俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ペシミズム

2013-09-21 09:59:30 | Weblog
 オプティミストよりもペシミストのほうが高く評価され勝ちだ。危険だと主張する人は市民の味方で安全だと主張する人は企業の手先だと見なされることさえある。
 無駄な危険報道としてダイオキシンと環境ホルモンなどが挙げられる。危険だ、危険だと散々騒いだが結局、大して危険ではないことが後で分かった。この場合なら余り非難されない。危険でないことが分かった頃には騒いでいたということさえ忘れられていることも一因だろう。
 逆に安全と主張して後で危険だと分かった場合、責任者は吊るし上げられる。サリドマイドや薬害エイズ事件などが典型例だ。イギリスではBSE(狂牛病)が発生した時に政府は当初「人には感染しない」と発表し、途中で「感染する」に変更した。外国のことなのでその時の反応は知らないがさぞかし大騒動になったことだろう。
 読売新聞の調査によると天気予報の降水確率は6割ほど水増しして発表されているらしい。つまり降水確率50%と発表された日の降水率は30%で、30%と発表された日なら20%しか降らないらしい。気象庁がこんな操作をするのは、良いほうに外れた場合なら余り非難されないからだろう。
 黒か白かを問われてグレーと答えることは必要だが、確率として発表する時にこんな操作が必要とは思えない。こんなことを続けていれば利用者が勝手に割り引いて判断するということにもなりかねない。先日の台風18号の特別警報で避難した人はどの地域でも僅か1%程度だったらしい。イソップ寓話の狼少年の教訓は今も有効だ。

2倍

2013-09-21 09:32:06 | Weblog
 2倍という言葉を疑う必要がある。ある病気の罹患率が2倍になると言う時に、1%が2%になる場合と50%が100%になる場合とでは意味が全然違う。
 差に注目すれば1%が2%になる場合は1ポイントの増加だが、50%の場合は50ポイントの増加だ。
 もっと分かり易いのは逆数に注目することだ。1%の場合非罹患率は99%が98%に減るだけで増減率にすれば1.0%の減少に過ぎない。50%の場合、50%が0%になり100%の減少となる。
 数字は嘘をつかない。常に客観的な事実を提供する。しかし数字で嘘をつくことは驚くほど易しい。特異な部分に注目すれば針小棒大に捏造することができる。
 「人が犬を噛んだ」という情報は多分事実だろう。しかしこれは特異な例に過ぎない。マスコミが報じる特異な例が社会の縮図である訳ではない。このことと同様にマスコミが報じる数字を疑う必要がある。
 マスコミは小さな数字を騒ぎ立てることが大好きだ。1%が2%に増えれば大事件であるかのように報じる。むしろ30%が40%に増えることのほうがずっと深刻な事態だろう。
 記者は悪意でこんな役立たずの情報を垂れ流している訳ではなかろう。数学の能力が足りないからこんな初歩的な間違いにさえ気付かないだけだろう。文系出身者は数学を軽視し勝ちだがこれは重大な問題だ。数学的思考力は社会的にもっと重視されるべきだ。微分・積分を強制しようとは思わないが、確率論は天気予報などで生活に定着しているだけに、マスコミ関係者にとっては必須だろう。

