俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

聖域

2015-02-08 10:04:01 | Weblog
 医療は今尚、聖域とされている。医師以外の医療行為は禁じられている。看護師や介護士や救急隊員も理不尽なまでに制約されている。これは最早時代にそぐわないのではないだろうか。確かに祈祷師や偽医師に医療紛い行為をさせてはならない。たまにプラシーボ効果が働くかも知れないが彼らはただの詐欺師だ。しかし偽医療を締め出すための過剰な規制が医療をブラックボックス化させている。
 情報の非対称性、これが聖域とされる根拠だ。豊富な専門知識を持つ医師に対して関係者も患者も知識を欠いている、だから医師の指示に黙って従え、ということだろう。しかし現代のような情報化社会でそんな理屈が通るだろうか。現代人は決して無知な衆生ではあるまい。
 かつて堤清二氏が率いる西武百貨店はライフスタイルマーチャンダイジングを唱え生活提案を売り物にした。当時の大衆は百貨店による生活提案を受け入れるほど無知だった。今年のファッションはこれ、良い食品はこれ、と小売業者が提案し、情報を持たない大衆はそれに従った。現代はそんな時代ではない。顧客が望む商品を揃えるのが良い小売店だろう。
 いい加減なテレビ番組に踊らされる愚かな視聴者は論外だが、庶民の医療知識は格段に高まっている。個々の病気に関しては医師以上に詳しい患者もいる。病気ではないが、しっかり勉強した出産経験者であれば、こと出産に関しては男性産婦人科医よりも深い知識を持っているのではないだろうか。裁判でさえ素人が裁判員を務める時代を迎えている。医師もいつまでも「由らしむべし、知らしむべからず」を通すべきではなかろう。
 アレルギー体質があるように人には個体差がある。違いを無視して一律の治療をするのではなく、その人に合った治療が選ばれるべきだ。医師はそこまでできないのだから情報開示をして患者本人や家族に治療を委ねるべきだろう。
 医師は決して高度な専門家ではない。特に栄養学に対する無知は呆れるレベルだ。彼らは厚生労働省が定めた標準治療を行う技術屋に過ぎない。マニュアル以上の治療が可能なのは他ならぬ患者本人だろう。医療の向上のために開かれた医療が求められている。

恐怖政治

2015-02-08 09:29:35 | Weblog
 ISIL(イスラム国)は処刑映像を頻繁に公開する。これは大きな誤解に基づいているのではないだろうか。ISILの主要メンバーはイラクの旧フセイン政権の残党と言われている。彼らはかつての成功体験に基づいてこんな手法を使っていると思われるが、条件の違いを全く理解していないようだ。恐怖支配が有効なのは無力な民衆が相手の場合だけであり、同等あるいはそれ以上の戦力を持つ他国に対するこんなプロパガンダは無効どころか自殺行為だ。報復を奨励するようなものだ。
 攻撃された動物は回避を図る。これが最も有効な戦略だからだ。攻撃を仕掛ける敵が自分より強いか弱いか分からないし、仮に自分よりも多少弱くても戦えば傷付く。最優先されるのは負傷の回避だ。恐怖に駆られず油断をせずに無傷で逃げることこそ勇気であり、無闇に戦いを挑むのは蛮勇だ。君子、危うきに近寄らず。
 戦闘の本質とは「窮鼠 猫を噛む」だろう。追い詰められた小動物は最後の手段として戦いを選ぶ。大人しく殺される訳には行かない。草食動物である牛の第一の選択肢は逃走だ。しかし逃走が困難な状況になれば戦闘も厭わない。
 巧みな軍師は、包囲して責める時に完全には包囲せずに相手の逃げ道を残すそうだ。逃げるという選択肢を与えることによって死に物狂いでの反撃を避けるためだ。この逆の立場が背水の陣だ。これは自ら退路を断つことによって戦うしか無いという状況を作り出す。
 個々の民衆もネズミのように弱い。追い詰められない限り反攻しない。相手を限度以上に追い詰めない限り恐怖政治が秩序をもたらす。
 猫が象やライオンに牙を剥けばどうなるか?一蹴されるだろう。ISILはそんな馬鹿なことをやっている。彼らの経験は弱者支配だけだ。強大な敵との闘い方を知らない。ライオンの群に牙を剥くような愚行だ。イスラムの名を騙るテロリストは、イスラム教を信仰する諸国の逆鱗に触れて、早晩、退治されるだろう。

