使えない。それならこの世で最も有効に使いたいと思うのが人情だろう。しかし実際に綺麗に使い切る人は人はごく珍しい。歳の功を積み重ねた筈の彼らの知恵を以てしてもそれは困難だ。
いざという時には一部が返還される寄付制度があれば便利だと思った。もし寄付金の50%なり80%なりに請求権が保留される寄付があれば将来に不安を持たずに寄付することができる。これは寄付という形を取った安全な預金でもあり得る。
多くの老人は決して貪欲ではない。資産を手放せない理由は欲がではなく将来に対する不安だ。犯罪に巻き込まれるリスクが高まると分かっていても資産を手放せない老人は貧乏人を演じることになりそのことで必要以上に質素な生活で生涯を終える。将来に対する不安さえ取り除かれれば彼らは資産による呪縛から解放されて自由になれる。眠っている資産をが目覚めさせればそれだけ経済が活性化する。老人が持つ資産を有効に活用するためにこんな「寄付預金制度」があっても良いのではないだろうか。
日本の資産の多くを老人が持っている。豊かな老人ばかりではなく、貧しいと思われていた孤独死老人の死後に思わぬ大金が見つかることもしばしば話題になる。彼らはなぜ犯罪に巻き込まれるリスクがあるにも拘わらず使うアテもないまま蓄財に励むのだろうか?
自分が老後を迎えてから家族のお荷物になったためにこんな選択はできなくなってしまったが、自由な独居老人の時代に「寄付預金」という制度について考えていた。
身寄りは無いが資産のある老人は決して少なくない。彼らの一部は死後に財産を寄贈することを選択するが、折角寄贈して喜ばれるのなら死んでからではなく生きている内に寄贈して笑顔に触れたほうが気持ちが良い筈だ。彼らはなぜそうしないのだろうか。寿命が不確実であるだけではなく、生きていればいつどんなことでお金が必要になるか分からないからだ。将来に対する不安が彼らの善意を妨げる。
お金はこの世でしか使えない。それならこの世で最も有効に使いたいと思うのが人情だろう。しかし実際に綺麗に使い切る人は人はごく珍しい。歳の功を積み重ねた筈の彼らの知恵を以てしてもそれは困難だ。
いざという時には一部が返還される寄付制度があれば便利だと思った。もし寄付金の50%なり80%なりに請求権が保留される寄付があれば将来に不安を持たずに寄付することができる。これは寄付という形を取った安全な預金でもあり得る。
多くの老人は決して貪欲ではない。資産を手放せない理由は欲がではなく将来に対する不安だ。犯罪に巻き込まれるリスクが高まると分かっていても資産を手放せない老人は貧乏人を演じることになりそのことで必要以上に質素な生活で生涯を終える。将来に対する不安さえ取り除かれれば彼らは資産による呪縛から解放されて自由になれる。眠っている資産をが目覚めさせればそれだけ経済が活性化する。老人が持つ資産を有効に活用するためにこんな「寄付預金制度」があっても良いのではないだろうか。