俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

2016-04-24 11:56:13 | Weblog
 私の消化器系は悪化する一方だが、奇妙なことに他の傷害からは回復しつつある。体重が20㎏以上減少している最中に体調が改善するなど本来あり得ないことだ。改善した症状は殆んど総てが抗癌剤の副作用でありその毒が少し抜けたからと考えて間違いなかろう。
 思考力の低下や全身の倦怠感はかなり軽くなった。味覚障害が今でも残っているかどうかは今更調べようも無いが、多分少しは改善しているだろう。
 結果論になるが、直近の2か月間を無駄遣いしたことが悔やまれる。すっかり「寝たきり老人」に近い状態になっていたからだ。残り少ない人生を無為に過ごしてしまい、良き友人や恩人に挨拶回りをするための機会の大半を失ってしまった。
 脳味噌が少しはまともに機能するようになったのはほんの数日前からだ。丁度ブログを再開した日のことだ。それまでは「寝たきり老人」としてテレビの視聴に明け暮れる毎日だった。
 抗癌剤は恐ろしい。全身に無差別に作用するからどんな副作用がどこで生じるかは誰にも分からない。無差別テロリスト集団のようなものだ。
 抗癌剤の有害性は誰もが知っておりそれなりに覚悟して使われているだろうが、多くの医薬品はそれが有害であることさえ自覚されていない。特に抗精神病薬と生活習慣病の数値を改善するだけのために使われている贋薬はメリットよりもデメリットのほうが大きい。こんな有害物が放置されていることは大問題だ。
 日本人は世界で最も薬好きだと言われているが、薬、特に内服薬や注射が人体を内部から破壊しかねない恐ろしい毒であることはもっと広く知られるべきだろう。この危険性を広く告知できなかったことが大きな心残りだ。この危険性に気付いて勉強を始めるのが遅過ぎたようだ。

2016-04-24 10:28:07 | Weblog
 主に芸術において、日本では知的所有権が認められている。しかし知は所有すべきものだろうか。知とは共有すべき人類共通の財産ではないだろか。
 無知は不幸を招く。くだらない迷信は人生をつまらなくさせる。正しい知識を持つことによって人は自由になれる。オウム真理教の信者は間違った信仰を持ったばかりに自分も他人も不幸にしてしまった。
 学校は良い典型だ。共通知を共有することによって人々が幸福になれるのだから、知は囲い込まれるべきものではなく開放されるべきものだ。
 昔から「知は力なり」と言われる。しかし知は競われるべきものではあるまい。自らを律するためにこそ使われるべきだ。知を自慢する人には知性が欠けている。
 似た作品を見付ける度に「盗作だ!パクりだ!」と騒ぎ立てる人がいる。真実は1つなどと言うつもりは全く無いが、優れた思想や優れた作品が似るのは当然だろう。誰が計算をしても2+3=5であり、地球は太陽の周りを回っている。こんな知恵を個人が独占しても無意味であって広く共有すべき人類の知的財産と位置付けられて然るべきだ。
 固有知は所詮、個人的かつ個別的なものに過ぎない。より重要なのは普遍知だ。科学の発見のように、優れた知が広く公開されてこそ知の価値が高まる。
 私が「避難船」という記事を書いたのは20日のことだった。昨日(23日)、自衛隊は民間のフェリーをチャーターして避難民に開放した。この行動と私の提言との間に何らかの因果関係があったかどうか私は知らないが、多分、無関係だろう。それはどうでも良いことだ。ある理想を掲げてそれに近いことが実現されたならそのことで充分に満足できる。知恵は共有されるべきものであって手柄を競うためのものではない。良い意見であれば見知らぬ誰かがそれを実現してくれるかも知れない。