林業

2015-02-06 10:10:31 | Weblog
 ローカルな話だが、私が住む三重県産の原木が初めて輸出されることになった。今月はヒノキ45㎥を韓国に、来月にはスギ208㎥を台湾に輸出するとのことだ。輸出するためには様々な制約がある。だから実績がある特定の地域から輸出されることが多いが、全く未経験の三重県からも輸出されるということはそれだけ市場が拡大しているということだろう。昨年の日本からの輸出量は約50万㎥でこの2年間で5倍に拡大しているそうだ。隠れた成長産業と言えるだろう。2年前に「円安のメリット」という記事で林業などの第一次産業の復活を期待したが現実になりつつあるようだ。
 日本は国土の67%が森林という森林大国でありながら安い輸入材に頼っていた。世界でも有数の森林国でありながら世界屈指の輸入国だったのは輸入したほうが安かったからだ。考えてみればこれは奇妙な話だ。木材のように嵩張って低単価の商材はわざわざ海外から輸入するよりも国内調達したほうが遥かに有利な筈だ。円高のために折角の資源が活かされていなかったがこれで国内外で有効に活用されることになる。
 平成24年の日本の木材輸入量は約5千万㎥で自給率は28%だったそうだ。広大な原生林があるブラジルでさえ森林率は65%であり、それを上回る日本が木材を大量に輸入しているとは全く奇妙な話だ。安い輸入木材に押されて価格が低迷し、森林が手入れされないために伐採が高コストになるという悪循環に陥っていた。放置された森林はゴミ溜めのようになっていたが適度に伐採されることによって「宝の山」に変わる。
 マスコミは円安のメリットがあるのは大企業だけであるかのように報じるがそうではないことが実証された。同じことが農業や水産業でも起こりつつある。「餃子の王将」が食材の国産化を図りつつあるが、国産品シフトが進めば課題とされていた食料自給率も高まる。
 植物は成長する時に大量のCO2を吸収する。成長した木をどんどん使えば新しい木が育つのでCO2削減効果が高まる。森林面積を減らさずに木材を輸出することは一石二鳥にも三鳥にもなる。

EBM

2015-02-06 09:35:42 | Weblog
 独学を続けていると自分の無知に気付かされることが多い。これでは80歳まで勉強を続けてもまだ足りない。ゲーテのファウストのように知恵の過剰に飽きるレベルには遠く及ばない。これは単に私が不勉強なせいではない。専門家とマスコミが挙って嘘をバラ撒いているから社会全体に嘘が蔓延っているからだ。これは朝日新聞だけに限ったことではない。嘘を暴くことに忙殺されてしまって、なかなか知識を深めることに取り組めない。
 一番酷いのが医学常識だ。国民総てにとって重要な情報でありながら科学と言うよりもオカルトの世界だ。医師は患者を診ない。彼らは標準治療という厚生労働省が定めたマニュアルに従う操り人形のようなものだ。病名を定めたあとはマニュアル以外のことはしないししてはならない。病気によっては薬の処方量まで定められている。それは患者の体格や年齢に拘わらず一定量であり、決められた量を処方しなければ保険外診療になってしまう。老人が多くの薬を捨てているのは馬鹿げた医療制度が原因であり、時には処方した医師自らが捨てるように指示していることもあるだろう。薬の増量ならとにかく減量ぐらい医師の判断に任せて良いと思うのだが厚生労働省がガチガチに縛りを掛けている。「医師の匙加減」という言葉は最早死語だ。マニュアル通りであれば責任を問われないのだからいい加減なものだ。医師とは酷いレシピでの調理を強要される料理人のようなものだ。
 マニュアルに従うのは初心者だ。熟練すればマニュアルを超えねばならない。ところが医療の世界ではマニュアルを超えることが禁じられている。これではまともな医師が育つ筈が無い。医療費は定額であり質の違いは無視されて量で評価される。これではモチベーションが高まる筈が無い。収入を増やすための検査と検査機器ばかりが増える。
 医療が堕落したのは検証されないからだろう。その治療が適切かどうかが問われていない。人体実験ができないことも一因だろうが、EBM(根拠に基づく医療)が唱えられるようになったのは、これまでずっと根拠の無い医療が蔓延っていたからに他ならない。検証することなく漫然とそれまでのやり方が継承されている。これでは科学ではなく芸事だ。師匠の教えを守るだけではいつまで経っても誤った治療法が改められない。
 実験できなければ科学ではない。それにも拘わらず医療業界は科学であるかのように振舞い、科学に疎いマスコミが間違った情報を垂れ流す。医療全体を棚卸して事実と虚構に峻別することが急務だろう。
 