事実と価値

2013-09-19 10:12:38 | Weblog
 事実命題を価値命題と摩り替えてはならない。例えば自然界に、弱者が淘汰されるという事実があっても「弱者は淘汰されるべきだ」ということにはならない。あるいはあらゆる動物のオスはできるだけ多くのメスと交尾しようとする。先日の「ダーウィンが来た!」のカブト虫の話は大いに笑えた。交尾したオスはメスを角で投げ飛ばしてしまう。これは一刻も早く他のメスと交尾するためだ。こんな事実があっても「既婚男性の自由恋愛を認めよ」という身勝手な理屈の根拠にはなり得ない。
 事実がそのまま価値にはならないことを多くの人が承認するから余り問題は発生しない。問題になるのは価値に基いて事実を歪める人が多いことだ。
 例えば「男女は平等であるべきだ」と主張して男女の能力差を認めない人がいる。少なくとも体力においては歴然たる差があるにも関わらずそれを認めようとしない。「吉田沙保里なら男よりも強い」といった無茶な理屈を使ってでも事実を否定しようとする。あるいは「電力が重要だ」と考える人は原発事故が起こるまでは「原発は安全だ」と主張して地震による危険性を絶対に認めようとはしなかった。
 「人種差別はいけない」ということに異を唱えるつもりは全く無いが、人種ごとに能力差があるのは確実だろう。スポーツの身体能力では黒人・白人・黄色人種の順で、知的能力はその逆に黄色人種・白人・黒人の順だろう。とは言えこれはあくまで平均値での話であって、イチロー選手以上の黒人アスリートやオバマ大統領やライス元国務長官よりも賢い日本人は稀だろう。人種差を検証することはタブーとされているようだが、能力の違いが人種の優劣を決めるとは思えない。私はむしろ「違いがあるからこそ差別してはいけない」と考える。もし本当に違いが無いのなら差別など起こらないからだ。
 このように「初めに結論ありき」では正しい判断はできない。事実=価値ではないが、価値判断は事実によって検証され続ける必要がある。

憲法無視

2013-09-19 09:39:36 | Weblog
 蔑ろにされている憲法は第9条[戦争の放棄]だけではない。第15条[国民の公務員選定罷免権]や第89条[公の財産の支出利用の制限]も無視されている。第9条と第15条については以前に書いているので今回は第89条に注目する。
 条文はこうだ。「(前略)公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これ(筆者注:公金)を支出し、またはその利用に供してはならない。」
 悪文なので分かり辛いが要するに、公が支配していない教育に公金を使ってはならない、ということだ。では「公の支配に属しない教育」とは何だろうか。総ての私立校だろう。つまり私立校に出されている補助金は憲法違反ということになる。
 勿論「公の支配」を拡大解釈して私立校も公の支配に属すると曲解することは可能だ。では朝鮮学校はどうなのか。北朝鮮を絶賛する教育が「公の支配に属する」とは到底考えられない。朝鮮学校については無償化どころか補助金でさえ憲法違反だろう。
 私は決して「朝鮮学校にビタ1文払うな」とか「私立校に対する補助金をやめろ」とか言いたい訳ではない。憲法無視が許せないだけだ。憲法を国の根幹としながら勝手な解釈をして実質的に骨抜きにしている現状に憤っている。
 憲法が誤っているなら改正するかあるいは「悪法も法」と諦めて憲法に従うかの二者択一だ。誤ったまま放置して、それを好き勝手に解釈して何でもやりたい放題であることに大きな危惧を抱き、恐怖さえ覚える。出鱈目な解釈によって何でも合憲にできるのなら法治国家ではなく放置国家だ。拘束力の無い役立たずの憲法なら要らない。「新しい時代にふさわしい憲法解釈」(第9条についての安倍首相談)などあり得ない。それは最早、解釈ではなく歪曲あるいは偽造とでも呼ぶべきだろう。その時々の権力者のやりたい放題を司法と国民が許すのなら私一人が逆らっても虚しいだけだ。麦の関税問題と同様、マスコミが権力者と結託して無視するのなら、無名の市井人に過ぎない私一人が騒いでもドン・キホーテになるだけだ。