現代史

2015-02-04 10:20:05 | Weblog
 現代史は虚構だらけだ。意図的に嘘をバラ撒いた朝日新聞は論外として、現代日本史は極東国際軍事裁判(東京裁判)とサンフランシスコ平和条約によって徹底的に歪められている。正しい歴史を理解するためにはこの2つの軛から離脱することが必要だ。日本国憲法を「押し付け憲法」という理由で否定したがる人がいるが、押し付けであろうがなかろうが、良いものは良く悪いものは悪い。1条ごとに是非を検討すれば済むことだ。ところが日本現代史は事実が隠蔽されてしまっている。
 なぜ日本が無謀な日米戦争を仕掛けたのかという難問を解く鍵は無数にあり、到底簡単には究明できそうにない。私は最近、当時の日本人が奇跡を信じていたことを大きな要因と考えている。日清戦争と日露戦争で奇跡的に勝ってしまったからマスコミも国民も3度目の奇跡を信じていたのだろう。
 あるいは軍部の暴走を招いたのは軍部大臣現役制を認めた議会の責任が大きいと考える。陸軍がこの制度を利用して陸軍相ボイコットという奇策を使って政府を振り回し機能不全に陥らせたからだ。馬鹿な制度が国を破綻させかねないという悪しき教訓だ。
 これらは歴史に対する一解釈に過ぎない。しかし解釈のためには事実の積み重ねが必要だ。事実を知ればその原因も分かり、その原因の原因へと負の連鎖は無限に繋がる。そうやって初めて集団自殺とも思える日米戦争を起こした理由が理解できる。事実を隠蔽する戦後の歴史教育では何も分からない。アメリカという国の本性が暴露されつつある今、なぜ日本が日米戦争を起こさねばならなかったのかが明かされるべきだ。
 原因はともかく、どうすべきだったかについて、私は1つの奇妙な意見を持っている。アメリカとは戦わずに服従すべきだった、と考える。勿論、当時はこんな解決策はあり得なかっただろう。戦わずに降伏することなど殆んどの国民が納得しない。しかし結果から考えれば、戦って負けてから属国になるよりは、戦わずに属国になったほうがずっとマシだろう。日本史には良い実例がある。ペリーの黒船に対して徳川幕府は戦わずして降伏した。もし黒船に戦いを挑んで負けていればもっと悪い条件で開国させられていただろう。孫子は「戦わずして勝つ」ことを「善の善」とする。同様に到底勝てない相手には「戦わずして負ける」ことが一番だろう。要するに勝てない相手とは喧嘩をするなということだ。
 もし初めから降伏することを選んでいれば、両国は多くの犠牲者を出すこともなく、日本は南太平洋の島々の領有が認められ、ソ連に北方領土を奪われることもなく、広大な領海を持つ海洋資源超大国でいられただろう。あるいは航空機技術が継承されて、自動車王国ではなく航空機王国になっていたかも知れない。
 歴史から学ぶためには事実に基づかねばならない。アメリカによって歪められた歴史を解体して正しい歴史を知らなければ過去を反省することはできない。嘘に基づく反省は真の反省にはなり得ない。