ルール

2013-09-17 10:34:36 | Weblog
 スポーツでは曖昧なルールは許されない。同じ行為が解釈によって反則になったりならなかったりすることはあり得ない。もしそんな事態になれば関係者が集まって、曖昧にならないようにルールを改正する。
 ルール制定時に想定しなかったことが起こればルールを見直す。例えばかつて平泳ぎで、水中ではなく空中でリカバリーを行う選手が現れた。しばらくの間それはそのまま黙認された。当時のレースの映像を見ると2種類の「平泳ぎ」が同時に見られる。ところが空中リカバリー泳法のほうが早いので水中リカバリーの選手は激減した。この時点でこの2つの泳法は区別されて平泳ぎとバタフライに分かれた。
 このようにスポーツのルールは常に現実を直視して、公平な条件になるように改善が加えられる。法律も、インターネット通信のような想定外の事態に対して、当初は既存法の拡大解釈によって対応するがそれではいずれ対応不可能になりその時点で新しい法律を制定して総合的に対処する。
 解釈が論争になるのは悪法である証拠だ。条文が曖昧であるか時代にそぐわないかどちらかの理由で、現在の条文のままでは役に立たなくなっているということだ。まるで訓詁学のように勝手な解釈をぶつけ合うのではなく「こうすべきだ」という明確な意思を持って、曲解を許さない条文に改めることが正しい対処だろう。
 現行憲法を不磨の大典にしようとする人には怒りすら感じる。不毛な解釈論議こそ憲法の精神を蔑ろにする行為だ。国の根幹が、時の権力者による勝手な解釈によって恣意的に歪められるべきではない。それを防ぐために、国民の総意に基いて憲法を改正して、曲解を許さない明確なものに改めるべきだろう。

正しい怒り

2013-09-17 09:44:29 | Weblog
 怒りは人間が持つ最も強い感情だ。自己破壊をも厭わないほどの感情、自己保存欲をも圧倒する感情は怒りと狂信だけだ。
 最強の感情を抑え込むことなど不可能だ。無理やり抑え込んだつもりでもそのエネルギーは違った方向へと転移する。つまり八つ当たりと自己嫌悪と不快感だ。八つ当たりをすれば怒りの連鎖を生み周囲の怒りのエネルギーが増幅されるので迷惑この上無い。自己嫌悪に陥れば鬱病を患うことになるかも知れない。
 フロイトの理論に従えば抑圧された性欲は転移をして神経症の原因となる。しかし彼はW.ライヒとは違って性を解放せよとは主張しなかった。性欲を精神エネルギーとして昇華させる必要性を説いた。私も怒りを発散せよと言うつもりは無い。正しく怒ることを学ぶべきだと考える。
 正しく怒るために必要なことが2つある。自覚しながら怒ることと、誰に・なぜ怒るのかを正確に知ることだ。
 犬や猫の怒りの姿勢は相手に対する威嚇であり攻撃の予告だ。しかし実はこの明確な怒りの表出が争いを抑止している。怒りを察知した相手側の本能が闘争回避を命じる。戦って怪我をすればお互いに損をするからだ。ローレンツが報告した、闘いに負けた狼が相手に首を晒した時点で闘いが終わるのと同じ、本能に基く種族保存だ。
 ところが本能が壊れた動物である人類にはこの抑止力が働かない。人が我を忘れて怒れば相手を反撃モードにさせる。怒りの表出が攻撃のシグナルにしかならないのだから相手は反攻の態勢を取る。これでは喧嘩にしかならない。冷静かつ論理的に問題点を指摘すれば相手も反撃モードにはならないから建設的な議論が可能になる。
 前にも書いたことだが「原爆許すまじ」は歪められた感情だ。人は物に対しては怒らない、人に対して怒る。だから怒るべき対象は「原爆投下という反人道的行為」でありそれを行ったアメリカ人だ。
 怒りの方向性が間違っていればその怒りは決して解消されない。八つ当たりをしても気が晴れないのと同じことだ。正しい対象に対して怒るべきだ。たとえ攻撃できない相手であろうとも、具体的に誰に・なぜ怒っているのかを認識できれば精神は安定する。これは不安の原因が理解されるだけで不安が半分解消されることと似ている。原因不明のぼんやりとした不安が最も恐ろしいように、対象を見失った怒りは精神を混乱させる。日本人に時折現れる集団ヒステリーの多くは怒りの抑圧が原因だろう。

表裏一体

2013-09-15 10:39:37 | Weblog
 表と裏は不可分だ。表を強化すれば裏も強化される。円安になれば輸出では有利になるが輸入では不利になる。円安のメリットだけを受けることはできない。ベストなのは継続的に円安になり続けることだ。安く買って高く売れるからだ。
 大木は立派な根を持っている。貧弱な根を持つ大木はあり得ない。氷山の9割は水中にある。水中の氷山を削れば水上の氷山も小さくなる。
 多くの場合短所は長所でもある。無鉄砲という短所は勇敢という長所でもある。解釈の相違だ。
 男性の乱暴さを取り除くために去勢すべきだと考える人は殆んどいない。中国から多くの文化・制度を採り入れた日本だが宦官という制度は採用しなかった。当時から既に日本人が草食系だったからかどうかは知らない。
 宦官は女性化するらしい。より正確には「男性化しない」と言うべきかも知れない。肉体的には甲高い声になり筋肉は発達しないそうだ。精神的には嫉妬深く狡賢くなるそうだ。女性化というよりも女性の悪い面ばかりが具現化するようだ。
 一時期、脳の一部を切除するロボトミーが盛んに行われた時期があった。この治療法に対してノーベル医学賞が授与されるほど素晴らしい医療だと信じられた。しかしこれは単に人格だけではなく人間性そのものさえ破壊する恐ろしい手術であることが分かった。
 性欲は多くの場合、否定的に捕えられる。しかしもしフロイトの学説が正しければ性欲こそ精神エネルギーの源だ。性欲を弱めることよりもこの危険な猛獣をコントロールすることこそ必要だろう。
 怒りも好ましくない感情とされている。しかし自己破壊さえ厭わぬ最強の感情を抑え込んで良いものだろうか。怒りの強烈なエネルギーを活用しないことは余りにも勿体ない。

リスク

2013-09-15 10:37:28 | Weblog
 私はリスクの大きいこととして薬と自転車を挙げる。食品添加物や残留農薬や遺伝子組替作物や中国産野菜やBSEなどはリスクの小さいものと考える。マスコミはリスクの大きいものを報じるべきであり小さいものを針小棒大に騒ぎ立てるべきではない。
 薬や自転車の事故は無数に発生している。薬の事故は最近では子宮頸癌ワクチンとカネボウの美白化粧品しか騒がれていないが風邪薬などによる薬害は驚くほど多発している。タミフルだけが危険な訳ではない。
 自転車も事故が多過ぎるから、近頃は加害者になるケースしか報道されないほどだ。実際には被害者になるケースのほうが圧倒的に多い。道路交通法および専用レーンなどの不備が原因だ。自転車がどれほど危険かを知って貰うために政治家のセンセイ方に自転車通勤をお勧めしたい。
 その一方で食品添加物以下に挙げたものによる被害者は殆んど皆無だ。商売第一のマスコミと一部の人が危機を煽っているだけだ。確かに中国製冷凍餃子事件があり、これは農薬と中国製の両方を満たしているが、事件であって事故ではない。特定の個人による犯罪だ。これを根拠にして中国製や農薬が危ないと言うのは、パンに針が刺された犯罪を根拠にして「パンと針が危ない」と騒ぐようなものだ。
 何にでもリスクは伴う。大切なのはそのリスクが大きいか小さいかを判別することだ。2001年の9.11同時多発テロの直後、アメリカ人は飛行機を怖がって自動車で長距離移動をする人が増えた。それが招いたのは交通事故の激増だった。
 警戒すべきなのはリスクが大きなものだ。リスクの小さなものを騒げば危険なものが放置される。最も身近な危険物は風邪薬だと思うのだが、マスコミは問題にしないどころかCMという形を取って奨励している。困ったことだ。