中流

2015-02-04 09:36:33 | Weblog
 2日の朝日新聞の夕刊に「みんな『世間並み』と思った」という記事が掲載されていた。「『格差社会』は今の日本を表すキーワードだ。だが20年ほど前までは『平等社会』と思われていた。それを支えたのは『みんなが中流』という意識だった。」として「54年の中の合計は55%、下は38%。それが65年には中は87%に上昇、下はわずか8%に。」「70年代、中は90%に達し」「だが90年代初頭、バブル経済は崩壊し『失われた10年』が始まる」と続く。そして現代を「格差を直視して生きるしかない、つらい時代だ。」という吉川徹・大阪大教授の言葉で総括した。
 私は何の疑いもせずに納得して読み終えた。ところが記事の中のグラフを見て仰天した。記事とは全く整合しないグラフだったからだ。誤植かと疑った。85年前後に中流が減っているがその後、更に拡大しているではないか!
 出典とされる内閣府による「国民生活に関する世論調査」を検索した。それによると2014年の調査結果は「上1.2%、中の上12.4%、中の中56.6%、中の下24.1%、下4.6%、わからない1.1%」となっていた。中流と答えた人は何と93.1%もいた。「一億総中流」と言われた70年代よりもむしろ今のほうが中流意識が強い。何とも意外な事実に唖然とした。
 「格差だ、貧困だ」とマスコミは騒ぎ立てるが国民の意識は全然違うようだ。確かに所得の格差は拡大しているだろうが、それは私のような退職した高齢者が増えていることが最大の要因であり、当の本人は貧しいとは全然思っていない。
 昔、私は農家は貧しいと信じていた。日本社会を守るためには農家を守らねばならないと思っていた。ところが大半の農家の収入が平均以上だと知って驚いた。すっかりマスコミに騙されていたことに気付いたが、今回の驚きもそれに匹敵するものだ。マスコミは主張を正当化するために情報を駆使するがその際、都合の悪い事実は意図的に無視される。このことが端的に現れたのが福島第一原発事故を巡る「吉田調書」についての朝日新聞の記事だった。マスコミの言うことを鵜呑みにしてはいけないと改めて痛感した。マスコミ、特に朝日新聞は事実(fact)よりも物語(fiction)を好むという悪癖を持っている。
 なお元の記事は朝日新聞デジタル版では1月31日付けだ。「無断転載・複製を禁じます」と書かれているので転載できないから、そちらを参照して欲しい。

正解

2015-02-02 10:27:05 | Weblog
 先日の大学入試センター試験で、世界史と数学で正解が2つある設問があったとのことだ。これは問題作成者のミスによるものだが、複数の正解があることは何ら不思議なことではない。それどころかそういう問題を意図的に作るべきだろう。
 答が1つしか無い設問や○×式に慣れると頭が硬直化する。例えば今日の昼食をどうするかでさえ無数の選択肢があり得る。間違った選択以外は総て正解だろう。正解は1つと思っているとそれを選べない時に代案を出せなくなる。AかBかではなくAからDまでのように答に幅を持たせることも必要だろう。
 ストーカーになる人も頭が硬直化しているのだろう。嫌われた時点で諦めるという選択をできないから付き纏って一層嫌われることになる。
 生活上であれ仕事上であれ常に複数の正解がある。ご時勢や天候などを考慮して最適と思われるものを選ぶがそれでなければならない訳ではない。仮に天候に基づいて選択する場合でも天気に基づくか気温に基づくかによって別の答が選ばれ得る。
 また一旦下した判断を覆すことがしばしば正しい選択になり得る。アメリカにはこんなクイズ番組があったそうだ。3つの箱の1つだけに景品が入っており挑戦者がどれかをヤマ勘で選ぶと、司会者は残る2つから空箱を1つ開けて見せる。ここで再チャレンジのチャンスが与えられる。再選択すべきかどうか?正解は「再選択をする」だ。当初の箱が当りである確率は1/3だが、再選択した箱が当りである確率は2/3だからだ。実社会においても状況の変化に応じて、当初の計画を変更したほうが良いことが多い。一旦決めたことを金科玉条と思っていれば失敗する。
 マニュアルに頼りたがる人がいる。服装やデートプランのような本来自由であるべきことまでマニュアルに従うことが正解だと思っている。こんな人は○×式の試験のせいで思考力を無くしているのだろう。正解が無数にあることを理解させる必要がある。
 仕来たりの塊りであるようなテーブルマナーでも臨機応変の対応があり得る。洋食はナイフとフォークを使うものと思っている人が多いが、私は海外でも箸を使う。不器用にナイフとフォークを使うよりも手慣れた箸を使ったほうが見苦しくない。勿論これは私にとっての正解であって、他人に強制する気は全く無い。
 1つだけが正解だと考えるから不寛容を生む。一神教信者による他宗教差別や迫害は最悪の事例だが、間違った答が無数にあるように正解も無数にあることを子供の内から教えるべきだろう。○×式に馴染んで脳の機能が低下した人は容易にキリスト教=善、イスラム教=悪、と信じ込む。