弱者

2013-09-13 10:15:11 | Weblog
 母の友人が旅行先で軽い障害を起こして車椅子を使った。その時、何もかもが至れり尽くせりであることに驚いたそうだ。ただの80代の女性なら放ったらかしにされるのに車椅子を使えば駅員総出でのV.I.P.待遇になる。これはどこかおかしいのではないだろうか。
 80代の老人がヒーヒー言いながら階段を上がっていても知らん振りをしているのに車椅子の人なら無条件でV.I.P.扱いになるというギャップの大きさは一体何なのだろうか。多分、二分割法が原因だろう。健常者と障害者に二分するからその中間は軽視される。
 これは障害者に対する対応だけではない。心身喪失者は罪に問われないが心身耗弱者に対する対応は行き当たりばったりだ。最貧者は生活保護を受けられるがワーキングプアは放置される。
 消費増税時の低所得者対応は極め付けの愚策だ。住民税の非課税世帯に現金を給付するらしい。主に2つの理由から私は大反対だ。
 非課税者は2種類ある。貧しい人と脱税者だ。脱税者も2種類ある。正業の脱税者と、暴力団や売春婦などの非合法事業者だ。非合法事業者はたとえ納税したくてもできない。自ら非合法活動をしていると認めることになり確実に刑罰の対象になるからだ。政府はこんな連中に現金を支給する気なのだろうか。
 もう1つの理由は手続きだ。ホームレスの大半が非課税者であり給付対象となる筈だ。しかしどうやって審査をするのだろうか。多分その審査のために給付額の何倍もの経費が必要になるだろう。
 こんな馬鹿なことをせずに低所得者減税をすれば済むことだ。課税対象額を引き上げるか税率を引き下げるだけで多くの低所得者が救済される。それ以下については小額を別途手配すれば良い。
 最弱者ばかりを優遇するのではなく、弱者総てがその度合いに応じて適切なサービスを受けられるようにするほうが合理的だ。サービスのギャップが酷いから贋障害者が現れる。贋盲人や贋車椅子の人の多くは多分軽度の障害者だろう。軽度の障害者は無視されて重度の障害者ならV.I.P.待遇を受けるという妙な仕組みになっているから軽度の障害者が重度であるかのように装いたくなる。悪しき二分割法の弊害だ。

 

印象

2013-09-13 09:42:05 | Weblog
 癌の患者が医師から「この手術が失敗する可能性は1%ある」と言われたら少なからず躊躇するだろう。しかし「この手術の成功は99%確実だ」と言われたら安心して手術を受けるだろう。この反応は数学的に考えれば不合理だ。同じ事実を言い換えているに過ぎないからだ。
 あるいは「○○を食べると癌になる危険性が下がる」と言うよりも「○○を食べないと癌になる危険性が高まる」と言ったほうが遥かに印象に残って効果的だ。しかし言っている内容は全く同じだ。
 このように人間は数学的ではないし論理的でもない。感情的動物だ。だから恐怖によって踊らされ易い。危機を煽られると人間は迅速かつ過剰に反応する。この欠陥は散々利用されている。マスコミや製薬会社や政治家はこの手を乱発している。大衆はこんな手口に踊らされ続けている。
 怪しげな情報が蔓延している。その大半が危機を煽るものだ。新型インフルエンザ、東南海大地震、遺伝子組み換え作物、地球温暖化etc.etc.。これらの共通点は危機を煽っていることだ。怪しげな情報を針小棒大に報じて儲けようという商業主義の現れだ。こんな馬鹿馬鹿しい情報に踊らされるのは人類が臆病な動物だからだ。特に人類のメスは恐怖に駆られ易いようだ。女性に対する科学教育の必要性を痛感せざるを得ない。食品添加物や残留農薬よりも薬や化粧品のほうが遥かに危険であることを、健康被害者以外の女性は全く理解していないようだ。