テロリスト

2015-02-02 09:45:45 | Weblog
 イスラム教の名を騙るテロリスト集団ISILによる暴挙が続いている。キリスト教徒は彼らを罵るがその資格があるのだろうか。キリスト教徒こそもっと酷いテロ活動を国家あるいは超国家レベルで行っていた。
 明確に歴史に残っているのは南北アメリカ大陸での蛮行だ。
 北米ではネイティブアメリカン(インディアン)を迫害した。土地を共有物と信じていた彼らを騙して土地を取り上げただけではなく、彼らの悪行までネイティブアメリカンに押し付けた。頭の皮を剥ぐという蛮行は白人がインディアン狩りで使った手法だ。モヒカン刈りの成人男性の頭皮は特徴的であり偽造不可能だから頭皮1枚幾らという形で報酬が支払われたという。死者を冒涜する白人に怒ったネイティブアメリカンの一部がやり返したに過ぎない。こんな歴史的事実を無視して、西部劇では頭の皮を剥ぐ野蛮人=インディアンという図式で描かれていた。
 中南米ではマヤ・アステカ文明やインカ文明が滅ぼされた。少人数で征服が可能だったのは武器の優越性だけではなく、友好的であろうとした現住民に対して人質や騙し討ちといった卑怯な手法が散々使われたからだ。こうやって文明を根絶やしにした。
 西洋人はナチスドイツだけが大虐殺をしたように言うが異教徒大虐殺はキリスト教徒のお家芸だ。殺された異教徒の数はISILなど足元にも及ばないほど多数だ。異教徒だけではなく新教・旧教間でも散々殺し合いをした。
 会田雄二氏の「アーロン収容所」によると、西洋人女性は日本人捕虜の前でなら素っ裸でいても恥じなかったそうだ。東洋人を人間ではなく猿のようなものと考えていたからだ。日本人が犬猫の前で恥じないのと同じことだ。
 中世の魔女裁判の記録を読むと彼らの身勝手さがよく分かる。拷問に耐えかねて魔女であると認めた人は悉く火焙りにして殺された。たとえ「自白すれば命だけは助けてやる」と言われていてもその約束は反故にされた。魔女や非キリスト教徒との約束は効力を持たないと彼らは考えた。
 こんなキリスト教徒がイスラム教を弾圧しようと企んでいる。イスラム教を騙るテロリストによる悪業を世界に発信してイスラム教を貶めようとしている。宗教的背景に無知な日本のマスコミはキリスト教徒に乗せられてイスラム教弾圧に加担している。キリスト教とイスラム教による宗教戦争において、日本は中立を守るべきだと私は考える。その手始めとして「イスラム国」という偏見を煽る呼称をマスコミは即刻やめるべきだろう。